【私】は【彼女】の理想
早朝、朝日が登って少し経つ頃。
里の近く、森の中、湖の上。
【巫女】と呼ばれる、白く長い髪の少女。厳格な家に生まれ、真面目に育ち、里の未来を期待される少女。
少女は祈り、胸に手を当て…湖に向けてそれをかざす。
太陽の光が湖に反射し、一瞬少女は目蓋を閉じる。
そして、もう一度目蓋を開けた時…空から舞い降りる人形に、目を大きく開き…湖の水面にそっと、眠るように浮かぶ"彼"の元に、濡れることも厭わず近づいていき…そっと受け止めた。
巫女「……ようやく、私の今までが…報われる……」
愛おしげに頬擦りする少女の瞳には最早、理想通りの人形しか映っていないのだった。
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?「…ここは」
知らない天井。知らない布団の感触。そして…知らない空気。
?「記憶が無い」
どうしてここにいるのか、ここはどこなのか。
?「それだけじゃない」
私は誰なのか。私は何なのか。
ぽっかり空いた、胸の空白。
霧が"晴れた"かのような、脳味噌。
…隣で私をジッと見つめている彼女が、誰なのか。
額の少し上に右手を、頭を抱えるように置く。
何か、思い出そうとするも…最初からそんなものはなかった、とでも言うかのように、探すべきものすら分からない。
巫女「・,・・,○×<$々?」
目の前の彼女が何か言っているようだが、聞き取れない。もしかしたら、頭が働かず、その言葉を頭が受け付けないだけかもしれない。
布団を取り払い、立ち上がる。彼女が追いかけて来るが無視したまま、襖を何個も開け放ちながら光の方へと進んでいき…一際強い光を感じる襖に手を掛け、一気にそれを開けた。
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それはきっと、失った記憶の中にもない光景。
和風な屋敷群と、1つだけある洋風の大きな屋敷、木や山など、緑の多い景観。そして、物珍しいものを一目見ようと集まっていたらしい、耳が長かったり尻尾が生えていたり、羽が生えていたりする女性達。
記憶は無くても、知識は残っているらしい。
目が覚めた時、この世界の空気を吸った時、自分の中からあらゆるものが抜け落ちたのを自覚した時、目の前の美少女を認識した時……
私「私は、別の世界から来たんだ」
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こわい。
かなしい。
つらい。
こわい。
かなしい。
つらい。
こわいこわいこわいつらいこわいつらいかなしいかなしいかなしいつらいこわいかなしいかなしい
女性1「+*^<%¥+?」
女性2「○¥☆〒:・÷」
女性3「♪*×$々|×」
何がこわい?…何かを失ったことが。
何がかなしい?…失ったものすら分からないことが。
何がつらい?…それがきっともう戻らないことが。
私「きっともう戻らない。きっともう戻れない。私はそこに、もういない」
何かの歌の歌詞だった筈。咄嗟にそんなフレーズが出て、右手で目元を覆う。
少しずつ感情が昂っていき、他の人の目を忘れるために目を閉じ、首元に手を置いた。
私「私って誰だって、私しかいないんだって。私しかいないなんて、ここには誰もいないんだって。消えていく目蓋の裏にあった姿。何かあったって?何があったっけ?誰かがそこにいたんだって、そばにいてくれたんだっけ?」
最後の方は、とにかく遠くの誰かに届くようにと、祈るような気持ちで、少しずつ声が大きくなっていた。
そんな彼の左手にそっと触れた少女の手。そして彼の右手を首元から離し、両手で両手を掴む。
巫女「私はカイハ。この里の長を務めています。私の知っていること、全部説明します。だから…泣き止んでください」
言われて、一筋分だけ、涙が溢れていたことに気づき、涙を拭う。
そして目元に手を当て、一呼吸。ブンブンと何かを振り払うように頭を振るうと、瞳に光が宿る。
私「…すまない、大丈夫だ。…えっと、カイハ、さん…言葉が…?」
カイハ「カイハで良いですよ。その点も説明しますので、一度先程の部屋に戻りましょう」
私「ああ……わかった」
カイハに手を引かれ家の中に戻っていく彼。背後からブーイングが上がっているのをカイハは無視した。
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カイハはその後、順序立てて全てを説明してくれた。
1."私"を創り出したのはカイハである。
2.この世界には"私たちが言う"魔法のようなものがある。
3.この世界には"私"以外にも"創り出された人"がいる。
4.カイハは"巫女"と呼ばれる存在で、"魔物"を退治したり"天災"を退けたりしている。
5."私"を創り出した理由としては"巫女"を補助できる人間が"創り出された人"以外には滅多にいないから。
6.言葉が通じるのはカイハだけらしい。
とのことらしい。
私「…私の記憶は…」
カイハ「…最初から、ありません」
言い辛そうに、しかし事実を逸らさずにシッカリと告げるカイハ。
私「…そう、ですか…」
私『嘘だ』
私「他の"創り出された人"も、勘違いするんですか?」
カイハ「そうですね…私のお父様も、最初はそう思っていた、と聞きました」
私「お父さんは"創り出された人"なんですか?」
カイハ「はい。今はもう亡くなってしまいましたが…」
私「そう、ですか…」
カイハ「…そういえば……貴方様の名前、なのですが…」
私「え、あ、はい」
カイハ「あの、気に入らなければそう言っていただいて構わないのですが…私が、付けてもよろしいでしょうか?」
若干照れくさそうに横目でこちらを伺いながらそう提案され、思わず目を見開いた。
私「……そう、ですね。自分で付けるってのも何か違うし…お願いします」
頷くと少しホッとした顔になり、カイハは彼の顔をジッと見つめて考えた後…。
カイハ「……ヤツハ様、でいかがでしょう。八葉、ハスの葉を表す言葉です」
私「八葉…ヤツハ……うん、いい名前だ」
胸に手を当て"自分"を噛み締める。
ヤツハ。ヤツハ…。
ヤツハ「うん。自分はヤツハ。…私、ってよりも"自分"の方がそれっぽいか」
カイハ「ヤツハ様…はい、良くお似合いです」
ヤツハ「ありがとう。…っと、そういえば、もう1つ質問があったんだ」
カイハ「はい、なんでしょう?」
そしてヤツハがポケットから取り出したのは…この世界には存在しないはずの、イヤホンとウォークマンだ。
ヤツハ「…これは、なんだ?」
カイハ「……さぁ…?ですが、"創り出された人"は、その"人"を構成する上で"欠かせないモノ"を持った状態で現界する、と聞いています。ある人は燃えない本を、ある人は無限に水が出て来る水筒を、ある人は無限に伸びるロープを…といった具合に」
ヤツハ「それで…イヤホンとウォークマンか」
カイハ「いやほん、うぉーくまん…それは、どのように使うのですか?」
ヤツハ「音楽を聴くために使う。ウォークマンの中に曲が入ってて、イヤホンはおまけ。イヤホンがあれば耳に直に音楽を届けられる。こんな感じで」
と、実際にイヤホンを付けて、ウォークマンを操作し、適当な曲を流す。
軽快なリズムの、知ってる曲だ。機械音声の歌う、早口が売りの曲。
カイハ「……」
ヤツハ「…聞いてみるか?」
どことなく興味ありげな目。表情は固いが、キツネのような尻尾が小さく揺れているためバレバレだ。
カイハにイヤホンを渡す。
と、恐る恐るそれを獣耳元に近づけ…目を見開いた。
そして集中するためか目を閉じ…結局、30分はそのままイヤホンを耳元に当てたままだった。
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ヤツハ『さて…色々考えることがあるが…まずは』
目の前の少女を見る。
ヤツハ『カイハ…15〜18ぐらいだろうか。身長は140〜150。白髪緑目、膝裏まである長い髪。和風というか部族の礼服っぽい服だが普通に動きやすそうだ。先程外にいた人達は、耳やら尻尾やらを持っていたが…パッと見、彼女は普通の人間に見える。戦えるようには見えない』
ヤツハ『それと、記憶の件。あとは今後のことか』
ヤツハ『記憶は…間違いなくあったはずだ。このイヤホンとヘッドフォン、事前知識、だけだと、カイハの説明には勝てない。…もしかしたらカイハも、記憶なんて無い、と本当に思ってるかもしれないが、それは後だ。ええと、そう。この世界に不釣り合いな知識。ゲームとかアニメとか。…どんな作品があったかは思い出せないが、そんなのもあったはず。必要のない、存在しない知識を持っていること。これは1つの根拠になるはずだ。それに、あの「別の世界から来た」というセリフ。あれは反射的に出たが…つまり、元の世界がある、ということだ。元の世界、元の記憶、元の自分…少なくとも後者2つは取り戻さなくては』
ヤツハ『…にしても』
イヤホンを耳に当てるカイハを見る。
ヤツハ『…ここまでドンピシャで好みのことも中々無い…いや、初めてだ。ワンチャンあるのだろうか?…いや、無いな。顔面偏差値に差がありすぎる。"創り出された人"だとか"補佐"だとか言ったって、んなのはただの立場だ。…下手なことを考えるな。どうせ無理なんだから。…とにかく嫌われないように動け。彼女はこの世界の自分の生命線でもあるんだから』
なんてことを考えて、30分を潰した。
カイハ「…はっ、す、すみません…すっかり聞き入ってしまって」
ヤツハ「大丈夫だ。…気に入ったか?」
カイハ「はいっ、聞いたことない曲調のものばかりで…私も、歌が好きなので」
ヤツハ「そうなのか?…こっちだとどんな歌があるんだ?」
カイハ「ええと…こほん」
カイハ「昨日のあなた、今日の私。流れ、絡め、混ざり、溶ける。まま、二人、歩む、時を、この、胸に、忘れたと、しても…いつか、いつか…」
ゆっくりとした曲調の歌。合うのは琴とか三味線だろうか。ピアノでも良いかもしれない。
だが決して江戸時代という感じでもない。昭和歌謡に少し近いかもしれないが、現代にも聴くことはあるような曲だ。
あるいはここが田舎だから、とかそういう理由で、都会ならばもっと現代的な音楽があるのだろうか?
ヤツハ「…うん、良い曲だ」
カイハ「ありがとうございます。…そうだ…そろそろ、昼食にしましょうか?」
ヤツハ「ああ…わかった」
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旅館か何か?というような形式の昼食を運んできたカイハ。キッチン担当は他の人がいるんだろう、持ってきて貰えば良いのに…とも思ったが、質問だらけで疲れていた。
ヤツハ「いただきます」
カイハ「イタダキマス」
父親にでも習ったのだろう、同じように挨拶した後、2人して食べ始める。
食文化の違いはさしてないらしい。
メニューは
・けんちん汁・赤飯・知らない焼き魚
・謎の漬物・卵巻き(肉を卵で巻いたもの)
となっていた。
ヤツハ「そういえば…この集落?里?は、女性ばかりだったように見えるけど…」
カイハ「はい、この里には女性しかいません」
ヤツハ「…なぜ?」
カイハ「?ええと…同性同士の方が問題が起きないから…でしょうか?」
…質問の意味がわからない、という反応。
ヤツハ『…女子校、男子校みたいなものか?』
ヤツハ「それだと、結婚とかの機会が無くならないか」
カイハ「ああ、いえ、町の方では基本的に男女混合ですので。それに、希望者は交信会に参加したり、共同郷の方に住みますから」
ヤツハ「…じゃあ、この里にいる女性は?」
カイハ「・恋愛に興味がない・まだ適齢ではない・諦めている・この里に愛着がある・既婚で別居中・他にアテがある(婚約者がいる)…等でしょうか」
ヤツハ『…カイハはどれなんだ…というのは聞かないほうがいいか。少なくとも今は』
ヤツハ「だがそれだと、自分の立場はかなり危ういのでは…?」
カイハ「まぁ…そう、ですね。ですので、あの…あまり外に出ないでいただけると…」
ヤツハ「…だが、仕事は」
カイハ「最初の一月は私が付きっきりで側にいます。それから少しずつ慣れていって、一月後には、一緒に里の外でお役目に励みましょう」
ヤツハ「…いまいちピンとこないが、わかった」
ヤツハ「…というか、女性として"創り出せば"よかったのでは?」
と、いう身も蓋もない意見に、ポカンと口を開けて黙るカイハと、それに首を傾げるヤツハ。
カイハ「え、ええと…あ、あはは…」
ヤツハ「???」
返答に困るような質問をしてしまったらしい。
箸を進め、卵と米を纏めて頬張った。
ヤツハ「…結構美味しいな。…この屋敷にはカイハの他に何人ぐらいいるんだ?」
カイハ「ええと…2人ですね」
ヤツハ「へぇ…その人達とも会わないほうがいいのか?」
カイハ「…できれば」
ヤツハ「わかった」
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食後、屋敷の中を案内されていた時…廊下の壁に立て掛けられた鏡に、自分の姿を見た。
特になんの変哲もない、普通の男。
黒い髪に若干鋭い目付き、中肉中背、耳に引っ掛けてあるイヤホン、首に描かれた大きな黒いxが…
ヤツハ「……首輪みたいだな」
そしてそれを思った通りに口に出し、そっと模様に触れるヤツハ。
カイハ「それが"創り出された人"の証です。それのお陰で私達は言葉を交わすことができるのです」
ヤツハ「へぇ…」
抓ったり爪を立てたりしてみても、消えるような様子はない。皮膚にそのままくっついている…いや、これがあることが自然、とでもいうような感触だ。
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カイハ「お疲れ様でした」
その後、家の庭に出たり、家の裏口から外を少し歩いたりしているうちにすっかり日が暮れ、今はヤツハの部屋で一息中。
ヤツハ「なんというか…疲れた」
カイハ「まだ創り出されたばかりですからね、それに、ヤツハ様にとっては、全てが新鮮でしょうから」
ふふっ…と控えめに笑うカイハに目を奪われる。
…一時はどうなるかと思ったが、案外、悪くないかもしれない。
絶世の美少女と1つ屋根の下、衣食住は保証されている上、言葉が通じるのは彼女だけだが、話してて楽しい。
カイハ「?ヤツハ様、どうしましたか」
ヤツハ「いや…最初はどうなるかと思ったけど、思ったよりも悪くないかもな、って思ってた」
少し照れ臭げに、しかし素直に話すヤツハに目を輝かせるカイハ。
立ち上がり、ヤツハの前に礼儀正しく正座すると、そっと両腕を開き、彼を包み込んだ。
ヤツハ「…!?」
カイハ「……私の父は、自死しました。それを追って、母も…」
カイハ「…何が原因だったのか、何を思い悩んでいたのか、今となっては知る術はありません」
カイハ「…貴方にも、同じ負担をかけてしまうのではないか、と思っていました」
カイハは彼を抱きしめる力を強める。
カイハ「だから…ありがとうございます。まだまだこれからですが…そう言っていただけて…とても、救われました」
ヤツハ「……」
こちらからも腕を回し、抱きしめる。
小さな体。その癖、長・巫女という役目を負わされ、両親はいない。
ヤツハ『自分なら…それを耐えられただろうか?耐えられず…どこか、壊れてしまうかもしれない』
白い髪、頭を撫でる。
ヤツハ「…こんな自分でも、できることがあるのなら……」
胸に空いた空白、頭から消えた記憶、それらのことを今だけは忘れて…目の前の、自分を頼りにしてくれている少女のために、できることをしたいと思う。
ヤツハ「…って、ん?」
カイハから掛かる力が少し弱くなった、と思っていると、どうやら寝てしまったらしい吐息が聞こえてきた。
腕を剥がそうとするが…夢でも見ているのか、離れてくれない。
少し移動し、体勢はそのまま、壁に背を預ける。
ポケットからイヤホンとウォークマンを取り出し、目を閉じた。
ヤツハ「…おやすみ、カイハ」
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『自分を創り出したのが、カイハで良かった』
この時、心からそう思った。
1年ぶりの小説執筆です。
なんとか毎週更新していきたいと思います。