第三十二話 王宮に走る激震
マーガレットとの婚約を白紙にした今。
アレク王子は、周りが驚愕する暇も与えない程に変わっていった。
父の公務を進んで手伝い、王弟アーシュレイには嫌な顔を我慢して教えを乞う。そんな姿が度々見えたのである。
「これで、メリッサ様さえ王妃になって頂けたら」
「メリッサ様と白紙にならなければ」
「もっと早くに……」
そんな話も聞かれた程だった。
そして、卒業を間近に控えたある日。
王宮に激震が走った。
「旅に出たいですって!?」
王族の食堂には、王妃アマンダの金切り声が響き渡った。
アレク王子の婚約者については、次は保留にしたまま。だが、アレクは王妃も驚愕する程、次期国王として気概を見せてきた。そんな喜ばしい最中の放浪の旅。
王妃アマンダは、危うく気を失うところだった。
「はい。正確には見聞を広めるべく、様々な国をーー」
「そんな事を許す訳がないでしょう!!」
アレク王子は、今回の事で自分がいかに世間を知らず、周りの雰囲気に呑まれる性格だと理解した。
このまま、国王になったとしても他国に遅れを取り、いいように扱われるだろうと、自分自身を冷静に分析したのだ。
だからこそ、この国だけでなく世界を周りを知る事の大事さを感じ、旅に出たいと決意したのだ。
それを息子のアレクが説明する中、アマンダは最後まで話を聞こうともせず、立ち上がっていた。
王太子であるアレクが、見聞だかなんだか知らないが、旅に行く事を認める事は出来なかったのだ。
「母上にお許しを貰うつもりはありません。国王陛下、私に旅に出る許可を下さい」
アレクは憤慨している母を無視し、父である国王にその許可を得ようとしていた。
王妃アマンダの視線が、国王に突き刺さる。
許可なんか出すなよ? と。
「何年だ」
「え?」
「何年だ?」
国王は王妃の視線を無視した。
まさか、こんなにもすんなり許可が得られるとは思わなかったアレクは、父を見たまま一瞬固まってしまった。
母ではないが、一蹴されると思っていた。
「……5年程」
行った先次第では、もう少し時間が欲しいと。
「アーシュレイに相談せねばならんが、いいだろう。お前の王太子は一旦保留にし、お前のやる予定だった公務は全てアーシュレイにやらせる。それで良いな?」
「ありがとうございます!!」
「ふざけないでちょうだい!!」
父と息子が勝手に話を進め、あたかも決定した様子に母アマンダはテーブルを力任せに叩いていた。
その振動でガシャンと激しい音がし、その剣幕に侍女達はピクリとなる。
「アレクの旅など、この私が許しません!!」
「サウンザのロイド王に会う事があったら、宜しく伝えておいてくれ。アマンダは最近、買い物を控える様になったと」
「分かりました。先にサウンザに行って参りますので、母上の事を伝えておきます」
王妃の話など、まるで耳を傾けない父と息子は、食事をのんびりと摂りながら談笑さえしていた。
「母上、実兄のロイド陛下に何か伝える事はありますか?」
アレクは母が何を言おうと、旅に行く意志を変えるつもりはなかった。
だから、話はこれで終わりとばかりにニコリと笑ってみせた。
「私は旅など許したつもりはありませんよ!?」
「そうですか。最近怒りっぽくなったと伝えておきますね」
「アレク!!」
自分の意見を全く聞かない息子に、アマンダは怒鳴っていた。
アレクが王太子の座を保留にして、放浪の旅などに行ってしまえば、その間に王弟アーシュレイ派が強行する可能性があるのだ。
メリッサやマーガレットの件もあり、アレク王子派は勢力を弱め、逆に王弟アーシュレイ派は強めていた。そんな中、アレクの放浪。
アマンダは絶対に容認など、出来なかったのだ。
「息子が見聞を広めたいと言っておるのだ。喜ばしい事ではないか」
「何が喜ばしい事ですか!! アレクは王太子なのですよ!? 万が一の事があったらどうなさるおつもりですか!!」
「アーシュレイがおる」
父がそう言った途端に、アマンダの顔が歪んだ。
「あの男に王の座を!? そんな馬鹿げた話、私は絶対に許しませんよ!!」
王妃アマンダは、噛みつく様な視線を夫の国王に向けた。
気に入らない王弟なんかに、一時でも国王の座など渡したくはなかったのだ。
そんな事態になったとしたら、刺し違えてでも止めてやるとさえ、ギリギリ拳を握る。
「お前の許可など必要ない。息子の門出だ、盛大に祝ってーー」
「祝えるモノですか!! とにかく、私は死んでも許しません!!」
アマンダは再びテーブルを激しく叩くと、扉を蹴る様に開け食堂を去って行ったのであった。
ーーそして、静寂が訪れた。
「許しませんだと」
父は面白そうに笑っていた。
苛烈なあの母の剣幕にも、全く動じない姿はある意味頼もしい。
「説得してから出た方がいいですかね?」
「どうやって?」
「……ですよね」
アレクは肩を竦めた。
自分が一番の母を説得するなど、絶対に無理だろう。
「アーシュレイをここへ」
父国王は、ワインを口にして喉を潤すと、扉に立つ警護隊に王弟を連れて来る様に伝えた。
とにかく、アレクが王宮からいなくなる今、その公務を引き受けてもらう王弟アーシュレイに、早急に話す必要があった。
「叔父上は……私の放浪の旅を許可してくれるでしょうか?」
苦手な叔父が来る事に、アレクは一瞬眉を顰めた。
叔父アーシュレイは、自分の旅をどう思うだろうか? 仕事放棄だと嘲笑うだろうか?
それとも、そのまま帰って来なくて良いと言うのだろうか?
そんな事を考えていると、食堂の扉が音もなく開いた。
男の自分から見ても、見目麗しい人である。
歩き方から気品に溢れ、何もしなくとも華がある。1度見ればその優美な仕草から、貴族か王族だとすぐに分かる。
悔しいくらいに優雅な人物だった。
「お呼びだとか?」
一礼して入って来た王弟アーシュレイ。
いつも、優しい笑顔を浮かべているが、逆にそれが怖いのだと、彼を良く知る者達からは恐れられている。
「座れ」
「義姉上に、香水は控える様に伝えた方が宜しいかと、食事が不味くなる」
いなくても残り香として、強烈な威圧感を与える王妃に、アーシュレイは笑っていた。
「お前は……」
入って早々に苦言を呈する弟に、国王は呆れ半分感服半分だった。
どんな時さえも飄々としていて、何も掴めない男である。




