第三十一話 マーガレット家の改革
アレク王子の婚約者候補から、マーガレットの名が消えてから数日後。
ブロークン男爵家に、アレク王子が自ら謝罪に訪れた。
王族自ら謝罪に来るなど、前代未聞の出来事である。
マーガレットの教育の進み具合や、メリッサにやらせればと言った発言などの話は一切なしに、ただ己の身勝手で軽率な行動で婚約者候補にし、白紙にした非礼を詫びたのだ。
だが、ブロークン男爵は、婚約が白紙になった事に関して、アレク王子を責める事は一切なかった。
それどころか、マーガレットが王妃にならなくて良かったと言ったのだ。娘の気質を、一番良く知っている父だからこその言葉だった。
慰謝料についての話し合いもあったが、ブロークン男爵からは何故か一切支払わなくて良いと言われたのである。
ただ、その代わり、世間に流れるだろう醜聞を払拭して欲しいと。
しかしと、アレク王子が食い下がらなければ、本当に慰謝料はなしとなる処だった。
ーーそれは、何故か。
娘が王妃になる器と思っていなかったのが、理由の一つ。もう一つは、王妃の父となる自分の立場と重責に、元より耐えられなかったからである。
妻タニアが勝手に押し進めただけで、ブロークン男爵は当初から乗り気ではなかったのだ。だから、白紙にしてくれて良かったと、お礼さえ言われたアレク王子だった。
「マーガレット。やはり、お前には王妃など無理だったのだ」
アレク王子が帰り、やっと心からホッとしたブロークン男爵は、生きた心地がしていた。
「どうして? 私は王妃になれたのに!!」
破談になった事を喜ぶ父に、マーガレットは憤慨していた。
アレク王子を説得してくれるのかと思っていたら、快諾してしまったのだ。おかげで、アレク王子との婚約は白紙になってしまった。
『なれる訳がない。最高の教育を受けられた事だけでも奇跡だ』
「お父さん? 何語で話しているのよ?」
『家の恥を、世界に晒すところだった』
「だから、何語で話してるのよ!!」
父が訳の分からない言語を使っていたので、マーガレットは馬鹿にされていると憤慨していた。
王宮の家庭教師といい、どうして自分を馬鹿にするのか理解出来ない。
「ニバール語」
兄のノックが小馬鹿にしながらやって来た。
馬鹿だと思っていた妹が、王子を引っかけた事には驚いたが、やはり見限られて帰って来たなと笑っていたのだ。
「は? だから何よ」
「お前、学園で何を学んでいるんだ? ニバール語は必須課題だろう?」
「だから何? 私が使えないといけない理由がある?」
「もうないな」
「は?」
「王妃になる人間には必要だったけどな」
エストールに通っていたからこそ、王子の目に留まったのだろうが、彼もマーガレットが全くニバール語を話せないとは、想像していなかったに違いない。
「ニバール語が話せないだけで、私は白紙にされたって言うの?」
「総合だろ?」
マーガレットの本質を知る兄だからこその言葉だった。
「言葉遣いはダメ。勉強は出来ない。マナーもなってない。どう転んでも王妃なんて無理だろうよ。候補に挙がっただけで奇跡だよ」
「何よそれ。言葉遣いなんてどうにでもなるし、勉強だってしなくてもメリッサ辺りが補佐でもしてくれればイイじゃない。マナー? お堅すぎるのよ。私が王妃になったら、そういう所も改革する予定だったのに!!」
「だが、予定は永遠にナシ。以上」
「きーーっ!! お兄ちゃん最低!!」
そう言ってドカドカと自室に戻る妹を見て、ノックは呆れていた。
我が妹ながら、コレのドコが、あの王子にヒットしたのか理解に苦しむ。他人の男にしか見せない裏の顔でもあるのか。
『今回の件は、一応フォレッド侯爵にはお詫びの手紙を一筆書いた方が』
『それで、家の娘の事を蒸し返す事にでもなったらどうするんだ』
『しかし、黙っている訳にはいかないでしょう? 慰謝料の便宜でアレク殿下にそれとなくは?』
『今更ではないか? いや、一応恥を忍んで伝えておこう。それより、殿下からの慰謝料の事はアイツらには言うなよ? 後がうるさい』
『分かってますよ。それより、いい機会だから母もどうにかしますか』
『そうだな。しかし、家ではかなり躾を厳しくしていた筈なのに、どうしてこうなったんだか』
父と息子は、母娘が分からない様にニバール語で会話をしていた。
2人は国王から、婚約候補の打診を受けた時に、思っていたのだ。
マーガレットになんか、王妃は絶対無理だ。しかし、打診が来た以上は断れない。
そこで考え方を変えた。ある意味でマーガレットの意識が変わる好機だと。王宮に行けばさらに厳しい教育が行われる。
マーガレットが変わるか見限られるか、マーガレット自身がすぐに泣いて帰って来るか、そのどれかだろう。
だから、いい経験だとさえ思い、楽観していたのだ。まさか、何も変わらず帰って来るとは大誤算だった。
『体罰は道理に反すると、手を出さずにしてきたのが良くなかったのでは?』
『いや、アレが相手では1度やったらタガが外れる』
『あぁ、でも使用人達だって、そんなに甘くは』
『『タニア〈母上〉か』』
父と兄は、顔を見合わせ苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
あまり家にいない男2人が厳しく言った所で、いつも側にいる母タニアがうんと甘やかせば、なんの意味もない。
厳しすぎなんですよ、と逆に何度言われた事か。
「タニア」
「なんですか? あなた」
「マーガレットを、いつまで甘やかすつもりだ?」
ブロークン男爵は冷たく言い放った。
このままでは、家の恥とかより娘の未来が心配である。
「いつまでって、マーガレットは可愛い娘ではないですか!!」
甘やかして当然だと思っている母タニアは、訳が分からないと反論する。
「いつか嫁に出すマーガレットを、これ以上甘やかしてなんになる?」
「嫁になど出さないでも婿でもとって、ノック達と上手くやれば良いじゃないの」
そうすれば可愛い娘と、離れずに楽しく暮らせると、母タニアは当然の様に言った。
「寄生虫はいらないんだよ」
だが、ノックは母タニアを一蹴した。
自分達が頑張る横で、何もせずのんびり過ごす妹夫婦など、いらないと断言したのだ。
「き、寄生虫!? 言うに事を欠いて寄生虫とはなんですか!!」
「なら、コバンザメですか?」
「な!!」
「あぁ、害虫だ」
「ノック!!」
あまりの言い方に、母タニアは顔を真っ赤にさせて怒っていた。
だが、ノックはシレッとしていた。
「仕事をするから給料が貰えるのです。家にいるだけで何もしない? いや、人の稼いだ金で暮らすなんて害虫以下ですよ?」
「な、な、なんて子なの!?」
「いいですか? 母上。今年から、私が家督を継ぐんです。私の妻は会計などで、支えてくれます。父は領地経営の仕事をサポート。では、貴方は何をしてくれますか?」
「な、何をって……今まで貴方を育ててあげたじゃないの!!」
「私のご飯を作ってくれたのはマーヤ達。オムツを替えてくれたのはハンナ。勉強を教えてくれたのは、父とサムエル。部屋の掃除をしてくれたのはマーヤや侍女。では、貴方は一体何をして下さいましたか?」
「う、生んだのは、生んだのは私よ!!」
「ありがとうございます」
「わ、分かれば良いのーー」
「ですが、その後の貴方は育児を一切せず、父のサポートもせず、夜会などで遊び惚けた。その間の生活費は、父が全て出して下さいましたよね? それですでに相殺かと。さて、これからは如何致しましょうか?」
「如何って何が?」
母タニアも娘マーガレットと並び、頭がお花畑の様な人なので、息子の言っている意味が理解出来ない。
いや、したくないのだろう。
「あぁ、すでにお耳が悪いのか。ならば、もう隠居なさいますか?」
「は?」
「働かざる者食うべからず、ですよ」
「……」
「これ以上、何もしない処か、マーガレットをただ甘やかすおつもりなら、問答無用で出て行って頂きます」
息子ノックは、強く冷たく言い放ったのだ。
ただ何もせず、散財する人間は必要ない。そんな者が1人でもいるだけで、真面目に働く者の士気さえも下げかねないのだ。
百害あって一利なしと、ノックは切り捨てた。
「あなた」
母タニアは、息子はどうにもならないと夫に縋った。
今まで、黙認してきた夫ならノックを諫めてくれるだろうと。
「タニア」
「はい」
「お前はもう、田舎で暮らせ」
「は?」
「散々贅沢な暮らしをして満足だろう?」
だが、想像していた夫の姿はそこにはなかった。
助けてくれると思っていたのに、裏切られたのだ。
「ま、満足って!!」
「大体、私達が仕事をする中、お前は一体何をしてくれるんだ?」
「何を……」
改めてそう言われると、母タニアは何も思いつかなかった。
まさか、夜会とは言えず、口を噤んだ。夫のサポートなどした事もない。だからと、家事もやりたくない。
「ならば、タニア。マーガレットの嫁ぎ先を探せ。その名目如何では、ある程度の夜会への出席を許可してやる。だが、マーガレットが嫁いだ後は、家の事をやってもらう」
「わ、分かったわ」
口では理解を示しながらも、タニアは内心ほくそ笑んでいた。
なら、マーガレットの嫁ぎ先を探さなければイイと、胸を撫で下ろした。適当な理由を並べて引き伸ばしても良いし、見つからないと嘆いてみせてもイイ。
そうすれば、マーガレットと仲良くここで暮らせる。
だが、そんな事など全てお見通しな父息子。
「期限は3年」
「え?」
「3年経っても進歩なしと見做したら、マーガレットの嫁ぎ先は私達が探す。そして、お前は田舎か実家で静かに暮らしてくれ」
「な、そんな、ヒドイ!!」
「いや? 仕事もせず、人の金で遊んで暮らす方がもっと酷い」
「……」
「マーガレットの躾をちゃんとしていたら、今頃王妃の母となり、今より良い暮らしが出来たものを……」
ブロークン男爵はわざとらしく嘆いてみせた。
タニアが思う様な贅沢な暮らしや、毎日遊んでなどとは思わない。タニアまで王室で暮らす訳ではないのだ。
だが、娘が王妃になっていたのなら、多少のおこぼれはあっただろう。それに、自分達の功績如何では、陞爵したかもしれないのだ。
あくまでも可能性の一部で、土台無理な話だとは思うが。
「そ、そうだわ!! 今からでも遅くはない筈よね!?」
家庭教師を雇えばイイ。
と母タニアはブツブツと言い始めていた。実に楽観的である。
自分の将来にマーガレットが関わってくると、やっと理解した様だ。夫や息子は自分を甘やかさない。
なら、娘のマーガレットに縋ればいいと方向を変えたらしい。
自分の贅のために、マーガレットを良い所へ嫁がせ楽をしようと算段している。母タニアの浅はかな考えなど、丸わかりであった。
徹底的に、自分自身が変わろうとはしないのは、さすがと称賛するべきか。最悪とすべきか。
「家庭教師か」
「また、泣いたり騒いだりで辞めなきゃいいけど」
「後がないと知らしめるか」
「そうですね」
父と息子は顔を見合わせ、苦笑いしていた。
あの勉強嫌いのマーガレットが、大人しく従うとは思えない。
しかし、このまま手をこまねいていても何も変わない。
何もせず嫁がず、家にずっと居座られても自分達が困るだけだ。
バタバタとマーガレットの元に行き、何かをし始めた母タニアを見て呆れていた父息子。
あくまでも己が変わるという選択肢はないらしい。
アレク王子がくれる慰謝料を、マーガレットの嫁ぎ先への持参金と、家庭教師代に充てるかと父と息子は話すのであった。




