第三十話 アレク王子の変化
学園を卒業間近に控えたアレク王子は、王宮にいる時間が増えていた。
それと同時に学園の皆も、次第に遊んでいられない空気が流れ、必然的に貴族本来の姿に変わる。
身分も関係なく、友人とワイワイする事も少なくなくなり、どこかヨソヨソしくなったり、特定の人物とは距離を置く者なども出始めた。
それは、学生時代の遊びの終わりを告げた証拠でもあった。
身分を関係なく付き合えるか、あくまでも貴族として付き合うか、卒業を間近に見極め態度が変わったせいである。
それにより、アレク王子を取り囲む環境もガラリと変わり、彼の心境にも変化が訪れていた。
彼は、こう見えても元々は真面目な性格。
学園の開放的な生活も終わりを告げ、父や叔父に叱責され、立場を改めて考えさせられた。
悪友との付き合いも少なくなり、大人と関わる時間が増えると、自然に自分の立場とやるべき事を、見つめ直す様になったのであった。
「マーガレット様は真面目に受ける気はなさそうです」
「相も変わらず、私共の事は"さん"付け、言葉遣いを正すおつもりがないのですが」
「廊下は走らないと言っても全く聞きませんし、教育云々以前の問題かと思われます」
家庭教師からは、毎日の様に苦情が来た。
初めは、優しくしろと強く言っていたが、その家庭教師からある日ーー。
アレク王子自らニバール語を教えて差し上げては? と提案があったのだ。それも良いかと、暇を作り自ら教える事となったがーー。
「ゴメンなさい、アレク様ぁ。やっぱり私には難しいです」
「難しいって、かなり初歩的な所だぞ?」
「そうなんですけど、アレク様がスゴいんですよ。こんな難しい事が簡単に出来るなんてぇ」
「……」
「あ、でもぉ。私が今から覚えるより、メリッサさんとかに通訳して貰えばイイじゃないですか!! だって、元はと言えばアレク様の役に立つために勉強したんですよ? 使ってあげないと可哀想です」
彼女は難しいとすぐ涙目になる。縋る。
挙げ句、メリッサを通訳に付けて貰えばいいと言い出し、さすがのアレクも呆れてしまった。
学園にいた頃のマーガレットは可愛く見えた。
何かやってあげれば、嬉しそうにお礼を言ってくれ、プレゼントの一つでもあげると、抱きついてきたりもした。
王宮では誰も言ってくれない様な、褒め言葉や称える言葉もくれたのだ。
自分を見つけると、満面の笑みを浮かべて可愛い声で自分の名を呼んでくれる。
それが、新鮮で可愛く見えた。
表情の見えない王宮での生活に、一つの光が見えた様でマーガレットといると、自分を人間らしくしてくれる気がしたのだ。
ーーだが、だがである。
何度注意しても変わらない彼女に、アレクは次第に気持ちの変化が起きた。
王太子妃教育は、自分と結婚するために必要な課程だ。
しかし、やっている風に見せているだけで、一向に進まない。
自分は国王になるべく頑張っているのに、彼女は何故真面目に頑張ってくれないのだろうか?
自分の事を本当に、愛しているのだろうかと疑いさえ感じていたのだ。
学で愛を測るものではない。だが、彼女は一生懸命にやる姿が全く見えなかった。自分はそんな彼女の何を見て、好きになったのだろうか?
ーーそして。
彼女は一体、自分のどこを好きになってくれたのか。
もう、アレク王子は分からなくなっていたのである。
ーーそれから、数日経ったある日。
「アレク様〜。急かすのもと思ってましたけど、そろそろドレスの採寸とかしてくれないと間に合わないと思うんですよ」
全く王太子妃教育が進んでいないマーガレットが、アレクの袖をつまんでそう言ってきた。
どうやら、三ヶ月後に国を挙げて盛大に行われる結婚式は、自分のだと疑っていない様だった。
「マーガレット。私達の結婚式はまだ行われない」
その言葉に3ヶ月後に行われる結婚式は、叔父達のであると伝え忘れていたと、アレクは思い出した。
しかし、マーガレットの教育が終わったらと、アレクは伝えていたのだ。その教育も全く進んでいないのに、結婚出来る訳がない。
「え?」
「私達の結婚はまだだ」
言葉を理解しないマーガレットに、アレクは溜め息混じりに答えた。
「どうしてですか? もうすぐですよね?」
「3ヶ月後に行われる結婚式は、叔父上とメリッサのだ。私達のはまだまだ先だ」
「えぇ、なんでですか!? 3ヶ月後のって、アレク様の結婚式でしたよね? だから、"私達"の結婚式じゃないですか。あ、メリッサさんのワガママですか? そんな横暴許してイイんですか?」
「違う。マーガレットとの結婚の許可が、下りていないからだ」
「え?」
すでに王妃になる気分でいたマーガレットは、目を見開いたまま時を止めていた。
友人達には、卒業後すぐだと伝えてしまったし、両親は……何を言っていたか覚えていない。
「だって、アレク様がプロポーズしてくれて、私はハイって」
「そうだ。だから、キミの王太子妃教育が始まった」
「ですよね? なら私達、すぐ結婚するんでしょう?」
王太子妃教育の意味すら分からないマーガレットは、まだ理解出来ずキョトンとしていた。
市井の人達みたいに本人同士が承諾すれば、簡単に結婚出来ると勘違いしているらしい。
「キミの教育が終わり次第な」
そう何度も説明した筈なのに、何一つとして伝わっていなかった。
「私の?」
「そうだ」
「え? だって、私の代わりはメリッサさんがやるんでしょう?」
「それは出来ないと伝えた筈だろう?」
父や叔父に却下され、しかも国王の座まで危うくなったアレクは、マーガレットにその事を伝えた筈だった。
なのに、まったく分かっていなかったらしい。
「出来ないって。そんなハズはないじゃないですか。メリッサさんは王妃教育まで受けた人なんでしょ? 私の代わりなんて簡単じゃない」
だからこそ、まだマーガレットはこんな台詞を言えるのである。
「あぁ、簡単だろうね?」
「ならーー」
「そうなると、私も王太子を叔父に譲らなければならないんだけど、そうして欲しいのか?」
「え? 譲る?」
「そうだ」
「なんで?」
「王太子妃の仕事は、王太子の妻がやるべき仕事だからだ」
「なら、譲ればいいんじゃないですか?」
マーガレットは満面の笑みを浮かべた。
「な!」
アレクは絶句である。
彼女はまったく、言葉の意味や重みを理解していなかった。
「私達が無理してやらなくても、出来る人がいるんだから、そういう人達に全部任せて、私達は王宮でのんびりして暮らせば」
マーガレットは、大変な仕事をするくらいなら、別に王妃でなくても構わないのだ。
贅沢な生活が出来て、夜会や公務という名の旅行さえ楽しめれば、それで構わない。むしろ、王妃なんてメリッサがやればイイとさえ思い始めていたのだ。
「のんびり?」
「そう、のんびり。そのためにメリッサさん達がいるんですよね?」
アレクが、愕然としている事に気付いていないマーガレットは、王宮で暮らす楽しい時間を説明していた。
メリッサが王妃をやるのは、適材適所だと。だから、自分は友人を呼んで夜会を開いたり、海外へ視察へ行って見聞を広め、周りに伝える仕事をすれば良いと。
アレクは絶句し、黙って聞いていた。
それを、熱心に聞いてくれているんだと勘違いしたマーガレットは、気を良くして次々と自分が思い描く楽しい生活とやらを、ペラペラと喋ってしまったのだ。
話をしている隣で、アレクの顔が徐々に険しくなっているのにも気付かずに。
「叔父上達が公務をする横で、私達は遊んで暮らすのか?」
「やだな。遊んでじゃないですよ。りょ……視察とかして、周りの事を教えてあげたりするんです」
外国に行くのだから、勿論、失礼にならない様にドレスや装飾品は買うけれど。
そんな夢物語をマーガレットは、語っていたのだ。
「お前はただ……楽をしたいだけなんだな」
アレクは、今やっとマーガレットの考えが分かった。
マーガレットは自分と結婚すると、王宮で楽しく生活出来ると思い違いをしているのだ。
王族は、ただの金持ちとは違う。貴族の妻とも違う。
贅沢な生活の代わりに、国民のために職務を全うする義務があるのだ。ただ、楽しく夜会をして旅行して、王宮で呑気に生活して良い訳ではないのだ。
『愛妾にでもすればいい』
今更ながらに、父が言った言葉の意味が分かった。
マーガレットに促されるがままに、メリッサにやらせればイイと、考えていた自分が愚か過ぎて笑えた。
アレクはそう考えるまでに、成長を見せていたのだ。
「マーガレット」
楽する事しか考えていないマーガレットに、アレクは向き合った。
「キミは"私"と結婚したいのか? それとも"王子"と結婚がしたいのか?」
「え?」
「私が平民になったとしても、私と結婚し共に歩くと誓えるか?」
「やだぁ、何を言ってるんですか? アレク王子はアレク王子ですよ」
マーガレットは笑って誤魔化していた。
アレクが平民になるなんて、考えてもいないのだ。
「私は真面目に訊いているんだ。キミは私が平民になっても付いて来てくれるのか?」
茶化す仕草を見せるマーガレットに、アレクは真剣に聞いたのだ。
「アレク様が平民になんてなる訳がないですよ」
アレクの真剣な言葉に返って来たのは、期待した言葉ではなかった。
あくまでも彼女は、王子としてしか見ていないのである。
そんな夢物語を語るマーガレットを見て、アレクはようやく自分は、いかに周りの話に耳を傾けていなかったのかが分かった。
アレクは幻滅していた。だが、彼女にではない。
自分がいかに愚かだったのだと知り、自分自身に幻滅していたのである。
アレクは目を閉じ、深い深い溜め息を1つ吐いた。
「ブロークン男爵には、私から後日釈明をさせてもらう。キミはもう、王宮に来なくていい」
この瞬間ーー。
やっとアレクは、自分とマーガレットに見切りをつけた。
母が発狂し兼ねない選択だが、彼女が平民でもと言うなら、王籍を捨て王太子の座を叔父に譲ってもいいとさえ思った。
だが、そんなアレクの真剣な覚悟を、少しも真面目に考えもせずに茶化したマーガレット。自分とは覚悟も違う。見ている道も違う。
何度言っても何も変わらず、いつまでも誰かが自分の代わりにやってくれる。やれば良いと言うマーガレットに、アレクはもう期待するのをヤメたのだ。
「え?」
マーガレットは、王宮に来なくてと良いと言われ、それが"何"を意味する言葉なのか分からなかった。
王宮に来なくて良い。
それがアレクの別れの言葉とは考えず、ただもうあんな面倒な勉強をしなくても良いと言ってくれたのだと、内心喜んでいた。
だから、この時はまだ遊んで暮らせるんだと、信じていたのであった。
「キミの人生を狂わせてしまい、申し訳なかった」
マーガレットのお気楽過ぎる考えなど知らないアレクは、そう言って頭を下げた。
彼の人生の先に、マーガレットのいる生活は見出せなかったのである。
だが、決して彼女を責める言葉を投げる事はなかった。
自分がマーガレットに心酔してしまったために、彼女の人生を狂わせたと、反省したのだ。
「何を言ってるんですか? 私はアレク様と結婚出来て嬉しいですよ?」
そんなアレクの心情を考えようともしないマーガレットは、アレクが何を謝罪しているのかも分からず、ニッコリと笑った。
どこまでも理解しないマーガレットに、アレクは肩を落として笑い返した。
「叶わなくて、すまなかったな」
そう小さく言ったアレクの声は、どこか寂しそうだったのである。




