第三話 立場
「アレク」
メリッサが火照りを隠そうと必死にしていると、アーシュレイ王弟殿下はテラスから伸びる階段を優雅に降りていた。
何故かテラスの下にいる甥のアレクに、声を掛けていたのだ。
この隙にメリッサは内心逃げようかと思いつつ、足が何故かその場から動けなかった。アーシュレイが何故声を掛けに行ったのか、気になる自分が足を止めていたのだ。
「叔父上」
アレク王子がその声に目を見張り、咄嗟にマーガレットとの距離を取った。
さすがに叔父の前ではマズイと思ったのか、条件反射かは分からない。だが、咄嗟に距離を取ったのだから、悪い事をしている意識があるのかもしれない。
「お前の "婚約者"が具合が悪いそうだ。送って行きなさい」
アーシュレイはマーガレットをチラリとも見ず、冷めた声でそう伝えた。
「え、私は別に具合は……」
婚約者でも何でもない筈のマーガレットは、一緒にいる事で自分に言われたと勝手に解釈し首を傾げる。
それとは対照的にアレク王子は、苦虫を噛み潰した様な表情に変わった。ここでメリッサの話を出して欲しくはなかったからだ。
テラスで聞いていたメリッサは、突然話を持ち出されビクリとし思わず後ずさった。上を見られた訳ではないが、とにかくアレク王子達の視界には今は入りたくなかったのだ。
「でも、その」
何かあるのか、アレク王子は思わずマーガレットに視線を泳がしモゴモゴと口ごもる。
女遊びが派手な叔父なら空気を読み、あまつさえ賛同してくれるに違いないと考えたのだ。
それを聞いていたメリッサ。婚約者が具合が悪いと聞いた上で、すぐに行動しないアレク王子にさらに後ずさっていた。普通だったら同行している者に事情を話し、慌てて来てもいいくらいだ。
なのに彼は口ごもり、一向に足を動かさなかった。それ処か、同行しているマーガレットも、彼に行けとは言わない。メリッサの心は深い憤りで泣きそうになっていた。
こんな姿も見せたくないし、これ以上聞きたくもなかった。
「あのっ! 初めまして、アーシュレイ様」
空気を読めないのか、読まないのか、読む気がないのかマーガレットが恥ずかしそうにドレスを摘まんで頭を下げた。
王弟アーシュレイの美貌に当てられたのか、頬を真っ赤に染めていた。
「許可を与えた覚えはない」
だが、そんな彼女にほだされる訳もなく、アーシュレイは見下す様に目を細めた。
「え?」
マーガレットは何を言われたのか一瞬理解出来ずに、キョトンとした。
「君に発言の許可を与えた覚えはないと、言ったんだ」
アーシュレイはさらに冷たい視線を浴びせ、マーガレットを突き刺していた。
「やっ。怖い」
マーガレットはその視線にビクリと怯え、アレク王子の腕に絡み付き後ろに隠れた。
「叔父上。か弱き女性を苛めないで頂きたい」
庇護欲を掻き立てられたのか、マーガレットを守る様に半歩前に出るとアーシュレイに強く言った。
怯えさせるなんて可哀想だと。
「 "諌め"と "苛め"を違えるな」
だがそんなアレク王子を、王弟アーシュレイは一蹴した。
許可もなく王族に話し掛ける事は言語道断。メリッサはアレク王子の婚約者として面識がある。この少女は初見だ。礼儀知らず処か無礼者だった。
「マーガレットは叔父上に、挨拶しただけではないですか!」
それの何処が悪いのかと、アーシュレイの圧に怯えつつ噛みついた。
「私の許可も得ずか?」
アーシュレイは2人を見て嘲笑していた。
「大体、この女は "誰"の連れだ」
許可がないとか、挨拶がお粗末だとか、色々言いたい事はある。
だが最大の非礼は、マーガレットが招待客ではない事だ。お遊びで開かれた夜会ではならともかく、これは国王が弟アーシュレイのために催した夜会である。
彼自身は気は乗らないとは云え、すべての招待客の身分と名前くらいは把握している。なのに、呼んだ覚えのない "輩"がいるのだ。本来なら大問題である。
「わ、私の連れです」
叔父であるアーシュレイの視線に堪えきれなかったアレク王子は、諦めて口を割った。
「 "婚約者"でもない女に誰が許可を?」
先程からわざとお前は誰と婚約しているのだと、含ませているのに2人は気付いていない様だった。
「王子である私が許――」
「立場を履き違えるな」
アレク王子の言葉を冷たく一蹴した。
アレクが王になった後ならともかく、今はまだ王子。ならば、まだ王弟の方が格上だ。その王弟のための夜会に、主催者の王や王弟を差し置き自己判断で "他人"を招待していい話ではないのだ。
「っ!」
「マーカス、ローソン」
王弟アーシュレイは低くも通る美声で、誰かを呼んだ。
「「お呼びでございますか殿下」」
呼び声が終わるか否かマーカスとローソンと呼ばれた男は、暗闇から素早く現れた。気配も感情も感じない男だった。
「よそ者が混じっている。追い出せ」
これでもやんわりと言った方である。厳密にいうなれば "不法侵入"を問われても否めない案件。
そして本来なら何故、非招待を入れたのか部下2人も叱責もの。だが "王子"が許可を出してしまった以上、今回咎は見逃す事にする。
「「はっ」」
王弟アーシュレイが無表情、無感情に言えば、2人は命令に従いマーガレットの腕を横から拘束した。
「やっ! 痛ぁい。何するのよ!」
端から見ても優しく拘束しているのが見てとれたが、マーガレットは大袈裟なくらいに痛がってみせた。冷静な目で見れば、可哀想な女性を演じている様に見える。
「おい! 彼女に乱暴はよせ!!」
アレク王子は慌てて2人を止めようとした。
彼女にご執心なアレク王子は、彼女が本気で痛がっていると思っている様だった。
自分の名を呼んで泣いているマーガレットを、必死で解放しろと叫んでいる。
「叔父上!!」
マーガレットに対する乱暴を止めて欲しいと叫んだ。
だが無言で冷笑するだけで、止めさせる素振りは一切なかった。
「分別は付けろアレク」
最後の通達とばかりにアーシュレイは、冷たくあしらった。
「彼女を離せ!!」
王弟アーシュレイに言っても無駄だと感じたアレク王子は、拘束され連れて行かれるマーガレットの後を追った。
アーシュレイが言った意味など、考えも理解しようともしない様だった。自分は色々な女性と遊んでいるクセに、何故自分はダメなのか。
アレク王子は頭に血が昇り、アーシュレイに何を言われたのかを、すでに忘れていたのだった。
その遠ざかる甥の背を見ていたアーシュレイ王弟殿下。
その表情はさらに冷たく、感情さえ見えなかった事に誰一人として気付かなかったのであった。




