第十二話 ゆっくり動きだす事態
ーーあの後。
書斎で話した後、父はこう言った。
「お前は、心労で部屋で伏せっている事にする。しばらく屋敷で寛いでいなさい」
「……はい」
考えがあると感じたメリッサは、眉根を寄せながらも承諾した。
それは不安や不満があった訳ではない。
ただ、しばらくとはいつまでなのか。そして、屋敷内で何をすれば良いのか困っていたのである。
勉強といっても屋敷内では限りがある。暇を持て余しそうだと溜め息が漏れていたのであった。
ーーひと月後。
メリッサとアレク王子の婚約は、アレク側の全面非という事で決着がついた……様に見えた。
故に、我が侯爵家には多額の慰謝料が支払われる事となった様だ。
一体、父は何を言ったのか、メリッサには図り知れない。
そして、婚約が白紙になった事は、アレク王子の素行を見るため、卒業までは表に出さないと言う事になったのである。
◇*◇*◇
父が登城した時、どんな話し合いが起きていたのか。
父が登城し、国王の執務室では、アレク王太子の婚約継続について話し合いが行われていた。
父フォレッド侯爵は、国王に調査書類を渡していた。
勿論、それはアレク王太子の学園での素行を記載した書類である。
国王も王妃も、一通り目を通した所でフォレッド侯爵が口を開いた。
「アレク殿下は娘メリッサを蔑ろにするだけでなく、不貞を犯しました。それにより、我慢を強いられた娘もついに心労で倒れ、現在自宅療養しております」
「「…………」」
「王命により決まってしまった婚約により、幼き日より厳しい教育まで受け、我が娘は自由まで奪われ続けたのです。なのに、この不貞と仕打ちは到底容認出来ません。娘との婚約を白紙、及び教育を受けていた期間分の慰謝料を請求致します」
フォレッド侯爵が強い口調で、医師の診断書と慰謝料の請求額を提示すれば、国王夫妻は目を見張った。
それは、想定より遥かに高い額だったからである。
「白紙うんぬんはともかくとして、額が大きいだろう!?」
国王は堪らず、声を荒げてしまった。
確かに不貞は良くないだろう。それにより、娘の心身にまで影響を及んだのであれば、白紙も慰謝料も致し方がない。
だが、額がオカシイと訴えたのだ。
「ならば、娘の10年を幾らと致しますか?」
逆に問うとフォレッド侯爵は、冷ややかな目を向けた。
「幾らって、アレクは王太子なのよ? 少しの不貞くらい目を瞑るくらいの気概はないの?」
王妃アマンダは慰謝料の紙を、フォレッド侯爵に滑らせた。
払う気はない、と言っているのだ。
なんなら、息子の浮気の1つや2つ許せと。
「ほぉ? 不貞を許せと?」
フォレッド侯爵は、口端を上げた。
想定内の返答ではあったが、謝罪する体さえ見せない素振りに、憤りを感じたのだ。
「そうよ? アレクは王太子。浮気くらい」
王妃はそう言って鼻を鳴らした。
そのくらい許すのが、次期王妃の資質だろうと笑ったのだ。
だが、フォレッド侯爵はそれを跳ね飛ばす様に笑い返した。
「なるほど、浮気は男の甲斐性と?」
「そうよ」
「さすがはアマンダ王妃殿下。実に寛大であらせられる」
アマンダ王妃が浮気を容認する様な発言に、フォレッド侯爵は大袈裟に褒め称えてみせた。
「いやぁ、国王陛下、王妃が寛大な方で良かったですな。浮気は甲斐性だと」
「……」
「では、王妃殿下直々に愛妾容認の許可が下りた事ですし、今宵から若く綺麗な女性を何人か見繕い致しましょう」
フォレッド侯爵は、わざと声を張り上げ高揚した様に言ってやったのだ。目には目、意趣返しである。
「な、な、なな何を言ってるの!? ガナンに愛妾ですって!? そんな事ーー」
「許せない?」
「当たり前でしょう!?」
アマンダ王妃は、目をひん剥く様な表情でフォレッド侯爵を見た。
夫に愛妾を与えるなんて許せないと。
だが、そんな返答などフォレッド侯爵に効く訳はなかった。
「何故?」
「何故って、そんなのーー」
「浮気は甲斐性だと、今の今、口にされましたよね?」
「……っ!」
「いやいや、まさか、息子は良くて夫は駄目なんて理屈、ありませんよね?」
フォレッド侯爵はニコリと笑った。
自分は許せないが息子がするのは良い? そんな理屈、誰が納得するのか説明してみろと促したのだ。
国王は、元々浮気性。フォレッド侯爵はそれを知っている。
今、それを抑えているのは、王妃を立てているからであって、決して愛しているからではない。
王妃の許可さえあるのならば、喜んで愛妾を作るに違いない。
「……っ!!」
そう言われてしまえば、王妃アマンダには反論をする事は出来ない。
自分は許せないが、お前の娘メリッサには我慢しろなんて、思ってはいても流石に言えなかった。
そんな事を言ったが最後、フォレッド侯爵は国王好みの若い愛妾を用意するに決まっている。
影響力のあるフォレッド侯爵が何をするか分からない。
してやられたと、アマンダ王妃は唇を噛みしめ、ドレスをギリギリと握った。
「王妃殿下。今一度お聞き致しますが、浮気をどう思われますか?」
「…………」
こう言われてしまえば口を噤むしかない。
喩え可愛い息子とて、その浮気を可としてしまえば、夫に愛妾を用意するに違いないからだ。
「王妃殿下」
「浮気は……いけ……ないわね」
王妃はもはや、こう言うしかなかった。
それを聞いたフォレッド侯爵は、大袈裟にホッと息を吐いてみせた。
「あぁ、良かった。王族が容認してしまえば、貴族も右に倣えになる処でしたよ。そんな事にでもなったら後継ぎ争い等、無用な血が流れますし、王妃殿下の威厳も地に落ちる処でした」
「わ、わたくしの威厳が地に?」
「今や貴族とて、一夫一妻ですからね。それを、王妃殿下自ら男の浮気を擁護する様な発言。ウチの妻どころか、全ての女性から反感を買っていた事でしょう」
「……っ!」
「国民の反感を買っても、国としては何の利もありませんからね? アレク殿下にも良く良くお伝え下さい」
フォレッド侯爵は、嫌味を込めに込めニコリと笑ったのであった。
「さて、慰謝料の話に戻しますが。お支払い頂けますよね?」
「……だが、些か高額過ぎやしないか?」
「そうでしょうか? 男性側の不貞が理由だとしても、娘は傷物とされてしまうのですよ? それを減額ですか。国民の皆様は、減額を要求する王家と、不貞をされた我が家。どちらの味方をしますかな?」
「それは脅しか?」
フォレッド侯爵の言い分に、国王が苦々しく言った。
やんわりと、言いふらすぞ? と言っている様なものであった。
だが、そんな事で屈するフォレッド侯爵ではなかった。
「まさかまさか。ですが、お詫びも兼ねて一言苦言を」
「なんだ?」
「王妃殿下へ流れる公的資金について、国民の一部から不満の声が上がっています。お控えお気をつけを」
「……」
王妃の散財には、苦言があるのは分かっている。
それをここで、ついでの様に引き合いに出すフォレッド侯爵に、国王は目を逸らし"王妃" は憤りを感じた。
一体その言葉のどこに、お詫びが込められているのだ。
「王妃殿下。国民の声を無視すると、ハウツブルグ王国の二の舞いになります事を、ゆめゆめお忘れなき様」
「……」
アマンダ王妃はピクリと一瞬身体を浮かせ、ウグリと押し黙った。
ハウツブルグ王国は、近年王族の絢爛豪華な生活により破滅したのだ。貴族と国民によるクーデターであった。
アマンダ王妃は身に覚えがあるのか、フォレッド侯爵を睨んで見せたものの反論は控えたのである。
「さて、とりあえずは、我が娘とアレク殿下の婚約白紙。慰謝料。早々に済ませた方が、学園で好き放題している殿下のためにもなると思いますがね」
わざとらしく笑い飛ばし、ついでにアレク王子を出して止めを刺した。
これ以上、フォレッド家と揉めたとしても、国王側には利は生まないからだ。
国王とて、フォレッド侯爵家に力があるからこそ、それを利に変えるため娘ごと飲み込もうとしたのだ。
それが今となっては、アダとなってしまった。
「一つ訊くが、娘の婚約を白紙にして、お前達は国を出るのか?」
国王は苦渋を飲み、フォレッド侯爵の今後を訊いた。
フォレッド侯爵家は、他国からも引き抜きがあると聞く。これを機に自国を出る可能性さえあったのだ。
「まさか、私と陛下の仲ではありませんか。メリッサがこの国で幸せになれるのであれば、出国する意思はありませんよ」
要はアレク王子と円満解消にならないのであれば、他国に出る事も厭わないと言う事だろう。
「慰謝料だけで良いのであれば、請求額に問題はない」
国王は了承したとばかりに、人を呼んだ。
婚約の白紙を容認するためと、慰謝料の支払い書を作成するからだ。
「陛下!!」
王妃アマンダは、思わず声を上げてしまった。
額が大き過ぎると。
「息子の不貞だ。文句があるならアレクに言え」
「ですが!!」
「これを機に、お前も少し自制しろ」
国王はついでとばかりに、宝飾品を控える様に言った。
今まで言っても聞かなかったが、良い機会だとフォレッド侯爵の言葉に乗っかったのだ。
「なっ!!」
「お前の散財は、これまでも苦言を言っていただろう。だが、今までは黙認してきた」
「ならーー」
「以前より、国民は良くは思ってはおらんのだよ。それに加えて息子の不貞。これ以上、王家への不満を増やす事は容認出来ん。それでも欲しいのであれば、お前の兄、ロイド国王に相談するんだな」
「……っ!」
兄ロイドは、アマンダの実兄であり隣国の国王だ。
その彼は、母の宝飾品購入も削減させた程、倹約家である。その兄王に、自分の散財を知らされたら叱責は間違いないだろう。
幼い頃から、恐れている兄に知らされたくはないと、王妃は口を噤んだのであった。
「さて、お前は部屋に戻ると良い。後は額について煮詰める必要があるからな」
国王がそういうと、アマンダ王妃はフォレッド侯爵を睨み付け、苦々しい顔をして後にしたのであった。
ーー結果。
ここでの話し合いで、フォレッド侯爵の提示した額とはいかず、慰謝料は請求額の7割と相成ったのである。
だが、父フォレッドはこうなると先に見越して、始めから高額提示したに違いなかった。




