第十一話 メリッサの初動
「家がどう出るかは知らねぇけど、一個人としてはお前に付く。力になれる事は少ないが、なんでも言ってくれ」
マークがドンと胸を叩いてそう言ってくれた。
王太子相手に、彼が出来る事は少ないだろう。だけど、幼馴染みのために、何かしてやるという意気込みは強く感じる。
メリッサはそれだけでも、嬉しかった。
「私も力になるわよ。何かあったら言って」
マークの婚約者マリアンも、同じ様に言ってくれた。
婚約者には恵まれなかったが、友人達には恵まれたらしい。
「ありがとう。でも、その前に父に掛け合ってみるわ。それでもダメな時はーー」
「協力するよ」
メリッサがお願いするかもと言葉を口にする前に、マークとマリアンが大きく頷いてくれた。
彼等も立場がある。だが、出来るだけ力になると言ってくれた。それだけで、メリッサの心は救われる。
「いいか。我慢はするなよ。俺達がいるんだからな」
生徒会室から出ようとしたメリッサの背に、マークの心強い声が掛かった。
「ありがとう」
メリッサはお礼を言って、生徒会室を後にした。
自分は1人ではない。そう思えるだけで、心が救われたのであった。
◇*◇*◇
父が帰宅するまでの間、メリッサは酷く緊張していた。
利益と私情は別と考える父だ。その父に、アレク王子との婚約を解消したいと言ったらどうなるのか、不安しかなかったのだ。
「お嬢様、旦那様がお帰りになりました」
「ありがとう。サロンに……いえ、直接向かうわ」
副執事長が教えに来てくれた瞬間、心臓がドクリと跳ね上がった。
サロンでゆっくりと話をと思ったが、多忙な父の事だ。書斎に向かうのが一番良いだろう。
「お帰りなさいませ。お父様」
「バカ王子の事で話があるのかな?」
エントランスで父を出迎えたら、全てを見越している様な目でメリッサに言われた。
言葉の先を折られ、メリッサは思わず言葉を呑み込んでしまった。
「こんな事くらいで、言葉に詰まるんじゃない。ハンナ、書斎にお茶を」
「かしこまりました」
父はメリッサの頭を軽く小突くと、近くにいた侍女にお茶の用意をする様に言ったのだった。
母は、何も言わずに微笑んでいたけど、内心不安に違いない。
「で?」
ソファに座った父は珈琲を一口飲み、持ち帰って来た書類に目を通していた。
で? と促されると、メリッサはさらに緊張していた。
もはや、話の主導権は、完全に父にあったからだ。
「結論から申し上げれば、アレク殿下との婚約は白紙にしたいのです」
「理由」
「いずれは王妃となり、彼を支えていこうと絆を深めるつもりでいました。ですが、私の一方通行では絆など築けません」
「だから?」
「この婚約は白紙撤回して頂きとうございます」
まだ、書類から視線を動かさない父に、メリッサは強い口調で口にした。
強く言わないと、父の圧に負けそうだったのだ。
「マーガレット=ブロークン」
「……っ!」
「随分と熱心らしいな?」
「……はい」
書類にサインをしながらも、父は冷ややかに言った。
父は全てを知っている。この言葉でメリッサはそう確信した。
「何故、もっと早くに報告がなかった?」
書類をめくる音だけが異様に響き、メリッサをさらに緊張させていた。
「申し訳ありません。自分でーー」
「改善しようとしたが、失敗した?」
「はい」
結果、何も出来ず、逆に悪化したのだ言い訳しかない。
メリッサも何もしないでいた訳ではない。優しい言葉を掛けたり、2人の時間を作る様にもした。
だけど、メリッサが何を言っても、マーガレットに夢中になっている彼には何も響かないのだ。
むしろ、煩わしいと関係が悪化するだけだった。
「逐一報告するのは、煩わしいかと今に至りました」
言いたい時も勿論あった。
だが、それを毎回報告するのは、煩わしいだけだと判断していたのだ。
「もう少し早くても構わなかったのだが、言い辛かったか」
「いいえ。私の傲りでした」
婚約者の不貞だ。された側としては言い辛いかと、父は冷ややかに笑った。
それがないと言えば嘘になるが、時間を置けば改善出来るかもしれないと、メリッサが思ってしまったが故の悪化だった。
「ローズ達も口を噤んでいたし、グルか?」
母もメリッサを鑑みて、アレク王子が夜会に必要な贈り物、迎えがない事すら父には伝えていなかった。
使用人達も同様だろう。
だが、父は知っている様だ。独自に調べたか自身で勘付いたか、そのどちらでもかは分からないが。
「私がお願いして、黙っていて貰いました」
メリッサは皆を咎めないでと、お願いした。
自分のためにやってくれたのに、裁きがあったら申し訳なさ過ぎる。
「皆、お前の味方か」
だが、父は怒らず呆れた様に溜め息を吐いていた。
当主の自分に報告するより、娘のする事を見守り優先したのだ。娘を可愛がるのは良いが、如何なものかと溜め息が漏れたのである。
「まぁ、それは不問としよう。だが、どうしようかね?」
父は書類から目を離し、珈琲を一口飲んだ。
そう言うのだから、やはり簡単には白紙には出来ないのだろう。
「私に咎はありますか?」
関係を修復は出来なかった自分にも、咎はあるのかもしれない。だって、早々に見切りを付けてしまったのだから。
「いや」
「え?」
「不貞を起こしたのは、ヤツだからな。お前に咎がある訳がない」
父がサラッとそう言うものだから、メリッサは目を見張ってしまった。
てっきり、お前は何故、早々に修復しなかったと言われるのかと想像していたのだ。
「むしろ、我が家を虚仮にしたと賠償金か慰謝料を請求したいところだ」
「……」
さて、どうしたものかと顎を撫でる父に、メリッサは唖然となっていた。
何百年も前の時代ではないから、さすがに修道院や国外追放はない。だが、何もお咎めなしもあり得ないと、覚悟していたのだ。
相手は王太子だ。不貞をした彼が悪いとしても、何もない処か慰謝料を請求すると言う父に、メリッサは唖然としていた。
「浮気は男の甲斐性なんて時代は、とうに終わっているんだよ。メリッサ」
唖然としているメリッサを見て、父は堪らず微苦笑していた。
時代錯誤も甚だしい娘に、どういう教育をしてきたんだと自嘲する。真面目にも程がある。
「王とて不貞を犯せば、それなりの咎はある」
「え?」
「王妃に子が出来ぬのであれば、側室が設けられる。そういう決まりになっているのに、勝手に不貞を犯し不義の子が出来てみろ。王妃側が黙っている訳がないだろう。王妃の後ろ盾によれば、国王とて立場が危ういぞ? 今の王妃は何処の誰だと思っている」
「あっ!」
メリッサはその言葉でハッとした。
現王妃であり、国母であらせられるアマンダは、隣国の元王女であった方である。
その方を蔑ろにしたとなれば、隣国と険悪になる事は間違いなしだ。
物流は確実に止められるだろう。それだけならまだしも、最悪戦争に発展する事も有り得るのだ。
後継ぎがいたのなら、賠償金辺りで済むかもしれないけど。
「相手の不貞で白紙になったのならば、大して支障はない。ただ、一部で面白オカシく醜聞は広がるだろうがな」
父は脚を組み、皮肉そうに笑っていた。
相手の浮気だとしても、浮気された女として噂は面白オカシく広げるだろう。
いつの時代も、不貞をしてもしなくとも、女性の方が注目されるのだ。
「それが王太子となれば、厄介だ。国王夫妻が、お前をいくら可愛がってくれていたとしても、当然我が子の方が可愛い。我が子可愛さに、お前に不利な噂を流す可能性も大いにある。こうなると、お前に不利な情報を揉み消す代わりと、慰謝料を相殺される可能性は高い」
アレク王子が不貞をしたと言う事で、ケリを付けてやるからと、慰謝料を払わない可能性があるという。
学園や社交界で、元々噂になっているとはいえ、メリッサに非がありアレク王子の心が離れ、致し方がなかった。
そう王家側が、情報操作をする事も出来るからだ。
「最悪、業腹だがそうするしかない」
「……お父様」
メリッサは父に申し訳がなくて、俯いてしまった。
もっと早くに相談していたら、違った着地点があったのかもしれない。家名に傷が付く様で、父に申し開きもなかった。
「だが、それは下の下の愚策」
メリッサが下を向いていると、父は不敵に笑った。
「お前に気概があるなら、この父に新しい婚約相手を選ばせて貰えるか?」
「構いませんけど……いますか?」
捜すのは一向に構わない、だが、仮にも王子に捨てられた形になる自分に、新たな婚約者など見つかるのだろうか?
「大なり小なり王子と婚約を解消となれば、キズが付くのは致し方がない。そうなると、下は幾らでも名乗りを挙げてくる」
「……はい」
そうだろうと、メリッサは頷いた。
普段なら声を挙げない貴族も、メリッサにキズが付いたので上から来るだろう。仕方がないから、家で貰ってやると。
そんな輩に、娘はやれんと父は息巻いていた。
「だが、下はダメだ。王子の事があって、名乗りを挙げて来る様な輩にお前はやれん。バカに一矢報いを与えられる男を、迎えるとしよう」
「そんな方がいます?」
相手は王太子。
その上をいく相手だ。身分にしろ立場にしろ、王家をギャフンと言わす男がいるのだろうか?
メリッサには全く見当が付かなかった。
「コーリング伯爵の次子、貿易を牛耳るハイマンの息子、隣国ルーバンドの末王子。ある程度の算段は付けている。しばらく待て」
「……」
メリッサは呆然である。
アレク王子とマーガレットの事を知った時点で、品定めをし選定していたのだろう。
コーリング伯爵は身分は下だが、次子ならこの侯爵家をメリッサと継げる。メリッサの代わりに継ぐ筈だった弟の息子の事もあるが、領地を少し渡せば揉めずに済むだろう。
ハイマンとは、爵位は男爵。だが、貿易が盛んな港町を牛耳っていて、他国との交流も盛んだ。
王家も一目置く存在で、無下には出来ない相手。そこに嫁がせる手もある。
ルーバンドは言わずもがな、王子である。歳もアレク王子と変わらないと言うから、充分に張り合える。
フォレッド侯爵は、色々と思考を巡らせていた。
「メリッサ」
「はい」
「お前を不幸にしない相手だ」
「浮気しないのであれば、誰でもいいわよ」
メリッサは父に何か言うのを諦め、揶揄して言った。
アレク王子みたいな、浮気で周りが見えなくなる男でなければ、もういいかなとメリッサは思ったのだ。
「犬でもか?」
「せめて会話が出来る相手にしてよ」
メリッサは父がわざと冗談を言ったので、堪らず笑ってしまった。
確かに犬なら、手綱を握れるから浮気する可能性は低い。
だからって、ソレはない。
少し怒った様にメリッサが言えば「善処しよう」と言うから、メリッサは困った様に笑い、冷めきった珈琲に口を付けるのであった。




