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・・・今年もここでクリスマスを過ごすのか。十五階建てのビルを見上げ、小さくため息をつく。
ここは、都内の大学病院。十二月一日、木曜日。私は、今日から入院する。
入院の手続きは割合楽だ。事前に主治医の先生が面倒なことを済ませておいてくれる。入院専用の受付で何枚かの書類を書いてしまえば、もう早速病棟に向かうことができるのだ。
私が入る場所は、10B病棟。小児科、特に小児内科の患者が入院している。その大半は、生まれて間もない赤ちゃんから、小学校低学年の子供たちだ。中学二年の私は、おそらく今回も最年長。一応、小児科では15歳までの患者を扱っているらしいけど・・・。
小児科入院フロアに着くと、すぐに看護師の人がやってきた。私の今回の担当看護師で、「石川さん」というらしい。若いけれど、とても落ち着いた雰囲気の人で、何となく安心した。ロックのついたゲートをくぐると、まずは身長・体重の測定。いつもこのパターンだ。治療に必要なのは分かっているけど・・・正直今はやめてほしい。普段着のまま量られているので、体重は実際より1キロくらい増えているだろう。そう思うと少し恥ずかしいし、ショックなのだ。
石川さんに連れられ、病室に行く。「鈴ちゃんの部屋は、『バナナ』だよ。」と言われた。私の病室「バナナのへや」は、ナースセンターから最も遠い場所にある。つまり、ここにいる子供は、「重病患者ではない」もしくは「年長者である」ということ。多分、私は両方に該当している。病気とはいえど、一週間のうち二回通院してきちんと服薬すれば、中学に行くことが出来るのだから。ここには、「病院の外」を知らない子供たちがたくさんいる。いや、むしろそんな子のほうが多いかもしれない。
中に入ると、女の子が一人。私の病院友達、京華ちゃんがいた。彼女は、中学一年生。韓国アイドルが大好きな優しい子で、とてもしっかり者だ。私とは主治医の先生が同じで、入院のタイミングも似ている。年が近いもの同士、何回も会っているうちに気付けば自然と仲良くなっていた。
荷物の整理を終えて自分のベッドでだらだらしていると、京華ちゃんが来てくれた。今日は、私以外にももう一人、長期入院の子が入ってくるらしい。しかもこの部屋に。赤の他人と言ってしまえばそれまでだが、一応ルームメイト。気兼ねなく話せる位にはなりたい。どうやって話しかけようか、二人で作戦会議をした。
しばらくすると、隣のベッドが騒がしくなり、新しい子が到着した。「『バナナのへや』に来るんだから、多分小学五年生くらいだね。」そんな私たちの予想とは裏腹に、その女の子はまだ小さな子供だった。小学一年生・・・いや、もしかしたらまだ幼稚園生かもしれない。私と京華ちゃんは、一緒に勉強をしているふりをしながら、その子の母親と先生が話しているのを盗み聞きした。
その情報によると、女の子の名前は「藤井りり」。今は小学一年生で、入院は初めてらしい。それと、京華ちゃんには言わなかったが・・・りりちゃんはおそらく私と同じ病気だ。飲んでいる薬、入院中の検査項目が昔の私と完全に一致している。間違いないだろう。
りりちゃんの母親が席を外した隙に、私達二人は彼女に話しかけた。と言っても、主に話していたのは京華ちゃんで、私はその後ろにくっついていただけだが。「頼れるお姉ちゃん」タイプの京華ちゃんとは違い、私は小さな子どもと仲良くなるのが昔から苦手だった。母曰く、私は「表情が固く、笑顔が乏しい」から小さな子どもに怯えられる、ということらしい。
午後八時。面会時間が終わり母親が帰ると、りりちゃんは黙々と寝る用意を始めた。まだ小学生なのに、随分しっかりしているな・・・と思いながら過ごしているうちに、九時。消灯時間。看護師の人が「おやすみ─」と言って電気を消す。
しばらくすると、隣のベッドから小さな嗚咽が聞こえてきた。りりちゃんの声。音を立てないように枕に顔を埋めて・・・彼女は「ママ」と繰り返していた。
ああ、どうしよう、と頭を抱える。普通に考えて、看護師の人を呼ぶべきだ。流石にこのまま放っておくことは出来ない。とはいえ、りりちゃんを泣き止ませるのは私には無理だ。しかも運が悪いことに、頼りになる京華ちゃんは検査に行っていてこの病室にいない。仕方ない。枕元のナースコールに手を伸ばした。・・・が、思い留まる。本当にそれが正しいのか?確信が持てなかった。あの子が会いたがっているのは「看護師さん」ではない。紛れもない彼女の「ママ」なのだ。それに、看護師の人を呼んだとしても、りりちゃんに一晩中付き添ってくれるわけではない。看護師の人が来れば、逆にその人がいなくなる時、寂しさに耐えられなくなるだろう。考えて、考えて。私は結論を出した。
ベッドを仕切るカーテンをゆっくりと開ける。「おーい、りりちゃん。お話しようよ。」と、少し高めの声で言ってみた。笑顔が上手く出来ている自信はなかったが、まあいいか、と思う。自分が泣いている時に満面の笑みを見せられたら、余計嫌だろう。りりちゃんが私のほうを見る。彼女は、一瞬びくりとした後、黙り込んでしまった。どうしよう、間が持たない。・・・私のメンタルも少しやられる。でも、やめない。やめる訳にはいかない。ここで手を離すのは卑怯だ。一番寂しくて、一番怖がっているのはこの子なのだから。
そうだ。私は「私なりのやり方」でいくのだ。慰めとか、励ましとか、そんな器用な真似はできない。中学生の私には、彼女の気持ちを本当の意味で「理解する」ことは出来ないから。
からからになった口を開く。
「あのさ・・・。夜の病院の『ピッ、ピッ、ピッ・・・』って音、すごく怖いよね。ホラー映画に出てきそう。今も向こうで鳴ってるけど。」
りりちゃんが、少しだけ頷いた。私は続ける。
「でもね、私はこの音、ドラムに似てると思うの。
」自分が感じたことだけ、言うのはそれだけでいい。伝われ、と心の奥で願う。
「ほら、『タン、タン、タン』って・・・リズムを刻んでるでしょ。だから、それに合わせて歌を歌うとね、ちょっとだけうきうきするんだ。もちろん、みんな寝ちゃってるから、『心の中で』だよ。」
少しだけ、笑ってみせると。りりちゃんは初めて顔を上げた。
夜の病院が怖い。当時小学六年生だった私でさえ、初めて入院した時は本気でそう感じたのだ。今でも覚えている。廊下の向こう側にあるナースステーションの、真っ白な明かり。赤ちゃんの泣き声。鳴り止まない機械音。不思議と「幽霊が出そう」とは思わない。けれども、「この場所に独りでずっと閉じ込められるんじゃないか。」そんな風に疑ってしまった。
きっとこの子も同じだ。だから。
「良いこと教えてあげる。」
ようやく寝てくれた・・・。涙のあとか残るりりちゃんの頬を見て、安堵と自己嫌悪が沸き上がってきた。
窓の外の夜景。それが彼女に教えた「良いこと」。
この部屋は、10階にあるだけあって、とても眺めが良い。
※執筆途中です