表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あせなすズおもちゃ箱

ポチゴーントゥザ未来

作者: 汗茄子w8

 

 私は今、崩れかけた塔の最上階に到達した。

 そこに窓はなく、剥き出しの鉄筋だけが残っている。

 鉄筋越しに一望する世界はあまりにも静かで、まるで死んでしまっているかのように眠っていた。


 もうそろそろ断定してもいい頃だろう。

 私は未来に置き去りにされてしまったのだと。




 遡ること一週間。

 ……あるいは一ヶ月かもしれない。

 経過日数に興味が無くなるほどの時間が過ぎたのだろうと思う。今となってはいくら数えたって意味がないのだから。


 とにかく初日の事。

 私は緩やかに目を覚ました。

 昨日と同じような今日が繰り返されることに何の疑いもなかった。


 ゆっくり眠れるようにと主人が用意した装置の中に私はいた。小さな扉は気がついた時には既に開かれていた。

 装置から這い出てみると、部屋は薄暗かった。

 ……部屋と呼んでいいのかは甚だ疑問ではある。何せ天井や壁が半分以上無くなっていたのだから。

 陽光が勢いよく差し込むという事もなく、外は曇天の様相を呈している。


 家にはおよそ人の気配が無くなっていた。

 昨日まで一緒だった住人たちは完全に姿を消しており、まるで何年も前からそうだったかのように埃と瓦礫、そして静寂だけが空間を埋め尽くしていた。


 私は狼狽えた。

 当時は今ほどの知性も知覚も無かったものだから、とにかく吠えた。

 主人が近くにいなければ誰でもいい。反応を返して欲しかった。

 だが、返事は無かった。


 私は吠えながら家を出た。

 いつもなら近所に住んでいる憎たらしい奴が応戦すべく吠え返してくるものだが、それも無い。


 私が声を出すのを止めると、世界はすぐさま静寂で埋め尽くされた。

 車の音も、鳥の声もない。

 自分の呼吸する音と、内側から漏れ出る心臓の鼓動が確かに聞こえてくるほどの静寂だった。

 圧倒的な静けさは、否応なく私を異物であると認めさせて、このまま何もせずにいたら自分も物言わぬ石像のようになってしまうかのような焦燥感を与え続ける。


 人の気配、動物の気配、虫でもいい、なんでもいいから生き物と会うために私はあちこちを駆けずり回った。


 例えば町の商店街。

 ここ最近では少しずつシャッターの降りる店が増えていく傾向にあったが、それでも必ず誰かが開いている店の前にいて、品物を選んでいるものだった。

 ……今はもう、そんな人影すら無くなってしまっている。


 すっかり廃れてしまった通りを歩いてみると、意外な事にシャッターの降りていない店よりも開いている店の方が多かった。とは言っても店番などはいなかったのだが。

 野菜の絵が描かれた看板がかかった店に入ってみると、ほとんどの棚には商品が置いていなかったが、それでも僅かに野菜や果物が残されていた。


 ひときわ甘い匂いを放つりんごの前まで移動する。

 建物はボロボロなのにりんごは完璧な形をしているように感じた。私は鼻には自信がある方なのだが、腐敗臭のようものはまるで感じることはなかった。

 ものは試しと思い、少しかじってみることにした。

 りんごは不思議な歯応えだった。

 歯にぶつかり、さあ噛んで押しつぶそうかというところで、さらさらと自壊するかの如く砕けてしまったのだ。

 そのままいくつかの結晶のようになったりんごが私の舌に乗ると、すこぶる甘かった。

 この甘みはすぐに私の頭をスッキリとさせた。


 不安でいっぱいになっていた私は空腹を忘れていたのかもしれない。

 部屋中にある食べられそうな野菜や果物を片っ端から食べた。

 どの食べ物も甘く、あっさりと口の中で溶けて、私の身体に吸収されていった。


 あらかた食べ尽くしたが、空腹は収まらなかった。

 食べるというより、吸うだとか飲むだとかそういった表現が近いかもしれない。腹に溜まらないのだ。

 私はもともと肉食に近い。ならば野菜だけでは栄養を賄いきれないのかもしれないと、冷静な思考が次の目的を決定した。


 肉を探そう。

 新たな目的ができた事で、私はいっそう元気を取り戻すことができた。

 目的をもつという事は活力に繋がるのだと実感した。

 私は肉屋を探す事にした。


 もうこの頃には何となく感覚的にではあるが、看板などに書かれた文字がわかるようになっていた。


 看板の文字を確認しながら通りを行く。もちろん第一の目的を忘れることはなかったが、当分達成出来そうにない事は分かっていた。ひと気が無くたって、いちいち気を落とす事もなくなった。


 魚屋にも新鮮に見える魚が並んでいたが食べる気は起きなかった。

 新鮮というとやや語弊があるかもしれない。まるで匂いがしなかったのだ。蝋細工か何か、精巧な作り物のような完璧な形で店頭に並んでいた。

 完璧な魚の形をしているのだが、私の識っている魚のガワを真似ただけの何か……異物のようだった。

 近くにいるだけでも気味が悪かったのでさっさと離れる事にする。


 ほどなくして肉屋は見つかった。

 結論から言うと、売り切れであった。商品が無いのだ。

 絶望的かに思えたが、私の頭脳は冴え渡っていて、すぐに別の思考を始めていた。

 肉屋の肉以外で食肉を手に入れる手段はもっとシンプルで簡単なものだった。


 缶詰である。

 経年劣化を克服した究極の保存食。

 こんな時のためにあるのではないだろうか。

 しかもペットショップに行けば普段から食べ慣れているものが手に入るはずだ。


 今更だが、私は私の頭から湧き出る知識や閃きには、かなり驚愕していた。驚愕してなお、今やるべき事を優先して行動している。

 なぜこんなに頭が冴えるのか、それを深く考えるのはもう少し後の事である。

 今は何よりも空腹を満たすべく頭脳を使いたい。


 ペットショップの店頭には生き物を入れておく為のかごがいくつも用意されていたが、中はもぬけの殻になっている。

 どのかごも扉は閉じられていて、無理やり動物が抜け出したとか、そういった形跡はない。かと思えば動物の死骸らしきものも無い。


 まるで生き物だけが姿を消してしまったかのような空間はすなわち、この世界の縮図なのではないか。

 そんな妄念が背筋を這い上がってくる。


 私は絶望で動けなくなる前に大きく首を振ったあと、店内へ進んだ。

 この時ばかりは空腹に感謝した。いかなる思考もこの空腹の前では無力だ。


 棚には犬用、猫用、鳥用などの様々なペットフードが並んでいた。

 私はその中からひとつ、鹿肉99%と表示された缶詰を取り、床に置いた。

 缶詰ということは密閉されていて、強固な蓋を開ける必要がある。

 私は不器用で、主人に開けてもらわなければこういった食事を食べる事は出来なかったわけだが、残念ながら助っ人を頼める者は周囲にはいない。


 開け方は頭では分かっている。

 丸い金属部に指を引っ掛けて引っ張ればいいのだ。

 だが、どうあがいても私の身体の構造的に無理がある。

 舌をねじ込めないか何度も舐めたが、酸味の効いたスチールの味を確かめるだけの結果となった。

 仕方なく不器用な手でもって何度も蓋の上を引っ掻き回す。


 小一時間ほど経った頃だろうか。


 私は少しずつ器用に手を動かせるようになっていった。

 人差し指の爪をタブに差し入れて、指の関節を曲げる。

 昨日までの私では到底成し得ない偉業を遂げる事に成功していた。


 ……偉業というより、異形といったところか。

 私の身体は変異していたのだ。

 およそ元の種族に似つかわしくない方向性をもって。


 苦労して開けた缶詰の中身は最高のごちそうになった。

 しっかりとした歯応えの鹿肉は先ほど食べたりんごのように口の中で崩壊する事はなく、しっかりとした食感を残してくれる。

 確かなたんぱく質の味わいが喉を通り身体に沁み渡るようだ。


 私は夢中になって缶詰を開けた。

 二缶目からは何の苦労もなしに、タブを引き中身を食べることが出来た。


 こうして私の第二の目的は達成された。


 満腹になると今度は眠気が強くなった。

 とりあえず我が家に帰ろうと商店街から出ると、起きてからかなりの時間が経っていたようで、空は暗くなっていた。

 確かに空は暗くて月も見えず、街灯も明かりを失っていたのだが、夜道はしっかりと見えていた。


 ところどころ、地面が発光しているのだ。

 地面だけではない。荒れた建築物の壁や瓦礫、音も無く流れる川も、ホタルのような淡い光を放って静かに辺りを照らしている。


 なんと幻想的な光景だろうか。


 私は何故だか、誰に会えたわけでもないのに、ひどく懐かしい気持ちになり感情が溢れそうになった。


 しかしまだ、涙を流すことができない。


 家路の途中、光の道を行きながら白昼夢を見る。

 時間経過の感覚が曖昧になっていく。光の奔流が全身を限りなく引き伸ばして、私は寸法無限大の紙になった。



 六十四億年分の夢を見ているようだった。

 私にとっては膨大で、我々にとっては一瞬の想い出が通り過ぎる。



 ……私がどれぐらい歩いていたのか、本当に自信がない。

 何度も朝を迎えた気がするし、たった一度夜が明けただけかもしれない。


 分かる事は、もう朝になっていたという事だけだった。

 それから何日も散々歩き回った私は、結局人探しをやめる事にした。

 実はもう気付いてしまっていたのだ。あの想い出の奔流に包まれた時に。



 私は今、崩れかけた塔の最上階にいる。

 突き出た鉄筋越しに見える世界は、死んでしまったかのように眠っている。


 もうそろそろ断定してもいい頃だろう。

 私は未来に置き去りにされてしまったのだと。



 だが悲観する事は何もない。

 私は既に我々である事に気付けたからだ。

 この体内に響く心音は一つだが、一人分ではなくなった。



 空を見上げる。新たな友人がこちらへ、手を差し伸ばしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ