1.契約成立
自分の人生もここまでか……たかだか十数年だが、ようやく終われるのかと安堵にも似た気持ちで目を閉ざそうとした時、優しい声が響いた。
「大丈夫?」
歪む視界の中目をこらせば、暗闇の中に浮かぶ笑顔。
何をもって大丈夫だと聞くのだろうか、人気のない路地裏に転がっている複数の死体、辺り一面に広がっている夥しい量の血、そしてその中に倒れ伏してる自分、そもそも笑みを浮かべるような状況ではない事は明白なのだ。
敵意は感じない、だが相手にする必要も感じない、そう結論付けて問い掛けに応える事なく今度こそその重さに任せゆっくりと目を閉じる。
最後に見たあの笑顔が瞼の裏に張り付いて、苦々しい気持ちになりながら意識が闇に飲まれていくのを感じた。
「大丈夫?」
デジャヴ、と言う訳ではないがまた同じ笑みと言葉が飛び込んできたことに状況の理解が追いつかない。
……どうやら生き延びてしまったらしい、しかも、最後に出会ったこの男に助けられて。
「顔色もだいぶいいみたいだね、よかった。はい、お水、喉乾いてるでしょ?」
返答しない私を意に介する事なく1人で言葉を連ねるとコップを渡される、男の意図は掴めないが生理的欲求には抗えず差し出されたそれを一気にあおった。
一瞬毒という可能性が脳裏をよぎったものの一度終わったはずの人生ここで終えても何も変わらないとそのまま頭の隅に追いやった。
どうやら毒は入っていなかったらしい、普通に飲み干されたコップを握る私の手には丁寧に包帯が巻かれている、鈍い痛みを訴えてきている腹部の傷も手当されているのだろう。
握ったままのコップに水差しから新たな水が注がれる、視線を上げればまた柔らかな表情がこちらに向けられていた。
「何で助けたのかって感じかな?申し訳ないんだけど、僕自身もよく分からないんだ。」
眉尻が下がっていかにも困りました、と言う顔をされた。助けた方が分からないのであれば私に分かるはずもない、考えるのも面倒臭くなり再度満たされたコップの中身を空けた。
開けられていた窓から爽やかな風が入り男の視線がそれた、サラサラと風に流れる髪は少し茶色い、年齢は20代後半だろうか眩しそうに日が差す外を見ている。
住む世界が違う、そう使い古された表現がぴったり当てはまる気がした。
「え、ちょ、何してるの!?まだ立ち上がっちゃ駄目でしょ!」
一体どうしたのかは分からないが大きな傷は縫合もされているらしい、引きつる痛みはあるものの動けない程ではない。
長居は無用とベッドから起き上がったところを気付かれ押し戻された。
「離して、私が何者なのか分かってるんでしょ?」
「あー……うん、まあ、ね。」
さすがにそこまで馬鹿ではないらしい、いや、むしろそれが分かっていて私を助けたのだから馬鹿なのかも知れない。
どうにかベッドに寝かせようとしてくるその姿に段々と苛立ちが募ってくる。
「お察しの通り私は殺し屋、助けてくれたのは感謝するけどこれ以上は不要、だから離して。」
殺し屋、なんと陳腐な言葉だろうか。ただそれ以外に表現しようがないのだ、依頼さえあればそれがどんな相手であろうと殺す、例え善人だったとしても。
それを生業にして数年、界隈で噂になったからなのか何かしらの依頼なのかは分からないが複数の同業者と邂逅した結果があのザマだった。
「殺してくれないか?」
今までと同じ頼みの文言、こいつもまた他の人間と似たような物かと落胆にも似た気持ちを持った。
だが、続けられた言葉に驚かされる。
「僕が幸せに笑えたその時に、僕を殺してくないか。」
何を、と言いかけて口を噤む。こちらを見ている瞳はガラス玉のように無機質だ、そして唐突に気付いてしまった、出会ってから既に幾度と見ているその笑顔が空っぽであったと言う事に。
だからなのだろうか、差し出されたその手を思わず取ってしまっていた。
「僕はタカオミ、君は?」
「……サキ。」
「これから宜しくね、サキ。」
そうして私とタカオミの契約が結ばれた。
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