318 ダリエル、決意する
ラクス村に戻ると、持ち帰ったフェンリルが子どもたちに大好評だった。
「わきゃあああああああッ! 犬犬犬犬ううううううううッ!!」
息子グランくんも大興奮だったし。
「ワンちゃんんんんんんッ! ワンワンワンワン! ふにゃああああああッ!!」
娘セリーカちゃんも人語を忘れるほど喜んでいた。
「ほきょおおおおおおおッ!!」
「ぐべべべべべべべべべべべ!」
「げっぼおおおおおおおおおおおッ!!」
「おげえええええええええッ!!」
喜び方が尋常でなくなってきている。
子どもは特に動物大好きだな。その分かまい方にも容赦がないから逆に動物にとって大変だ。
子犬フェンリルがかまわれすぎのあまりストレスで禿げ上がらなければいいが。
そんな感じでフェンリルは我が家の飼い犬として定着することとなった。
勇者レーディも帰還し、消息不明ではなくなって世の中動き出すことだろう。
しかし、これ以上ない衝撃的な報せが届いたのは、たっぷりと休んでフェンリル戦の疲れも癒えた辺りのことだ。
◆
「魔王様がいなくなった?」
知らせに来たのはリゼートみずから。
ミスリル鉱山での騒動からほんの数日しか経っていないし、ベゼリアもこの短期間で回復するわけないから、コイツなど滅茶苦茶忙しい時期だろう。
それを推して報せに来てくれたってことは、彼らも相当に混乱しているということだ。
「誰も気づかぬうちにフッと消え去ってしまったということだ。魔王軍全軍をもって八方探したけれども見つからない。まるでもう、この世のどこにもいらっしゃらないように……」
そういえばここ最近グランが寂しそうにしていたが……。
年端もいかぬ少年を装ってグランの友だちとなり、遊んでいた魔王様の姿もとんと見かけなくなった。
まあ、あの御方のことだから気まぐれに来るのやめてまた気が向いたら来るんだろうな程度に思っていたんだが……。
何やら心に迫ってくるものがあった。
瞬間的に悟った。
あの方はもうこの世界のどこにもいらっしゃらないのだと。
そしてもう二度とこの世界に現れることはないのだと。
何故か瞬時に理解することができた。
「とにかく魔王軍を総動員して捜索を続けるが……、どちらにしろ魔王様は魔族にとって象徴。あの方の下に魔族は集結し安定するのだ。魔王様の不在が知れ渡ったらどんな混乱が起きるかわからん!」
リゼートが、いつものコイツらしく慌てていた。
一時は絶縁するかと思われるほどに行き違いがあったが、元の友人関係に戻れてよかった。
「ダリエル協力してくれないか? 情報統制と……魔王様の探索を。もし人間領側におられるとしたら、我々では手の打ちようがない……!」
「いや……」
焦燥するリゼートを抑えるよう、静かに言う。
「恐らく魔王様は、この世界から去ってしまわれた。もう戻ってくることはないだろう」
「そんな……ッ!?」
「この世界は、もう神なる者に保護されて安定する時期を過ぎたんだ。この世界のことは、この世界に住む俺たち自身が決めて進まねばならない」
俺たちにはその強さがあると神が認めてくださったのだろう。
だからあの御方は用の済んだこの世界より離れられた。
「そんな……、そんなことを言われても私はこれからどうしたらいいか……!」
困惑するリゼート。
この場で聞かされた俺の発言をすんなり信じてくれたのは友人ゆえか。
しかし彼を包む困惑は、これから全人類に襲い掛かる困惑だった。
この世界にはもう治め導く神はおらず、人類はみずからの意志で進む道を決めなければならない。
ただでさえ、神がみずからの望みを叶えるために世界はいびつな形に整えられている。
そのいびつは正されないまま、矯正の務めも俺たちで果たさなければならないと……。
……面倒な宿題を残していきやがって。
「とにかくわかっているのはリゼート。これから大層忙しくなるってことだぞ」
「忙しくなる程度で済む話なのか!? これまで魔族たちを……いや人間族も含めた全人類を治めてきたってことだろう魔王様は! その魔王様がいなくなるということは大黒柱を失うようなもの! 未曽有の大混乱が……!?」
リゼートの言う通りだ。
一番大きな柱を失った屋敷は支え切れずにいったん崩壊するだろう。
その上で新しい屋敷を建てなくてはならない。
この地上に住む人々が安心して快適に暮らすことのできる大きな家を。
「ベゼリアとの約束もある。魔王様が身を引いたのも、彼が目指そうとする世界に承認を出したという証拠だろう」
人間族と魔族の間から争いをなくすという。
そんな理想が完成したならば、魔王様の『自分を超える者が自分を倒す』という望みが叶えられることはもうない。
それがわかっていて、俺たちの望みを叩き潰すか、みずからの望みを捨て去るかを選択しなければならなくなり、自分を顧みず俺たちを優先してくれたのだ。
あの御方は結局、最終的には神らしく振舞ってくれたということだろう。
しかしだからこそ、この世界を託された俺たちは、しっかりとこの世界を自分たちの手で切り拓いていかなければ。
「じゃあ、どうすればいいんだ……!? もう魔王様のいないこの世界で私たちは、どうやって安定させていけばいいんだ……!?」
すっかり憔悴して俺に意見を求めるだけしかしないリゼート。
それは改めて、各方面の実力者たちを集めて話し合いたいところだが、まずはこの気心知れた旧友に構想を明かしておくのも重要か。
「まずは、人間族と魔族を和解させることが重要だろう」
「ベゼリアが言っていたことだな……?」
元々人間族と魔族は同一の種族であり、魔王様を名乗る主神オージンが、おのれを超える人類を育て上げるために作り上げたシステム。
一つの種族を二つに分けて、互いに競わせ鍛え合わせた。
しかし神が去ったあとのこの世界に、そんな切磋琢磨のシステムはもう必要ない。
偽りの境界を取り払い。再び一つの種族として共に発展を目指していこうではないか。
「しかし、人間族と魔族は、もう何百年も敵視し合ってきたんだぞ? そう簡単に和解できるものなんだろうか? できたとしても、どのように接していけばいい? 争い合うためにある二勢力が、それをやめてどう互いを認識していけばいいんだ?」
たしかにリゼートの言う通り。
今の人間族と魔族は、互いに争い合うことに利権まで発生しているのだからまずます争いはやめられまい。
下手をしたら魔王様が去ってしまわれた以降も、互いの権益を守るためいびつな対立構造をこれからも続行していきかねない。
それでは信じて世界を託し、身を引いてくれた魔王様の期待を裏切ってしまうというものだ。
「古い構造は、いっそ欠片も残さず叩き壊してしまった方がいいだろう」
「は?」
「その上で新しい構造を作り上げる」
地上人類が分け隔てなく共に暮らし、安定して、たとえ未来にトラブルが起こったとしても適切に対処することのできる準備をしておかなければならない。
「新しい王国を築き上げる」
「え?」
「神の庇護を離れ、人々が自分たちだけの判断と努力で営んでいく王国を」
魔王様という大きな存在が組み込まれることを前提にした現状の魔族領や人間領では、魔王様が去った今も同じように継続していくことはできない。
だから一旦古い体制を断ち、新しい体制を築き上げねば。
「そのために、王国を」
新たに創り上げる。
どんな形でもいい。誰が多さまでもいい。
神から託されたこの世界を、健やかに営んでいくために。






