316 ダリエル、サンドイッチを与える
我が振り下ろす刃が、魔狼フェンリルの鼻先へと直撃した。
しかしその瞬間は白光に包まれ、誰も見届けることができなかっただろう。
斬りつけた俺自身ですらも。
やがて光が収まり、すべてを見通すことができるようになると、そこには不思議な光景が広がっていた。
「フェンリルが……いない?」
「本体どころか、分裂した小さいヤツらまで……!?」
当たり前すぎて不思議な光景が。
世界の災厄として、業病のごとき広がりを見せていたフェンリルだが、今やその存在が最初からウソだったのかと思えるほどに、何の痕跡も残っていない。
「勝った……!?」
「あの狼どもは死んだのか!?」
「勝った! 俺たちの勝ちだああああああッ!?」
わけもわからないまま必死に戦ってきた魔王軍兵士や冒険者たち、とにかく危機を切り抜けたという安堵感から、喜びが溢れ出す。
普段は敵味方の彼らが、その違いに関わりなく抱き合ってすらいる。
だが、フェンリルは結局どうなったのだろう。
俺の究極剣によって本当に消滅してしまったのか。
いや違う。
俺はフェンリル本体と激戦を演じた……もはやすべてが弾き飛ばされ荒野のごとくなった跡地へと歩み寄る。
『これは……!?』
そこにはまず『是空』を叩き込む寸前までフェンリルを抑え込んでいたギガントマキアの巨体があった。
彼自身の土くれの巨体には傷一つない。
そしてその足元にもう一つ。
見慣れない物体が転がっていた。
その物体は、まるで蹴鞠のように小さく……おのずからモゾモゾと動いてその場を転げ回っていた。
そうそれは物体ではなく、みずからの意思を持った生き物だった。
クンクンと震える鼻先を上げてワンと鳴く。
毛むくじゃらの小さな小さな総身だった。
「これは……!?」
俺と共に寄ってきたレーディや他の者たちも、それを見下ろし目を丸くする。
「犬……、子犬!?」
「可愛いのだわわわわわわわわわッ!?」
獣の子ども特有の愛らしさに早速やられる女性陣も多い。
「なんでこんなところに子犬が? これはまさか……!?」
「フェンリルだ」
この子犬が、さっきまでこの世に終わりをもたらす極魔獣の成れの果て。
我が究極剣によって、こんな姿に成り果ててしまった。
「我が究極剣『是空』。その効果『天命を斬る』という意味はこういうことだったんだな」
歪んでしまった天命を斬り、ほつれをとって、本来あるべき真っ直ぐな姿へと還す。
あまりにも歪み過ぎれば、歪みきった天命と共にすべて消滅するしかない。
あのドリスメギアンのように。
しかしこのフェンリルは、歪みの直しを受け止めて新たにやり直すことができたらしいな。
それだけ存在が大きかったということか。
「きゃああああああッ!? 可愛い可愛い可愛いのだわ! 抱き上げるのだわ! 頬ずりするのだわ! ぎゃああああああッ!? 噛まれたのだわ!!」
アホが過剰に反応しておるが、それは置いておくとして。
「まるで時空をも断ち切る力……。これが村長の秘剣でござるか?」
「俺自身も全様を把握していないがな」
魔王様風に言わせれば『地獄』のドリスメギアン、『餓鬼』のフェンリルに相当する『天』の力。
「世界を滅ぼすなどという運命をコイツは望んでなどいなかった。コイツはコイツの望むことを、この姿で追い求めようということだろうさ」
向こうでは、まだ子犬になったフェンリルにめっちゃ噛まれたゼビアンテスがのたうち回っておる。
まあアイツはあれでいいだろう。
「あッ、そういえば村長。奥様より預かりものがあるのですが」
なんだドロイエ?
「サンドイッチです。出かけてから大分時間がたったのでお腹がすいているだろうと……」
それはありがたい。
たしかに、この場に駆けつけてから数時間。滅茶苦茶動いてもいたし腹も減る。
そんな俺への愛妻弁当。本当にマリーカの気配りはありがたい。
でもこのタイミングで言うべきことかな?
とか思っていたら、なんか俺以上に弁当に反応するヤツがいた。
フェンリルのヤツだった。
ゼビアンテスをガジガジ齧っていたヤツだが、ビクンと口を放し、こちらへバタバタ駆け寄ってくる。
そしてバウバウ鳴き喚く。
「うおうッ!? なんだ!?」
前足を大きく上げて俺に迫ってくる。
これは間違いなくあれだ。
狙いは俺の持っているサンドイッチだ!
「まさか食いたいのか? これを?」
『バウッ!』
よい返事だ。
しかしふざけんな。
愛妻が俺のために拵えてくれた弁当をなぜ犬畜生に分け与えてやらねばならん?
「フェンリルちゃんは、私の修行中ゼビちゃんが差し入れしてくれたごはんをよくお裾分けしてましたからねー。味を占めたんでしょう」
「いつもママさんが作ってくれたものだったのだわー」
そんなことを!?
俺まったく知らないけれども!?
「それで覚えちゃったんでしょうねー、マリーカさんの料理が美味しいということを」
「ママさんのサンドウィッチは世界一なのだわー」
そんな益体ない話をしている間も、子犬フェンリルはサンドイッチを狙って俺に超まとわりついている。
ズボンに爪を立ててよじ登ろうとしてくるんだが、やめろ痛い。
「ええいわかったわかった。一枚だけ分けてやろう。一枚だけだぞ?」
『バウウ』
返事のいいヤツめ。
「クソ犬は、野菜より肉の方が好きだったのだわー。ハムサンドを与えてやればいいのだわ!」
煩い好き嫌いせずに野菜も食え。
しかし、まあせっかくなのでご所望なので、じゃあハムサンドを与えてやろう。
ほれ食え。
……食われた。
手首ごと丸齧りにしてきそうな勢いできたな怖え。
しかし心から美味しそうに食べる犬だな。
思わずもう一枚与えてしまいそうだが、その手には乗るか。
この弁当は、妻が俺のために拵えてくれたからには俺がすべて食う義務があるのだ!!
「……で、ダリエルさん。これは一体どうすればいいんでしょう?」
「これとは?」
「いや、だから……!?」
わかっている。
この子犬フェンリルの始末だろう?
きっとこの犬っころは、世界の破滅など望んでいなかった。
望んでいるのは美味しいものをたくさん食べること。
世の色んな犬が、皆等しく望んでいることだろうと思う。
そんなささやかな望みを持っているだけのコイツに、世界を破壊できる力を授けてしまったのは誰なのか。
そんなものに囚われることなく、コイツはこれからただ美味いものを探して貪っていけばいいのだろう。
「……さあ、それじゃあ帰るか」
子犬フェンリルを抱き上げる。
「えッ? その子も連れて帰るんですか?」
「そりゃそうでしょう。それともここに置き去りにしていく?」
小さい子犬一匹を。
「うッ?」
「ダメなのだわ! そんな可愛そーなことデキねーのだわ!」
でしょう?
それ以前に今がどんなに可愛い子犬でも、元が世界を消し去りうる魔獣だからなあ。
放置もできまいて。
「ミスリル鉱山が崩壊したからには、ベストフレッドさんやノッカーたちもここにはいられないだろう。一時的にでもラクス村へ避難してもらおう」
「わーい、お呼ばれだー!」
はしゃぐノッカーたち。
それと……。
「ギガントマキアさんにも来ていただきましょう。来ていただけますよね」
というか絶対逃がさん。
この御方のおかげでミスリルが掘りだせると判明した以上、彼に去られるのは我々の存亡に繋がることだ。
これがサラマンドラだったら塩撒いて追い払ったところだが、かの福の神的魔獣は絶対我々の下にいてもらわなければ。






