306 憎しみを断ち切る
魔王様の何という悪辣さか。
今に意に沿わぬこととはいえ、こんな形で完膚なきまでの否定を突き付けてくるとは。
寄生虫のごとく他者の体表にへばりつくことでしか現世に在り続けることのできない、かつての四天王『泥水』のベゼタン。
その存在自体は、かつて同じように死者でありながら現世に自在だった『天地』のイダやドリスメギアンなどがいたのでまだ許容できるが……。
『ぎゃははははははッ!! わかったようだな! どうだ小僧! 仇を目の前にした気分は!? お前は私によって人生を滅茶苦茶にされたのだああああ!!』
もはやただの悪意をバラまく装置と化している人面瘡。
『そしてベゼリアよ! 我が甥よ! これで納得しただろう! コイツがお前に手を貸すなど未来永劫ありえぬことだ! 何しろお前はコイツにとって、仇の縁者なのだから! 母を殺し、人生を狂わせた恨みはお前にも及ぶ!』
「……」
『さあ、わかったら愚かな考えは捨て、俺に同調しろ! 和解など愚かだ! 人間族と魔族は未来永劫争い合い、互いを滅ぼすしかないのだああああ! そしてこの私「泥水」のベゼタンは、お前の体を借りて今度こそ手柄を立て、究極の大四天王として名を遺すのだああ! 人間族どもの亡骸の山を築き上げてなああ!!』
ベゼタンは喚き散らす。
この性状、生前の行いからしても地獄に堕ちて当然の輩であるが。
いや、今さらどうでもいいことか……。
「黙れ、残り滓。死者が生者の営みに口を出すな」
『ああぁ?』
俺の言葉に、露骨な反応を見せる人面瘡。
『ガキが、ちょっと年を取ったからと言って偉そうに囀るではないか? この私が憎いか? ママの仇を討ちたいだろう? この無能な甥ごと私を消し去るか? んん?』
「ガキガキと煩いがな。今じゃ俺の方がお前の享年より年上だぜ。年長者は敬えよ若僧?」
『減らず口を……!?』
こちとら年相応の人生経験は積んできたつもりだ。
それに比べて、こっちの人面瘡は死んでから豊かな経験を積んでいるとはいえなそうだった。
所詮亡霊か。
「お前の死後、どれだけこの世界が動いたかも知らない様子だしな」
「何だと?」
「一つ教えてやろう」
お前はグランバーザ様をライバル視していたんだってな?
「お前の死後グランバーザ様は三十年に亘って四天王を務め続け、無事引退して有終の美を飾った。在任中築き上げた功績は数限りなく、以後数百年に名を遺すことは確実だ」
お前と違ってな。
『泥水』のベゼタンの死後、その名を覚えている者は誰もいない。
親類であるベゼリアですら覚えていなかった。
「その程度の男だ、お前は」
『何をおおおお……ッ!?』
「お前は、お前自身の分際をもっと正確に知るべきだ。たしかにお前は四天王だが、過去に遡れば歴代の四天王はそれこそ数百人いる。お前はその中の有象無象の一人にすぎない」
グランバーザ様のような飛び抜けた偉才などではないのだ。
『な、何を言う……!? 私は最強の四天王だ、グランバーザよりも誰よりも……!?』
「勇者であった我が父に簡単に負けておきながら、か?」
『……ぐぬぅ!?』
「そう、お前は我が父アランツィルによって倒され、殺された。お前はその程度だ。名を遺すにも値しない」
お前がやったことと言えば精々、出産直後で万全でなかった母を殺した程度だ。
それは俺個人にとって許しがたいことだが、落とし前は既にアランツィルさんがつけている。
罪人であるお前を叩き殺すということで。
「だからお前を今さら許さない意味などない。お前はもう断罪されたんだ。断罪され殺されて、この世から消えた。お前はその残り滓に過ぎない。滓だからベゼリアに憑りつくことでしか現世に存在できない」
『違う! 私は最強の四天王だ! グランバーザなどより遥かに! 何が言いたいお前は!?』
へばりつく滓が動揺している。
俺からの視線が思ったより冷たいもので戸惑っているのか。
『ははあ……!? わかったぞ! 親の仇である私を前にして、恐ろしくて体が動かないのだろう? 仇を討つべきなのにできないのだ! それを正当化するために、わけのわからん理屈をこね上げているだけだ! そうだろう!?』
「お前はもう仇じゃない。仇の残り滓だ。改めて討たれる価値もない」
そう言ったはずだが、バカは何度も言わせるものだな。
すみませんね魔王様。
これを見せられた俺が激高し、本体のベゼリアごと掻っ捌くのをアナタは期待したのでしょうが……。
この程度の悪趣味で我を失うほど、俺も若々しくはないのですよ。
「しかし不快であることは間違いない」
この残り滓を完全に抹消する。
憑りつかれたベゼリアは無事のまま。
その程度の操作は、グランバーザ様アランツィルさんの薫陶を受けて『天』の力を得た俺には造作もないことだ。
「消えろ滓。お前はこの世界にいるには汚らわしすぎる」
「待て」
振り上げるヘルメス刀を止めたのは、ベゼリアだった。
このような汚穢を身につけられて、もっとも迷惑なのは彼のはずだが。
「コイツを、キミに消させるわけにはいかない」
「何だと?」
「キミの手を煩わせるわけにはいかない。コイツを消すのは、私自身の手で行わなくては……!」
ベゼリアの手に魔力が宿る。
「知らぬこととはいえ、我が親族がとんでもない外道をキミに働いていたのだな。そのことを棚上げしてキミに協力を得ようなど、まさに失礼千万。キミたちが落とし前を付けたなら、私も落とし前と付けねば……!!」
何をする気だ?
その手に宿る魔力……規模こそ小さいが、さっきの戦いで決め手とするために浸かった腐食魔法じゃないか?
そんな危険極まりないものを手に宿したまま……。
……自分の胸に押し付けた!?
『あぎゃあああああああああッッ!?』
そしてそれは人面瘡となったベゼタンの宿る部位でもあった。
憑りついた人面瘡を腐食させて削ぎ落とす気か!?
「なんて無茶を!? 滓を削ぎ落とすだけならまだいいが……!?」
その滓の人面瘡が宿っている部位が問題だ。
よりにもよって左胸部……心臓のすぐ上じゃないか。
まかり間違えば即死に繋がりかねない。
「やめろ! 俺に任せればもっと安全に……!」
「それではダメだ……! 私は責任を果たさなければならないのだ……!」
人魔の和解。
ベゼリアが目指すところ。
「その協力をキミに頼む者として、多少の危険は冒さなければ筋が通らない。ヒトにものを頼むということはそういうことだ。ただ苦労を押し付けることじゃないんだよ」
『おぎゃあああああああッッ!? やめろやめろやめろおおおおおおおッッ!?』
魔法による腐食が、ベゼリアの皮膚を広がっていく。
憑りつく人面瘡はひたすら絶叫し苦しむ。
『待て! 待て待て! 私はお前の伯父なのだぞ! 年長の血族になんと言う無礼を働くのだ!? それでも誇り高い魔族の貴族かああああッ!?』
「誇り高いからこそ、キミのような外道を許しておけないのさ。身内だからこそなおさら決然と断罪せねば」
『バカ待てやめろ! わかっているはずだ! 私を宿せば、私の魔力もお前の力になる! 二人分の魔力を操れるんだ! こんな美味しい状態をみずから投げ捨てパワーダウンしようというのか!? 命の危険まで冒して!? そんなの愚かだああああああッ!?』
「私は……、人間族と魔族が和解する争いない世界を目指したのだ……!」
ベゼリアの皮膚がゴボリと泡立つ。
皮膚が破れ、膿のような白い液体がこぼれ地面に落ちる。
鼻を突き刺す悪臭が漂う。
「そのためにも、みずからに関わる憎しみはみずからの手で断ち切らねば……。その覚悟がない者に平和を語る資格はない!」
『何をわけのわからぬことをおおおおおおおおッ!? おげえええええッ! やめろおおおおおッ!? 私は四天王だああああああッ!?』
外道の残り滓が消えていく。
腐り、濁って、本人に相応しい穢れと成り果てながら。
『違う、違う違ううううう……!? 私はこんなことのために甦ったんじゃない……! 愚かな末裔の肉体を手に入れ、今度こそ究極の四天王となって名を遺すために……! グランバーザなど遥かに凌駕した……!?」
お前が何度転生しようと、そんなふざけた事態は巻き起こらないから。
心残りなく消滅しろ。
お前は魂すら存在し続ける必要はない。
「ぐあッ!? ひぃあ……!?」
胸上の人面瘡を完全に腐り落としたあと、ベゼリアは倒れ込む。
全身ドロドロの汗をかき、乱れた息は今にも消え入りそうだ。
俺は慌てて彼の体を受け止め、支える。
「衛生兵! 魔王軍に回復魔法の使い手くらいいるだろ!? 冒険者からも薬箱を! 急げ!!」
ベゼリアの胸部は、腐敗で酷いことになっていた。
肋骨が今にも露出しそうな深度だ。
「こんなに酷くなるまで……!?」
「落とし前をつけない者に理想を語る資格はないからね……!?」
今にも死にそうな顔だが、目の輝きは失われない。
下手をすれば、本当に死んでしまうかもしれなかったのに……。
「………………………………負けたよ」
ここまでの信念に、突き動かされないわけにはいかなかった。
「そりゃ俺だって思うよ、争いのまったくない世界ができたらどんなにいいか」
魔王様はきっと反対されるだろうが、人が望む道を進むことを止めることはできない。
「お前に協力しよう。魔族と人間族が歩み寄れる時代を、俺たちで作れるかわからないが……」






