286 救いの風、吹く(人間族side)
ミスリル鉱山の責任者ベストフレッドは、後退した。
後退といっても恐怖に駆られて無秩序に逃げたわけではなく、敵を勇猛に防ぎつつ、戦力差を計算しながら優位に進めるための秩序ある撤退だった。
「皆いるな? 怪我はないか?」
と聞くと、すぐさま頼もしい答えが返ってくる。
「大丈夫っす!!」
「脱落者ゼロどころか、ロクに手傷も負っていませんよ」
「総督が的確な指示を出してくださったお陰です。しかもあのように強いとは……!?」
「アナタのことを侮ったつもりはありませんが、まだまだ見誤っていたようです」
前線で共に戦った冒険者たちもまだまだ充分に戦えそうだ。
それでも敵とは数で圧倒的な差をつけられている。
消耗戦となればどちらに軍配が上がるか明らかだった。
それでも最初の交戦でよい痛撃を食らわせることができた。
相手は目を回して動きが鈍っている。少しは余裕が出来たようだとベストフレッドは呼吸を整える。
「……事務員たちの避難は完了しているか?」
まずは現状確認だった。
「はい。かねてから打ち合わせていた通り、すべての非戦闘員は避難を完了しています」
「この坑道内に?」
「左様です」
ベストフレッドたちが今いるのはミスリル鉱山の中核、ミスリルを採掘するために掘られた穴の中だった。
鉱石採掘のために深く、複雑に入り組んで掘り進められた穴は、いざという時には頼れる避難場所にもなる。
まず事務員といった非戦闘者を奥に匿いつつ、戦闘者たちは入り口近くで敵を防ぐかまえだった。
今もベストフレッドたちは、坑道入り口から外を窺い、敵が来ないかと待ちかまえている。
「総督が時間を稼いでくれたおかげで、スムーズに避難できました……! 重要書類も残さず持ち出してあります!」
「なら年甲斐なくはっちゃけた甲斐があったな。ヤツらが狙っているのは間違いなくそういうものだろうからな」
相手は商会。
さすれば情報こそを最大の武器とする連中だ。
そうした者たちに鉱石の採掘量とか、鉱山を出入りする人員名とかを記した資料を渡すわけにはいかなかった。
「どんな悪用をされるかわからんからな。いざとなったら燃やす準備をしていてくれ」
「はい……!?」
大量の紙束を抱えた事務員は行動の奥へと走り去っていった。
状況は依然として悪い。
前にも言ったように数の差で既に勝敗は決しているのだ。
坑道に立てこもることで多少は耐え凌ぐことはできるだろう。
しかし、いずれは物量の前に屈する時が来る。
籠城は、援軍が来る見込みあってこそ勝ち目のある戦い方だが、この場合もっとも援軍として望みがかけられるのはラクス村だった。
ラクス村のトップクラス冒険者が、数十名の手勢を引き連れてくるだけで容易に状況は逆転し、不埒な侵入者を殲滅することができるだろう。
冒険者の質は、所属している町村のギルドで大きな差をつける。
キャンベル街の冒険者が近年深刻な人材不足を招いているのは耳に入っていたし、それが事実であるのは先の小競り合いで充分に確認できた。
ガシタ、ゼスターなどによって鍛えられたラクス村冒険者の敵ではあるまい。
「それも、彼らがここに来ればの話だがな……!?」
ラクス村は、ここで起きた異変を知るまい。
近いとは言ってもそれは他の集落と比較すればという意味で、ここで起こる戦火や異様な気配が届くにはミスリル鉱山~ラクス村の間はあまりにも離れている。
「報せの矢は飛ばしたか?」
「はい、でも向こうに危険が知れて、援軍を送ってくれるのにどれだけかかるか……!」
それまでにベストフレッドたちが耐え切れる保証などどこにもなかった。
「いざとなれば……!」
ここで枕を並べて討ち死にし、商会殲滅の口実を作るのがせめてもの悪あがきであった。
「……総督ぅー」
足元で、不安げな声がした。
ベストフレッドが見下ろすと、そこには人間の膝程度の身の丈しかない小人がいた。
ノッカーであった。
坑道に住み着く亜人種で、採掘の仕事はすべて彼らの手で行われている。
ミスリルを得るためにもっとも重要なのは彼らであり、鉱山管理者はノッカーをどれだけ大切に扱えるかが成否の分かれ道だった。
「総督ぅー、また悪いヤツらが来ただか?」
「総督がピンチなら、オラたちも一緒に戦うだー! 悪党は皆殺しだべー!」
ベストフレッドの長年の労力が実を結んでか、ノッカーたちは最大限の信頼を置いてくれている。
本来亜人は、魔族でも人間族でもない者として差別の対象となる。
魔族人間族の中には、亜人など人類の奴隷となるために存在しているなどと思っている者がいて、実戦を知らないエリート階級ほどそういう傾向が強い。
今、敵集団を指揮するリトゲスなどはその典型というべきであり、ミスリル鉱山を占拠したらノッカーをどう扱うか知れたものではなかった。
そう考えた時である。
ベストフレッドの脳裏に微かによぎった『降伏』の二文字が、完全に消えたのは。
「大丈夫だよ。悪いヤツらは私たちが必ず追い払ってやるから」
「総督頼もしいだー!」
「だからキミたちは事務員さんたちを連れて坑道の奥に隠れていてくれ。怪我など絶対にしないようにな」
「総督優しいだー!」
鉱山の中は入り組んでいて迷路のようになっており、道を知らない者が踏み込めば遭難必至。
ノッカーの案内なしに最奥まで踏み込むことは絶対不可能だろう。
ラクス村からの援軍が到着するまでもってくれるに違いない。
とはいえ、鉱山心臓部というべき坑道に侵入者を踏み込ませるのは冒険者のプロ意識が許さない。
「戦える者はここに残り死守だ。不埒者を一歩たりとも坑道には踏み込ませんぞ」
「「「「承知!!」」」」
警備冒険者たちも腹をくくっていた。
その潔さが頼もしい。
「総督、お客です」
「やっと来たか。随分のんびりとしたものだな」
入り口から外を覗くと、視界見渡す限りを囲むように広がる大軍がじわりじわりと迫ってくる。
「罠でも警戒しているんでしょう。それで進行が最大限遅れているんです」
「へっぴり腰の、臆病丸だしな格好だな」
人数だけはいるのだからごり押しで攻め立ててもいいだろうに。
「鉱山所属の冒険者諸君に告ぐ! 抵抗は無意味である! 今すぐ投降されたし!」
何故かいきなり降伏勧告が来た。
「諸君らが奮戦したところで、この人数差は覆すことができない! 勝てない戦いに身を散らすよりも生きることが利益ではないのか!?」
声を張り上げているのはリトゲスだった。
何を今さらという感じだった。
「ベストフレッドくん! キミとて今は指揮者としての身分があろう! 高い地位にある者は、それに見合った賢い選択をすべきではないのかね!?」
「賢い選択だ? そんなことができるなら最初から冒険者になんかならんわ!!」
この場は敵味方総ぐるみで冒険者。
その一同がベストフレッドの啖呵に頷いた。
「冒険者は危険と隣り合わせの職業! 明日には命もないかもしれん! そんな職業に小賢しいヤツが務まるわけがなかろう! なあ! お前たち!」
「「「「おおッ!!」」」」
味方の冒険者たちが応える。
「バカでなければ冒険者稼業は務まらん! だからこそ我々は、潔い清廉なバカであれと心掛けている! リトゲスお前のように陰険で性根のねじ曲がったバカには絶対ならんとな!!」
「なッ……!? なにおぅ……!?」
その言葉が、リトゲスのプライドを傷つけた。
「この私がバカだと……!? おのれ言わせておけば……! だったら望み通り力でねじ伏せてやるわ! 全員突撃! ただしさっきも言ったように無傷で捕らえろよおおお!」
「一体どうすればいいんだ……!?」
リトゲスの滅茶苦茶な指示を受け突撃するキャンベル冒険者たちは不承不承という感じだった。
士気がまったく伴わず、実力を発揮させる様子がない。
これなら長く持ちこたえられる。しかし最終的にはこちらの負けとなるだろう。
ベストフレッドがそう腹を括ったその時であった。
「わぎゃああああああッ!?」
「え? なんだ!? 風? 竜巻!? ふげえええええええッッ!?」
突如目の前で起こる不可思議な現象!
鉱山入り口の真ん前に風が吹き込んだと思ったら瞬く間に風勢を増し、うねる竜巻となって襲い来る敵を弾き飛ばした。
位置的にもまるで、ベストフレッドたちを守る障壁となったのように……。
「……ふう、やっと理想的な陣形になってくれたのだわ」
「えッ!?」
空から降りてくる絶世の美女。
どういうわけか空を飛んでいる。
「味方は攻撃するなって言われてるから紛らわしく混ざってない状況で、かついい感じに密集した今なら気持ちよく吹き飛ばせるのだわ。ここまで待ったわたくしは、まさに策士なのだわ」
「何だお前は……!?」
リトゲスもまた天を見上げて震えるばかり。
この、状況を一変させる美女は……。
「ただの通りすがりの絶世華麗美女とだけ言っておくのだわ」
元四天王のゼビアンテスであった。






