252 ダリエル、五年後の村を視察する(四)
ラクス村の外れ、……というより完全な外部。
もはや人も寄り付かぬ森の中に一軒の小さな庵が結んである。
そこへ俺が訪ねると、主人は最初から待っていたかのように手際よく茶を出してくれた。
一般的な紅茶とは違う、茶葉そのものを粉になるまで挽いて、それを丸ごと湯で溶かした非常に味の濃いお茶だった。
それを取っ手のついていない非常に大きな器で飲む。
相手の故郷に伝わる飲み方で、古き作法にも通じるという。
「……けっこうなお点前で」
「村長殿も、随分と茶の湯に慣れてきたご様子。これだけ間を置かず通い続けなされれば無理もありますまいが」
客人をもてなす庵の主人は、切れ味鋭い笑みを浮かべた。
その名をセッシャさんと言った。
かつて勇者パーティのメンバーとして、レーディと一緒に幾度もの修羅場を潜り抜けてきた。
文句のつけようがない強者だった。
しかし今はそうした経歴、見る影もなく、森の奥で隠者然とした暮らしをしている。
俺は再び器の中の濃茶を飲み……。
「……不自由はありませんか。ここまで森の奥だと足りないものも多いでしょう。寒さも一段と厳しいに違いない」
「お気遣いかたじけない。なれど、この庵には足りぬ物などなく、すべてが満ち足りてござるよ。何もないことを善しとするなれば……」
再び抜身の刀のような笑みを浮かべるのだった。
勇者パーティのメンバーだったセッシャさんは、一年ほど前からここで世捨て人同然の暮らしを続けている。
正確には、レーディが魔王討伐のために発ってから。
それからいまだ帰ることのないレーディを待ち続けるようにセッシャさんはここに隠棲している。
いや、レーディの帰りを待ち続けるというのなら、わざわざ人里から離れる必要などない。
ラクス村の中で住居を得て、働きつつ暮らしていけばいい。
同じく勇者パーティのメンバーだったゼスターはそうしている。
願わくばセッシャさんにも人里で暮らしてほしいと願うのだが。
彼ほどの上級冒険者が再びギルドで働いてくれたら、それはもう心強いし。
そんなわけで俺は定期的に、セッシャさんの庵を訪れて様子をたしかめつつ、説得を試みているのだが……。
「……このカップ、またセッシャさんの自作ですか? 以前見たものとは違いますね」
「『茶碗』と申す。ここでは時間が有り余る故、手遊びの法がいくらあっても困り申さぬ。土を捏ねて窯で焼き、下手くそな侘び碗など拵えるのも一興でござる」
「セッシャさんは、この生活に満足していますか」
「満足……、と申すもいささか違うござるな」
セッシャさんが空の手を差し伸べる。
茶碗を返せと言うのだろう。
素直に差し出すと、戻った碗に再び茶の粉を入れ、湯を注ぎ激しく混ぜる。
お代わりをくれるようだ。
「拙者はここで見つけ直したいのでござる。自分が何者であるのかを」
「セッシャさんは、セッシャさんでしょう?」
「左様。……されどセッシャとは何者でござろう? 屈強な槍使いの冒険者? 勇者パーティに入れるほどの腕前? 拙者自身かつてはそう信じてござった。しかし信じられなくなった。あの時から」
あの時。
それは間違いない。レーディが魔王城へと発って行った時のことだろう。
「我々は勇者殿に同行しませなんだ……!」
そう、魔王の元へはレーディ一人で向かった。
それまで苦楽を共にしてきたパーティの仲間を残して、レーディはたった一人で魔王に挑んだ。
そして帰ってくることがなかった。
「仕方ありません。単独行動はレーディが言い出したことです。セッシャさんが気に病むことは……」
「いえ、勇者様はきっとお気づきになっていたのでござろう。拙者にもはや、魔王に対抗できる気概など戻っておらぬと」
「気概ですか」
「左様」
セッシャさんはみずからの内臓諸共吐き出すかのような深い溜息を吐いた。
「拙者のみにござらぬ。ゼスター殿も、サトメ殿も、心をへし折られてござる。あの、人智を超えた地獄の戦いによって」
甦る記憶は、真に地獄と思いたくなる激戦。
いや、あれを戦いと呼んでいいものか?
ただ魔王様が小虫に等しい反逆者を一方的に嬲り殺したに過ぎないんじゃないか?
かつて打倒魔王を掲げるインフェルノの下に、魔王様当人が突如現れた。
そして俺やアランツィルさんやグランバーザ様、世の最強者たちが散々手こずった怪物インフェルノをあまりにも一方的に焼き尽くしてしまった。
その様子を、駆けつけた勇者パーティは目の当たりにしたのだ。
「あの恐怖に直面し、拙者の心には深く刻まれてしもうてござる。『魔王には絶対に勝てぬ』と、たとえどんな状況にあったとしても『魔王と戦うことだけは避けねばならぬ』と」
あの時、インフェルノは炎の魔獣と合体し、みずからの体を超高熱に変質させていた。
魔王様はその上から超々々高熱でもって超高熱体を焼き尽くした。
あれを目の前にしてはどんなに鈍かろうと……、木石であっても恐怖で震えあがるだろう。
「あれを見て、拙者はもう戦えなくなったのでござる。魔王とは。戦えば必ず殺される。いや殺されるだけならまだいい。それ以上の苦しみに遭うのではないかと地獄の亡者を見て思うたのでござる」
そう思ったのは何もセッシャさん一人だけではあるまい。
ゼスターも、サトメも、魔王様の超常的戦いを目の当たりにしただけで心を折られてしまった。
それが正常な反応なのだ。
むしろ彼らのように、勇者との同行が許されるだけの強者ならなお一層、まざまざと魔王様の恐ろしさが伝わることだろう。
「勇者殿もきっと、あの恐怖の情景に心胆打ち砕かれ、魔王討伐を取りやめるとばかり思ってござった。しかし違った。勇者殿はそれどころか進むことをやめず、それどころか魔王を倒さんとしてござった」
「その心の強さこそ、まさに勇者でしたね」
本当に、レーディは。
しかしそれについていける者は、そういない。
既に魔王によって心を折られた仲間三人。彼らを道連れにするのはあまりにも可哀想だと、レーディは単独での魔王挑戦を決めたのだろう。
「……まこと、戦人として恥ずかしき限り。勇者様を見送ってのち、拙者にはもう槍をとる資格はないと思い至ったのでござる。こうして世捨て人として日暮らすのが似合いの馬骨にて」
レーディが旅立ち、勇者パーティが解散したあとメンバーはまったく違う行く末を選んだ。
セッシャさんのように隠棲してしまう者もいれば、ゼスターのように我が村のギルドに所属し、人々のために働く者もいる。
サトメは一人センターギルドへと戻った。
「皆、心を挫かれ以前のようには戻れませぬ。ゼスター殿ももはや、我が身を立てるという野心は持たれますまい。ただ鍛えた力を世人のために役立てることのみが、今のあの方の有り様でござろう」
「サトメは……?」
「彼女には彼女の考えがあるようにござる。ただ幼子の頃より勇者様のためにあらんと働いてきた女子。心折られたとて止まることはござるまい。強き人にござる」
短い間であっても共に命を預け合った仲間。
心は充分に通っているらしかった。
しかし魔王様のあまりに恐ろしさに打ち砕かれた心は容易には治らず。
セッシャさんはこの草庵で、静かに草木と溶け合うことで砕けた心を癒しているようにも思えた。
「ところで村長殿」
「はい?」
「村長殿は、噂の真偽をいかに見られる?」
『何の噂か?』と問うまでもない。
彼らの一番大事な仲間、勇者レーディの生死についてだろう。
世間は完全にレーディを死んだものとみなしている。
そう思うのも当然だろう。
魔王に挑んで魔王健在なら、勇者が負けて死んだと考えるのが自然。
敗北した勇者を生かしておく理由など魔族側にはないのだから。
「しかし俺たちは既に知っている。魔王様のあまりに常識外れな存在自体を」
レーディが敗れたというのなら、かつてのイダさんや俺の母のようにヴァルハラの人になっている可能性もある。
それを生きていると判断していいのかは難しいところだが……。
「でも俺は、レーディは生きていると思うよ」
ヴァルハラにも地獄にも囚われず、レーディはレーディとして今もこの世界に在り続ける。
「彼女こそ真の勇者だ。その彼女が自分の成し遂げたことも曖昧にしたまま早々に去ってしまうわけがない。彼女は自分の偉業を示すためにももう一度オレたちの前に戻ってくる」
「然り」
セッシャさんは、抹茶の入った碗を差し出す。
「されば拙者も、ここで勇者殿の帰還を待つことにいたしまする。我が心という砕け散った器との、向き合い方を考えながら」
俺は二杯目のお茶をとると、器をじっくり眺めてから口をつけ、中身を飲み干した。
……苦いなあ。
「けっこうなお点前で」






