240 母を送る
「では、私も還るとしようヴァルハラへ……」
魔王様去りしあと、そう言ったのは『天地』のイダさん。
かつては魔王軍四天王の一人であったものの、その死後取り立てられてヴァルハラという別世界へと昇る。
そこで死ぬことも老いることもない超越的存在となった彼だが……。
そんな彼が再び地上へ戻ってきたのは、地獄の脱走者インフェルノたちの追撃のためだった。
「ヤツらももう地上から失せきった……。であればもう私がこの世界で為すことはない。特に何かした記憶もないがな」
イダさんは自嘲気味に言う。
「結局のところ、多くのインフェルノを倒し、ドリスメギアンまで止めるに至ったのはお前たちの功績だ。私はそれを見届けるだけに過ぎなかったな……」
「本当にそうですよ」
後ろでゼビアンテスのヤツが『コイツ誰に対しても容赦ねーのだわ!』と叫んでいた。
何のことやら。
「ダリエル、キミのおかげでドリスメギアンはもう二度と悪事を働くことがない。それはこの世界にとってたしかによいことだ。もっと早くにこうすべきだったのだろうが」
「いえいえ」
「本来、私の役目だったのだろうが、いつまでも手をこまねいていたこと慙愧に堪えない。キミこそが功者だ。この戦いにおける英雄だ」
いや別にそんなことないですが。
「もはやこの世界でキミたちと再び会うことはない。次、会えるとしたらキミたちの方がヴァルハラにやってきた時だ。キミも、その父親も充分にヴァルハラへと昇る資格がある」
「俺は、そちらへ行くつもりはありません」
充分な期待をかける先方へ、俺は申し訳なさを含めながらもハッキリ言った。
「俺は、この現世を精一杯生き抜くつもりです。家庭を営み、多くの子どもを育て、俺を慕ってくれる人々を守る。生活を豊かにしていく。それが人生の意義だと考えています」
「…………」
「戦いは手段です。豊かな生活を守るか、もしくは発展させていくための。戦いそのものに囚われるつもりはありません。死んだあとも」
「ではキミ自身は死したあとどうするつもりだ?」
「他の多くの人々と同じように」
無論俺だって、自分が死ねばどうなるか知らない。
だからこそ死は怖い。
誰もがそうであるように、永遠の無が待っているかもしれない死後を俺も恐れないわけにはいかない。
「いざ死を前にして恐れることのないように、豊かな人生を歩むことが大事なのだと思います」
「よかろう、ならば別れはしっかり済ますことだ」
イダさんは言った。
「キミがヴァルハラに来ないなら。今が正真正銘、最後の、母親と言葉を交わす機会だ」
振り向くとそこに、俺より若い外見の美しい女性が立っていた。
エステリカさんだった。
寄り添うように隣にアランツィルさんが立ってた。
「……わかっていたわ、アナタがヴァルハラを拒否することは」
寂しそうな彼女の口調は、しかしどこか反面誇らしげでもあった。
「あの人の息子ですもの。アナタたちはしっかりと生を見据え、あの御方が作り出すまがい物の天国に囚われたりしない。私のように亡霊になったりはしない」
「母さん……!」
思わずそう呼んだ。
この人こそ赤子だった頃の俺を、命を懸けて守り抜いた女性。
「俺は、アナタのおかげで今日を生きています。ありがとう、俺を守ってくれて」
そしてもう一つ。
「愛してくれて、ありがとう」
アナタは俺を愛してくれたからこそ命を懸けて守ろうとした。
アナタの行動こそ愛の証だ。
違う理由を並べることもできる。
行動から原因が生まれることもある。
「アナタが俺を守るために戦ってくれたから、アナタは俺を愛していた。愛する男の血を引く俺を」
「違う! 私は……!」
生前、功名心と野心によって魔王討伐を追い求めた女勇者。
その大望は、実力不足から達成されることはなかった。
代わりの次善として目論まれたのが、最強勇者の妻として功労を共有すること。
エステリカさんは、ただアランツィルさんを利用しただけだったのか。
「エステリカ。この言葉は、私自身があの世に行くまで伝えることはできないと思っていた。でも今ここで、お前が目の前にいるなら言う」
迷わず。
アランツィルさんの勇者としての果断さがここでも生きる。
「わかっていた。お前が、俺を通して勇者の成果を得ようとしていたことに。自分自身が最強の勇者になれないなら、せめて俺を使って、最強の勇者にもっとも愛される者の地位を得ようと」
アランツィルさんは、それでもいい。
「私はお前を愛している。私がお前の役に立てるなら、勇者になるのもまったくかまわないと思った。お前のためなら何でもできる。お前は私のすべてだ」
「…………ッ!」
「私がお前を愛することが私のすべてだ。お前には、それを受け入れてもらえば他に何も望むことはない。お前が私を愛してくれているかどうかなど問題ではない」
「アナタ……!」
「だから、そんなことで自分を責めなくてもいい」
エステリカさんの両目から滝のような涙が流れ出た。
超越した不死者からも涙を抑えることはできない。
「アランツィル、我が誇らしき夫。アナタはこの世ですべき仕事をなし終えたのでしょう。若くして世を去った私にはとても羨ましいこと」
「それでもお前はもっとも重要な仕事を成し遂げていった」
「きっと私と共に過ごしていた頃より、ずっと賢明になっていることなのでしょうね。私も一緒に過ごしたかった。一緒に老いて賢明になりたかった」
エステリカさんは最後に、夫である人と固く抱擁しあってから振り向いた。
俺へと。
「きっと辛いことの多い人生だったのでしょうね……!?」
「素晴らしいことも多かった。俺がそれらすべてに向かい合うことができたのは、アナタが生んでくれたおかげです」
「ああ、アナタは本当に父親によく似た大いなる者。アナタをこの身で生んだことこそが何より誇らしい」
その時、エステリカさんの体に劇的な変化が起こった。
彼女の体が白く発光する。
その光に解けるように、彼女の体が表面から少しずつ、塵へ変わっていく。
「『エインヘリヤル体』が消滅運動を……、これはまさか……!?」
「申し訳ありませんイダ様。私はヴァルハラには帰れません」
何かを思い当ってイダさんは当惑する。
「私は満足してしまった……! 私を愛する人たちがいることを知って、もうこの世界に未練などありません。あの御方にお伝えください、挨拶もなく去ることをお許しくださいと」
「かまわんさ、あの御方はしもべの去就には拘らない」
ああ……!
エステリカさんが、母さんが消えていく……!
体が塵になって、少しずつ減っていく。
光となって解けていく。
「エステリカ!」
「母さん!」
俺とアランツィルさんが同時に叫んだ。
きっと俺もアランツィルさんと同じぐらい情けない顔つきをしていることだろう。
それを交互に眺め、エステリカさんは嬉しいような困ったような笑顔を作った。
「悲しまないで。私は行くべきところに行くだけ。満足して死んだ者が本来行くべき場所へ。アナタたちもきっといつか行くことになるわ」
そう母さんに言われてなんとなくわかった。
地獄もヴァルハラも、所詮はあの方が作った仮初の彼岸に過ぎない。
本来行くべき魂を閉じ込め、この世に止め置くための虫籠のようなもの。
しかし、真に迷いを払い、この世に未練をなくした魂はオージンですら縛り付けることはできない。
神すら理解の及ばない領域へと旅立ち、そして二度と還ることはないのだ。
「エステリカ、今度こそお別れなのだな」
「ええアナタ。次会う時は、私もアナタも知らない、ずっと向こうのどこか遠くで。私はアナタに気付くことがないかもしれない」
それでも……。
「アナタのことを心待ちにしているわ」
「私もいずれお前のいる場所へいこう。……もう少し、もう少しこの世界を見届けてから。私たちのダリエルがこの世界で何を為すか、ダリエルの子どもたちがどう成長していくかを見届けてから」
「急ぐ必要はないわ。きっとこれから私が行く場所は時間をも超越しているのだろうから。……最後に、本当にこの世での最後に、アナタ……」
エステリカさんは、最後の一欠けらになった我が身で、アランツィルさんの老いた体を優しく撫でるように。
「私はきっと、たぶん、アナタのことを愛していた」
それが彼女が、この世で得た答え。
その答えを抱いて、彼女はこの世から消えていった。
「彼女の魂は解き放たれたのだ……」
同じ死から解放されしイダさんが説明するように言った。
「キミたちという真理を得たことで、彼女は完全に生からも死からも解放された。きっとあるのだろうこの世界の外側に、ここでの用を終えた者たちが向かうべき次の世界。彼女はそこへ行ったんだ」
ああ、わかる。
母さんは俺たちに託して、安心して去っていったんだ。
あらゆる迷いと苦しみから解放され、輪廻からも外れ、二度と甦ることこともなくなった。
ここで一区切りになります。
一旦お休みをいただいて、次の更新は2/15(土)を予定しています。しばしお待ちください。






