238 魔王、哀哭する
地面に空いた穴から出て、俺は現世へと帰還した。
「ダリエル!」
「ダリエルさん!?」
多くの人が俺の名を呼ぶ。
炎魔獣サラマンドラの体にしがみついていた俺は、充分安全だと確認すると鱗を蹴って飛び、地面に着地する。
サラマンドラのヤツは、ドリスメギアン消滅と同時にその中から現れ、地獄から飛び立とうとした。
それで俺も便乗させてもらったのだ。
お陰で労せず崩壊する地獄から脱出できた。
「ダリエルさん! 無事ですか!?」
「何を考えているのだ! 地獄へ飛び込むなど!?」
「もー生きて再び会えないと覚悟したのだわ!」
周囲に多くの人が集まり、取り囲む。
よほど心配をかけてしまったようだ。
まあ今思えば実に無茶苦茶なことをやったと自分でも思う。
「すまないな心配させて。……でも、これでドリスメギアンは消滅した。以後二度と、現世に現れて生きている人々に迷惑をかけることはない」
それをしたいがために俺は地獄まで下りていったのだからな。
これまであの亡者は、幾年幾度災いをもたらしてきたことだろう?
ヤツ自身の妄執のために、今度のようなことを繰り返してきたに違いない。
誰かが終止符を打たねば十年後か、百年後か、また同じことを引き起こすだろう、ヤツが打倒魔王を諦めない限り。
それは現世の人々にとって迷惑でしかなかった。
だから俺が消した、ヤツを。
「アランツィルさん、グランバーザ様。後世への憂いを断ってきました」
二人の父にも報告を欠かさない。
「ああ」
「よくやったなダリエル……」
二人は苦笑交じりに受け止めた。
やはり英雄にすら呆れられるほどの無茶だったということだろう。
そしてもう一人……。
「ドリスメギアンくんが、消えた……!」
魔王様は立ち尽くしながら地面を見下ろしていた。
かつて地獄の穴があった地表。しかし地獄の完全消滅と共に、その出入り口も消え去って、今はない。
けっこう際どかったんだな。
飛び上がるサラマンドラにつかまらなかったら俺もヤバかったかも。
「ドリスメギアンくんが……、消えた……!」
魔王様は、そればかりを繰り返し呟く。
あの御方にとって、あの怪魔の消滅は何を意味するのだろう。
地獄に堕とされながらも、執拗に打倒魔王に縋り、数百年の長きにわたって蠢き続けた男。
見てくれもそうだったが、精神はさらに怪物的であった。
そんな怪物の消滅に、魔王様は、どんな心境を持つのか。
「ドリスメギアンくんが……! ドリスメギアンくんがあああああ……ッ!!」
その反応は、予想以上のものだった。
魔王様が泣いた。
それどころかボロボロ大粒の涙を流し落とし、膝を折って地面に崩れ落ちたのである。
「ドリスメギアンくぅうううんッッ!! 死んじゃヤだ! 消えちゃヤだよぅ!! ドリスメギアンくぅんーーーーーーーーーッッ!!」
のたうち回るように地面の上を転がる。
土埃けたたましい剥き出しの土の上を。豪華な衣装が汚れるのかまわず駄々っ子のように。
忠誠を捧げてきた敵への哀哭を撒き散らす。
「ヤダヤダヤダヤダッッ!! 死んじゃやだようッ! もっとぼくちんを煩わせてよぅ!! ドリスメギアンくうううううぅーーーーーーんッ!! ずべべべべべッ! びーぢゃあああああああああーーーーーーーーーッッッ!?」
泣き叫びながら手や足で地面を叩く。その衝撃が案外激しく、周囲を囲む俺たちの表面にビリビリ伝わってきた。
さらに遠巻きに見守るラクス村冒険者たちは驚いて尻餅をつく者多発。
俺も地面がグラグラ揺れる錯覚に、腰を落として踏ん張らねば倒れてしまいそうだった。
……いや、実際揺れてる?
駄々で地面を揺らし、泣き声で空気を震わせている!?
「ぴぃやあああああーーーーーッッ! ずべばあああああーーーーッ!? メギアンくん! ドリスメギアンぐぶぶぶぅーーーんッ!! 生き返ってよおおおおッ! 帰ってきてよおおおおおッッッ!!」
まさか魔王様が、ここまでヤツの消滅に取り乱すとは!
このままじゃ魔王様の慟哭ただそれだけでラクス村が壊滅しかねない!
でもどうやって止める?
あんな状態の魔王様に進言できる人がいるのか!?
グランバーザ様!? イダさん!?
『見苦しいぞクソガキ。耳障りな泣き声をやめろ』
そこへ差し込まれる待望の諫め。
しかし誰だ!?
さすがに率直すぎだろう、恐れ多いぞ!?
誰の暴言かと思って見回したら、意外なところで視線が止まった。
天空にたたずむ炎の竜?
「炎魔獣サラマンドラ!?」
『お前は相変わらず下らん遊びがすぎる。人の子の一途なるところにつけ込み、限界以上まで働かせる』
あの竜喋れたのか!?
これまで一言も喋らなかったけど!? いやでも人間領で出会った別の魔獣はペラペラ喋ってたような!?
『お前のそういうところはまさに下衆だ。そんなことだからハイドラもウィンドラもお前に愛想を尽かせる。無論オレもだ』
「……サラマンドラちゃんが意地悪だよう。とってもとっても悲しいのに、慰めてくれてもいーじゃん!?」
『皆お前のことが嫌いなのだ。優しくしてやる謂れはない』
魔王様と対等の口ぶりで話す魔獣。
ヤツらは伝説にも登場する存在で、元々は魔王様によって生み出されたといわれている。
だから知り合いなのはあり得るとしても、会話がぞんざいすぎる……!?
「大体性格悪いのはサラマンドラちゃんだってそーじゃん? 魔獣の中でキミだけだよ。使役魔法にかかったふりして自分を操ろうとしたこの精神蝕むのって。そうやって破滅する人を内側から眺めて楽しんでるんでしょう?」
『愚か者の自業自滅は見世物としては面白い。永き世の無聊慰めよ』
「だったらぼくちんとやってること同じじゃーん。ぼくちんたち同類だよね!? 仲良し!」
『やめろ気持ち悪い』
炎竜は上空を泳ぐようにうねる。
『しかし今回のヤツは最悪だった。お前への妄執で我が精神支配を凌駕するなど。もう二度とアイツに煩わされることがないというのが救いだな。……人と魔獣が二度と触れ合うことのないというのが最良なのだが』
そして少しずつ、空気を掻きながら上空へ上がっていく。
『オレはもう去る。できることならここにいる誰一人とも二度と出会わぬことが望ましい。後世にでも伝えておけ。我ら魔獣に関わることは、破滅への第一歩だとな』
そして炎魔獣サラマンドラは遠い空へと消えていった。
俺も強いてまた会いたいとは思わない。
あの赤い巨体を見るのが人生最後となることを祈るばかりだった。
「…………魔王様」
俺も意を決して注進した。
「ドリスメギアンは世の害悪です。自分の目的のために破壊することも殺戮することも厭いません。世にあってはいけない邪悪です。だから消し去りました」
炎魔獣が諫めてくれたおかげで魔王様もだいぶ落ち着きを取り戻していた。
弁明をするならこのタイミングしかなかろう。
魔王様はドリスメギアンの消滅にかなり傷心の様子だし、あるいは腹いせに殺されてしまうかもだが……。
「魔王様がこの世界の支配者であり、思うが儘に振舞えるのはわかっています。しかし、人もまたこの世界に生きる者であれば、脅威を除くのは当然のことかと」
「うん、ごめんちゃい」
魔王様、素直。
「そうだよね……、ドリスメギアンくんはあまりにも一生懸命で、応援したくなってしまうんだけど、手段を選ばなすぎたよね。それで世間の皆様にメーワクを掛けてしまったのに、対処しなかったのはマズいよね」
と反省のセリフまで出てくる。
「いや、実際にはイダくんを遣わしたり、あまりに被害が拡大しそうだったんでぼくちんみずから出てきたりもしたんだけど。今思えばもっと徹底してやっとくべきだったね。……本当にメンゴメンゴ」
世界の支配者で、その気になれば人類も一瞬で滅ぼせるであろう魔王様に、ここまで殊勝にされたら何も言えなかった。
本当に殊勝なのか若干戸惑うところもあるけれど。
「魔王様は、世を混乱に陥れるためにドリスメギアンを……というかインフェルノを放ったわけではないのですね?」
「もちろんだよお、ぼくちんはこの地上に生きとし生ける者たち等しく愛してるよーん」
なんだか胡散臭い。
それはこの御方はずっと前からそうであったが、少しずつこの御方に関してわかることが多くなっていくほどに不気味さが増している。
「……お聞きしてもいいでしょうか?」
「なんじゃらほい?」
「ドリスメギアンは、何故アナタを倒そうとしていたのでしょうか?」
戦えば戦うほどわかった。
あの怪物は、打倒魔王様への目標に執着しようと、しかし心底では魔王様への敬愛が渦巻いていた。
ヤツほど魔王様への忠誠心篤い者は空前絶後であるかもしれない。
ヤツは誰でもない魔王様のために、魔王様を倒そうとしていた。
「何故ヤツはそんな屈折した行動をとるようになったのでしょうか? もし答えがあるのなら、教えていただけないでしょうか?






