237 ダリエル、地獄を斬滅する
かまえは正眼。
もっとも基本的な体勢。
体の中央にあるがゆえに、上段へ向かおうと思えば即、上へ行き、下段に向かおうと思えば即、下へと向かう。
左右どちらに向かうも自在である。
それは中段にあるから、あらゆる中心にいるからどこへ向かうにも自在になれる。
それは人生でも同じこと。
中道。
「動きを止めてどうした!? 諦めたか! よかろう亡者ども囲み殺せ! そしてダリエルを我らが仲間に向かえるのだあああああッ!」
いかなる暴威に晒されようと心を波立たせない。
湖面のように平らかにすることで、我が心は空をも映し出すことができる。
空の色は白。
混じり気ない白。
それが無を映し出すにもっともふさわしい色だから。
人には肉体があり、心がある。
だから真の無になりきるなど絶対にできないし、その無理を押して無になろうという蟠りが却って無を遠ざける。
我が偉大なる、二人の父が教えてくれた。
アランツィルさんは憎しみという最悪の紛れを克服することを。
グランバーザ様は慈愛に屈することを教えてくださった。
いずれも、それぞれが人生の大半を懸けてたどり着いた境地。
その境地にいまだ若造の俺が迫ろうなどおこがましい。
しかし、先人が見せてくれた手本を倣うことで、後塵の俺は曲がりなりにもその場所を夢想することができる。
それが、受け継ぐということではないか。
一つ先の、偉大な人々が打ち立てた指標へ向かい。
このダリエルが今一歩を踏みしめる。
俺のあとに来る者がまた一歩を踏みしめますように。
そのためにドリスメギアン。
誰からも受け継がず、誰にも送り伝えない無様なる独りよ。
お前は邪魔だ。
「白い色……」
即ち。
「『是空』」
我がヘルメス刀から放たれる技は、『凄皇裂空』でも『絶皇裂空』でもない。
まったく新たなる技だった。
これ空。
その名をもって放たれた斬閃は、ドリスメギアンでもなく、周囲にいる有象無象の亡者でもなく、襲い来る大地そのものでもなく……。
地獄の天に、白い斬り傷を付けた。
「なッ? なに……ッ!?」
ドリスメギアンも惚けながら空を見上げる。
地獄の空は、刻まれた切り目に沿って、少しずつズレていく。
少しずつ裂けていく。
「いや待て……!? 斬り裂かれる!? 地獄が!? どういうことだ!? そんなことがあり得るのか!? しかし裂かれていく! 斬られた地獄そのものが裂き分かれていくううううううッッ!?」
ドリスメギアンは地獄の主であった。
だからわかるのだろう、自分の世界が崩壊していく感触を。
「ウソだッ!? おのれええええッ!? ……止められない!? 地獄に刻まれた断裂を修復できない! 崩壊を止められないいいいいッ!?」
異変はどんどん大きくなっていく。
もはや断裂は、天だけでなく地獄の地表にも走り、裂け目の中に獄炎は吸い込まれ、亡者たちは落ちて消えていった。
地獄よりさらに下に落ちるとは。
でもその底にあるのは完全な無だろう。彼らは地獄の責め苦より解放されたのだ。
「このどうしようもない不可逆破壊は……、まさか、あのアランツィルの!?」
「お前自身食らったんだもんな、それは思い当たるか」
アランツィルさんが新境地として編み出した『凄皇裂空』を超える『清応裂空』。
俺が放った技は、その真似事に過ぎない。
真似したものは他にもう一つあるが。
「ダリエル! お前もアランツィルと同じ技を!? ……いや、違う? 極めて似ているが、それだけなら地獄を断ち割るほど不可解な力には足りない!? なにか、別のものが加わっている!?」
今や地獄は、そこかしこに俺の刻み付けた断裂が広がり、ボロボロになりつつあった。
その断裂から発せれる光があった。
光の色は白。
「この白光、まさか……!?」
「そっちにも見覚えがあるよな? これもお前が食らった技だからな」
グランバーザ様の放った白い炎。
慈愛こそが炎の力だというあの方の辿りついた回答が、絶技として形になった『慈光兜率天』。
その白い炎に手も足も出なかったドリスメギアン。
苦い記憶が甦るか。
「アランツィルの技と、グランバーザの技を合わせたというのか!? そんなバカな!? そんなことをできるはずが……!」
「ドリスメギアン。地獄に巣食うお前はたしかに最悪の相手だ。世界そのものを敵にするなど想像を絶する困難だ」
しかしそんな最悪の相手だからこそ。
「最高の英雄二人の秘奥義を、合わせるぐらいしないと倒せないだろう?」
アランツィルさんの『清応裂空』。
グランバーザ様の『慈光兜率天』。
この二つの大技を俺なりに理解し、要諦を抜き取って二つ合わせた。
その技が『是空』。
放たれる空の刃は、世界すらも斬り裂き、割る。
「何をバカな! そんなことが簡単に実現できるなら、オレの地獄での数百年の苦労は何だったというのだ!?」
ドリスメギアンが混乱の極みに。
「アランツィルの技はオーラ! グランバーザは魔法なのだ! それを合わせるなどできない! 水と油を合わせるようなもの! ……だが、だがそれを可能にすることが唯一の方法。……あの御方を倒すための!」
地獄の、完全なる崩壊が始まった。
白い亀裂はもはや地獄全部をくまなく覆い、千々に刻み分けようとしていた。
亡者たちは地獄の大地と共に裂かれ、消滅して二度と苦しむことはない。
無という安息に沈んでいくんだ。
「ダリエル! お前はどうやってオーラと魔力の融合を果たした!? そうでなければ説明がつかない!」
「できたものは仕方がないだろう?」
「このオレが……、ジークフリーゲルやアボスを素体にして数百年かけて完成させたものを、お前がたった三十年で追いついたというのか!? ふざけるな! あまりにふざけている! 何も知らない若造風情があああッ!」
「自分一人で、他人を利用しながら進む歩みなどその程度ということだ」
お前は自己に拘りすぎた。
他者と交わることを知らずに独りで没頭する数百年など、万人と交わりながらその一部として流れ棲む一年にも値しない。
「俺は、尊敬するあの二人から尊い教えを受け継いだ。そして俺も子どもたちに伝える。今日お前を滅し去ったものは、その程度のものでしかない」
「違う! 違う違う違う! それは人類が求める究極の境地だ! お前はオーラと魔力の融合に成功した! その力でもって地獄を、世界そのものを滅し去った! これはオージン様にすら届く凶刃んんんんんんッ!!」
白い亀裂が、ドリスメギアンの四肢にまで及び始めた。
地獄はヤツ自身。
そう本人が言ったことだ。
だから地獄が滅し去れば、ヤツ自身も消えるしかない。ドリスメギアンも地獄と共に消滅する。
「し、しかし……! オーラと魔力を融合させるといっても、お前はどこから魔力を確保した? お前は人間族だ。絶対的にオーラしか扱うことはできない。だからオレは、最終的にお前と融合して、その段階に至ろうとしていたのに……!」
一瞬、ドリスメギアンの動きが止まった。
もはや数えきれないほどの白い亀裂をまとい、何かに気付いたような。
「…………そうか、バシュバーザか!」
「何?」
「消えゆくアイツから魔力因子を奪って取り込んだか!? そんなことができるとは考えもしなかったぞ! しかし! なんという奇貨!? 素晴らしいぞ!」
何を言っているんだアイツは?
どうしてここでバシュバーザが出てくる?
地獄の亡者として蘇り、そして俺の腕の中で消滅していったアイツを……!?
「ご覧くださいオージン様! この素晴らしい極致を! これこそ人類進化の極みにございます!」
ドリスメギアンの体は亀裂に切り刻まれ、手足などもうボロボロに朽ちている。
「このダリエルが! バシュバーザの魔力因子を取り込み、オーラと魔力の融合霊気を生み出すに至ったダリエルが! 必ずやアナタ様を絶命至らしめるでしょう! その功績は我が物にございます!」
あ?
「オレがダリエルを見出し、バシュバーザをぶつけたことで完成したのでございます! ダリエルこそ我が最高傑作! どうかお見届けくださいオージン様!」
勝手なことを言うな。
俺はお前からなにも受け継いでいないぞ。
多くの人から様々なものを預かり、借りてきた俺だが。
お前からだけは何も貰っていない。
「オレこそが! オレこそがアナタ様の忠臣でございます! 最後まで、最後までアナタのために働きました! オレ自身でことに至らぬのは無念ながら、きっと最後の仕上げはダリエルが果たしてくれることでしょう! 我が望みを託し、必ずやアナタ様を打倒して見せましょう!」
「死ね」
付き合いきれなくなって、俺は続くとどめの一刀をドリスメギアンに降り下ろした。
すでに充分亀裂に覆われていたヤツは、朽木のように呆気なく木っ端微塵となって砕けた。
その破片も、さらに細かい粒子に解け、その粒子もまた消え去って完全な無となった。
呼応するように地獄そのものも白い光を放ちながら砕け、破片一つ残らず。
すべては無に還った。






