231 空、解放する
「ぐなッ!?」
ドリスメギアン、我が身に起こる異変に困惑する。
周囲はいまだに白い炎に包まれ、焼かれることはないが代わりにあらゆる侵害行為が抹消される。
この炎の中では、あらゆる攻撃魔法も戦闘用オーラも発した途端に消去され、直接殴りつけられたとしても衝撃が消されて撫でられるのと変わりない。
「なんだ……!? 今何かが触れたような!?」
その中でドリスメギアンは混乱の極みにあった。
地獄の主として、悪意と暴力の権化たるヤツのまったく理解の及ばない現象が起きつつある。
「ぬあッ!? ぬあああああああッッ!?」
ヤツは突然悲鳴を上げて、地面に手を突いた。
いや違う。
地面にしがみついている!?
まるで誤って高所から転落しようとする不注意者が、慌ててどこでもいいから反射的に掴む。
そんな動作に似ていた。
「なんだッ!? 何が起こっている!? 引っ張られる、引っ張られるうううううッ!?」
最初アイツは何をやってるんだろうと思ったが、少しずつわかってきた。
ヤツがどれだけ無茶苦茶な状況に晒されているか。
体勢を前傾し、どこかへ向かっていくようにつんのめっている。
その流れに逆らおうと足を踏ん張り、指を地面に食い込ませるも思うような効果はない。
「どこかに……、引っ張られている……!?」
まるで見えない力がドリスメギアンを捕らえ、引き寄せているかのようだった。
いや実際そうなのだろう。
ドリスメギアンはまるで、ヤツだけ重力の方向が変わり、真横に落ちていっているかのようだった。
でも何故そんなことになっている?
何かの魔法の作用なのか?
しかし今ヤツは全方位を『慈光兜率天』の白炎に囲まれ、全攻撃行為を封じられている代わりに、外からヤツへ作用する攻撃も無効化されている。
なのにドリスメギアンを強制的に引っ張るあの力は何なのだ?
そもそも誰が……?
「ぐおおおおッ!? やめろ! 引っ張るな! お前の仕業かクソめええええッ!?」
ドリスメギアンの必死の綱引きを見守り、やっとわかった。
引っ張っているのはアランツィルさんだ。
得物の棒杖を持ち、正眼にかまえ、直立している。
その背筋のピンと伸びた姿勢。ドリスメギアンの地面に這いつくばる無様な体勢を比べて対照的だ。
気づいたのは、ドリスメギアンはアランツィルさんに向かって落下しているということだった。
真横方向へ真っ逆さま。
「アランツィルさんが、ヤツを呼んでいる!?」
気づけば、そのようにしか見えなくなった。
不動のまま待ち受ける大勇者に向かって、哀れなる亡者はなすすべもなく引き寄せられている。
「おおおおおおおッ!? やめろ! やめろおおおおおッ!?」
巨大節足を出して地面に突き立てようとしても、何故か上手く刺さらない。
アランツィルさんに向かって炎を放つも、白炎に掻き消されて意味がない。
ただ静かに、しかし絶対的に、ドリスメギアンはアランツィルさんに向かって吸い寄せられる。
「でも一体……、何が起こっているの……!?」
すっかり傷が再生したエステリカさんも、目の前の出来事を受け止めきれない様子だった。
「あの人は人間族……、オーラ使いなのよ? 応用範囲が劇的に広い魔法ならともかく、斬るか突くか砕くかしかできないオーラで、どうやってあんな不可解な現象を」
「上の段階へ行ったんだ」
俺にはわかる。
アランツィルさんは、初めての大事なものを守る戦いに臨み。オーラのさらなる最奥へ踏み出した。
本来それだけの才覚がある人だ。
若き日の不幸によって、その才能が歪められなければとっくに常人を遥かに超える境地へ至っていただろう。
「……今あの人が発しているオーラの特性は、既存四特性のどれにも当てはまらないもの」
あえて言うなら『空』。
空特性のオーラで敵を引き込んでいる。
「ぐおおおおおおッ!? あああああああッ!?」
ドリスメギアンも、このまま引き寄せられるままとなるのが不味いと察しとったのだろう。
何が何でも踏みとどまろうとするが、もがけばもがくほど引き寄せる力は高まるらしい。
だんだん抗えなくなっていく。
アランツィルさんが我が身の周囲に作り出した空虚のオーラの内へ、吸い込まれるように引き寄せられる。
「おのれえええええッ!? くああああああッッ!?」
ついに手も足も、杭のような巨大節足も地面から離れ、真っ逆さまに真横へ落ちる。
地獄へ堕ちることの決まった亡者が、もがき拒んだ末にも結局奈落へ落ちていくように。
その先にいるのはアランツィルさん。
惚れ惚れするほどに美しい正眼のかまえから、棒杖を振り上げ、振り下ろすのとちょうどいいタイミングにドリスメギアンの体があった。
「『清応裂空』」
オーラの込められた棒杖はごく自然に、それでいて容赦なく、ドリスメギアンの体を腰から輪切りに両断した。
「あぎょええええええッッ!?」
あれほど異様な怪物が満足な抵抗もできず、上半身と下半身の泣き別れ。
真横への落下時に白炎が燃え盛るエリアからも離れていたので、アランツィルさんの斬閃は問題なく役割を果たした。
「『清応裂空』……!?」
それがアランツィルさんの到達した新しい境地。
既存四特性のどれにも属さない『空』のオーラで狙った対象を吸い寄せ、自分は一歩も動かないまま相手の方から必殺の間合いの内に引き込む。
『裂空』の名はついているが、相手の方からむざむざ斬られにやってくるから斬撃を飛ばす必要もない。
まったく別次元の絶技。
「けおおおおッ!? なんだ? この技は!? しかし舐めるなッ! たかが胴を両断されたぐらい、竜人と化したオレの生命力をもってすれば、すぐにでも……!」
まさか……!?
再生する気なのか?
普通なら致命傷以外にはなりえないあの大怪我を!?
しかし……!?
「ぐお……ッ? 何故だ……!?」
ドリスメギアンは一向に再生することなく、上半身下半身それぞれにのたうち回るばかり。
一向に断面の繋がる気配がない。
「どうしてだ!? 何故再生しない!? 魔獣の力で『亡者体』の生命力も上がっているはずだ!!」
「お前を斬ったオーラは、『空』のオーラ」
アランツィルさんが言う。
「既存のどの特性とも違う、空虚を断魔の力に変えたものだ。『空』によって斬り分けられたものは、その断面もまた『空』。故に繋ぎ合わせることなどできない」
「ぐおおおおおッッ!!」
アランツィルさんのまさに新たな境地。
人生の大半を、悲しみを埋めるための怒り憎しみに突き動かされて戦ったあの人が、今日初めて守るもののために戦った。
それだけであの人は、今日まで誰も踏み込めなかった領域のドアを叩いたのだ。
「……やはりあの人は、凄い人だったのねえ」
俺の隣に立ってエステリカさんは言った。
「やはり私など、最初からあの人の添え物に過ぎなかった。あの人こそこの時代の主役。私など、私など……!」
涙するエステリカさんに、どんな言葉をかけていいかわからなかった。
一方でアランツィルさんにはグランバーザ様が……。
「実に見事な……、そして恐ろしい技だった」
永年の宿敵に、賞賛を送る。
「もし我らの現役時代にこの技が完成していたら、私はお前に負けていたかもしれんな。敵意も害意もない『空』のオーラに、さしもの我が慈愛の白炎も抗えはしなかっただろう」
「いや……」
アランツィルさんは悟ったように言った。
「戦う必要すらなくなっていたさ。互いに、ここまで至ってしまっていればな」
「憎しみからはもう解放されたか?」
「恐らく」
人の心は、そう簡単なものではない。
悟ったつもりで、何も悟れていなかったこともあるだろう。
「しかしもし私の心が本当に解放されたなら。ダリエルと、エステリカと、お前のおかげだろうな」
「お互い様だ」
人生の大半を敵対しあってきた、互い以外に誰も踏み込めない領域を持つ両者。
こんな二人を敵に回したのだ。
やはりドリスメギアンは、どれだけ力を持っていようと愚かと言うしかないだろう。






