221 ドリスメギアン、本心を見透かされる(勇者side)
インフェルノの一部としてドリスメギアンが、ダリエルに目を付けたのはかなり初期の頃からだった。
魔王の目を盗んで地獄から脱出し、反抗の力を蓄えようと現世で多くの魂を狩り集めようとした。
そのさなかにダリエルが目に留まった。
吸収する魂は、なんでもいいというわけではない。
できるだけ大きな力に変換しやすい魂の条件が、主に二つあった。
一つは、魂を占める感情が憎しみであること。
ドリスメギアンが司る属性が『火』であるだけに燃え盛るイメージに直結する憎悪や憤怒のもっとも変換効率が高い心情だった。
もう一つは単純に強いこと。
心の強さは当然のように魂の強さに直結する。多くの困難を乗り越え、経験と思考に鍛え上げられた強い心は変換した際も強い火力に直結する。
そのため地獄から抜け出たインフェルノはまずラスパーダ要塞周辺に潜み、現代の強者たちを物色した。
条件に適合する強く穢れた魂を持ちうるのは、戦いに生きる冒険者や魔王軍の兵士がもっとも好ましいから。
その二者が衝突する最前線の要塞こそ、狩り場として相応しかった。
目論見は当たって、ほどなくピガロ、ゼスター、アルタミルの三勇者が現れ、当代の四天王らと激闘を演じた。
敗北して挫折感に塗れた三勇者の方が御しやすいと連れ去り、より優良な栄養素に育て上げようとミスリル強奪の策を与えた。
ピガロたちの記憶からミスリル搬入路の情報を引き出せたので、タイミングのいい作戦だった。
当時はその程度の感覚だったが、その現場でダリエルを発見したのが意外な収穫だった。
もっとも喜ぶべき収穫だった。
遠く離れた地点から状況を観察し、ミスリル吸収で力の上がったゼスターを苦もなく捻り潰したダリエル。
これほど強い魂を吸収できれば、打倒魔王の目標に大きく近づける。
惜しむらくは、その心情に憎しみがほとんど含まれていないということだった。
どんなに強い魂でも、心が炎のように荒ぶる憎しみに支配されていなければ変換効率は悪い。
そこでダリエルを吸収するにも前の一手間が必要と判断し、ローセルウィに近づいた。
センターギルド理事ローセルウィの差し金と見せかけて村を襲い、家族も含めて皆殺しにすればダリエルは必ず憎しみに支配されよう。
ローセルウィを利用し、彼を実行者に見せかけたのは、その方がダリエルの憎悪をより引き出せるという意図からであった。
しかしそれは失敗した。
ラクス村の防備は想像以上に堅固で、幾人もの屈強な冒険者が襲撃をものともせず跳ね返してしまった。
襲撃ための人員は、当初ローセルウィの手勢を期待したものの、ギルド理事でありながら個人で動かせる戦力をまったく持っておらず期待外れの小物だった。
仕方なくインフェルノがみずから用意した手勢は、彼自身の養分とするために各地から集めてきた身持ちの崩れた冒険者たちだった。
より優良な養分とするため洗脳魔法で正気を奪い、精神的に圧迫して憎しみを増そうとしている途中の者たちであった。
ラクス村襲撃に充てたのは流用であったが、それが裏目に出て全員捕縛されてしまった。
手痛い損害であったが、それも余談に過ぎない。
それらの騒動の末に、ダリエルとの直接対決が起こったのだから。
直接剣を合わせて初めてわかるダリエルの実力、才覚。
すぐさま悟った。ダリエルはインフェルノの……いやドリスメギアンの計画に必要不可欠な重要ピースとなりえるほどの能力を持ち合わせていると。
当初は、そのピースとして勇者ジークフリーゲルを用意していた。
地獄に堕ちた人間側のオーラ使いで、最高の実力を持つジークフリーゲルが打倒魔王の切り札になると想定していたからだ。
しかし、それ以上に切り札に相応しいダリエルを発見したら、ジークフリーゲルは容易に捨てられた。
ダリエルとの戦いでジークフリーゲルを救わなかったのもそれゆえに。
より優れた手駒があれば古い手駒は用済みだった。
同じようにジークフリーゲルのスペアとして用意されていたアボスも同様。
体よくセルニーヤ共々切り離して、ドリスメギアンはダリエルただ一人を追う態勢を整える。
そして本当に唯一信頼しているセルニーヤに『天地』のイダの抑えを任せ……。
満を持してラクス村に乗り込んだのであった。
◆
「ダリエルは……、逸材だ。非常に優秀な」
あらゆる陰謀謀略の果てにここまで来たインフェルノ。
いや『沙火』のドリスメギアンが、当代の両雄を前にして語る。
「地獄の主たるオレの目を通してもな。だから絶対に欲しい。彼はヤツを倒すための最後の一手になってくれるはずだ」
そのためにも……。
「ダリエルの心を、これ以上ない憎しみに染め上げねばならない。このオレの炎の力と同調するために。グランバーザ、アランツィル。お前たちも本来充分に有用な素材だ」
退治する二人の英傑に、品定めするような視線を向ける地獄。
「その力は古今無双。お前たちの魂も吸収できれば、さぞかしよい糧になろう。しかし今はそれよりもダリエルの方が優先される」
グランバーザとアランツィル。
二人の魂を憎しみに堕として吸収するという過程を踏まず、この場で惨たらしく殺し、ダリエルの憎悪を誘う方がよい。
「その方が有用なお前たちの命の使い道だ。全員最高の状態で吸収できるならそれに越したことはないが、生憎とそこまでの時間的余裕はない。イダだけでなく、そろそろヤツ自身が動き出してもおかしくない状態だ」
「傍若無人ここに極まれり。どこを切り出しても自分勝手しかない物言いだな」
グランバーザの体表から、義憤の陽炎が揺らめきあがった。
「私たちの命をなんと心得る? ダリエルも、我々も、お前のためにある命ではないぞ。その驕りと心得違い、たしかに地獄に堕ちるに相応しい!」
「その怒りはよろしくないな。憎悪に結びつかない。義憤などもっとも利用価値のない煩わしい感情だ」
ドリスメギアンは少しも悪びれることがなかった。
地獄に堕とされ数百年。その感情は既に人からあまりにかけ離れたものへと変貌しきっていた。
人の善に興味なく、人の悪にも興味がない。
すべては『魔王を倒す』という妄執に取りつかれた地獄の化身。
それがインフェルノだった。
「私には……、少しだけわかるな」
静かに言ったのはアランツィルだった。
横で聞いたグランバーザがハッと視線を向ける。
「どういう意味だアランツィル?」
「私もかつては憎しみに囚われていた。魔族に妻子を殺され、何より大事なものを永遠に奪われた喪失感は憎しみに転嫁するしかなかった」
それが第勇者アランツィルが三十年にも亘って戦う原動力となった。
憎しみの力は、老い衰え体がついてこれなくまでうねり続け、ダリエルとの運命の再会を果たすまで陰ることはなかった。
「ダリエルを憎しみに堕としたいというなら、彼の家族を狙うのはなるほど的確だろう。彼は私と似たところがある」
かつてのアランツィルがそうだったように。
マリーカや息子グランを失えばダリエルは必ずや憎悪の化身と化すであろう。
「私とて危ないところだった。ダリエルと会い、息子が生きているとわかるまで私の心は憎しみに凝り固まっていた。ダリエルが我が憎しみを解いてくれた。そうなる前の私は、お前にとって格好のご馳走だったろうな」
「それは惜しかった。出会いがほんの少し遅かったということかな」
「憎しみに囚われる恐ろしさを知っている私だからこそ、ダリエルをあんな境遇に堕とすわけにはいかん。お前の目論見は阻止するぞ。マリーカも、グランも、そしてこっちのグランバーザも、けしてお前に殺させはしない!」
決意表明を聞き、少なからず戸惑うのは隣で聞くグランバーザだった。
「アランツィル、お前……!?」
「皆まで言うな。ダリエルがお前を誰より尊敬しているのは事実だ。口惜しいがな」
しかし……。
とアランツィルは続ける。
「わかったことはそれだけではない。長く憎しみに囚われ続けた副産物とでもいうかな。私は、なんとなく感じ取ることができる」
「何をだ?」
「他人の言動に伴う、憎しみの匂い、とでもいうかな?」
人は感情を持つ生き物。
だからその言動には必ず心情が現れるものだった。
上手く感情を隠すせる者もいれば、それを見抜く者もいるだろう。
その点アランツィルは、みずからも憎悪に苛まれてきただけに、憎しみの感情に関しては何より鋭敏だった。
「そんな私から見て、気づくことがあるのだよ。お前は……」
ドリスメギアンのことを指さす。
「魔王のことをそれほど憎んでいないだろう?」
「…………」
赤マントは無言だった。
それは余裕からの泰然自若でなく、図星を突かれたゆえの絶句だった。
「お前は、何より魔王を倒すことを念頭に置いている。その姿勢はもはや執念といっていいほどだ」
それなのに。
「お前が魔王のことを語る時、その口吻からは少しも魔王への憎悪が伝わってこない。私がそう感じたから間違いない。お前は魔王のことを少しも憎んでいない」
いやそれどころか、ドリスメギアンが魔王を語る時に追ってくる感情はむしろ逆。
敬愛。
少なくともアランツィルの直観からはそう感じられた。
「地獄に堕とされ、魔王がこの世界に及ぼした仕掛けをみずから暴いて、魔王を憎む理由は充分にあると思うのだがな。しかしお前は、執拗なまでに打倒魔王を掲げながら、義憤もなければ恨みもない」
長く憎悪に苛まれてきたアランツィルは、それを鋭く見抜くことができた。
「それこそが謎といえば謎だな」
「黙れッ!!」
烈火のごとき怒号が飛んだ。
「死をも知らんジャリが、このオレの心中を見透かそうなど不遜千万……! オレとヤツとの間柄は、余人の理解が及ぶ範囲にはない。推測すること自体無礼極まりない……!」
その時、インフェルノの体からおぞましい変化が現れた。
「その罪、お前の命で償え。八つ裂きにして殺してやるぞ……!!」
紅蓮のマントの内側から、昆虫を思わせる鋭い節足が伸びだした。
巨大で、しかも何本も……。






