219 バシュバーザ、入滅する
「ごばッ!? げああああああッッ!?」
もともと上半身しかなかった亡者バシュバーザ。
その胸部の中央に穴が開いた。
唐突に。
拳大の大きな穴だ。
ガシタが射込んだ矢が突き刺さり、その部分を中心にして爆ぜたように見えた。
ガシタが何かしたのは間違いない。
「鏃に込めたオーラが炸裂したんすよ」
「ええ~?」
「ミスリル製の鏃なんです。サカイさんが発明したものでね。ミスリルはオーラを吸収する特性があるんで。ある程度込めてから衝撃を与えると一気に解放される仕組みを作ったんですって」
それで標的に刺さった瞬間、爆発する鏃が完成したと?
凶悪だな。
ガシタに持たせたらさらに凶悪になったヤツ。
お陰でバシュバーザのヤツは胸に大穴を開けて、今度こそ行動不能となった。
元から下半身を失って、あれでどうやって活動しているのかまったく不可解な状態だったが。
これで今度こそアイツの妄執は終わりを告げるのだろう。
「しかし驚いたな。お前がそんな風に思っていたとは」
「え? なんすか?」
かつてのガシタが、バシュバーザと同じか。
たしかにそう思える節もあった。
出会ったばかりのガシタは、俺への敵愾心を剥き出しにし口も利かなかった。
四天王補佐時代の俺をまったく軽んじ、ついには解雇してしまったバシュバーザと通じるのかもしれない。
「ごおおおおおッ!? おあああああッ!?」
バシュバーザはしばらく、胸部炸裂の苦しみに悶えていたが、少しずつ勢いを失って、ついには動かなくなった。
仰向けになって口をパクパクさせるだけの亡者。
俺とガシタは見下ろす。
「……ボクは負けたのか?」
「それはお前が一番よくわかっているはずだ」
バシュバーザはもう生きていない。
とっくの昔に一度死んで、魔王様の力で死んでもいない生きてもいない状態で蘇らされた。
地獄で責め苦を受けるために再構成されたこの体は、どの程度丈夫なのかは知らないが、それ以前にバシュバーザ自身が負けを認めているから、もう動き出すことはない。
失われた気力と共に朽ちていくだけだ。
そもそもバシュバーザはインフェルノから伝授された禁呪を乱発し、己が魂を削りすぎた。
ガシタにとどめを刺される以前に自滅間近だったのだろう。
「結局ダリエルに勝つことができなかった。……いやそれどころかダリエルに届くこともなく、その前座も倒せなかった。……おい、お前」
「なんだよ?」
バシュバーザがガシタを見る。
自分以外の人物に何の価値も見出そうとしないこの男が、人間族の冒険者に興味を移すなどあり得ないことだった。
「お前は言ったな。……このボクが、失敗したお前自身であると」
「ああ」
「だったらお前は、成功したボクだとでもいうのか? ダリエルに従い、ヤツの言うことを聞いていればお前のようになれたというのか?」
バシュバーザの口調に、ありありと後悔の念が現れていた。
傲岸不遜の塊であったヤツにも、堕ちに堕ちた末の決定的な敗北は答えたか。
「知るかよ」
ガシタは答える。
「勘違いすんじゃねえ。オレはたしかにアニキのお陰で性根を入れ替えた。でもそれだけで今のオレになれたんじゃねえ。それから頑張って、めちゃくちゃ頑張って、何度も死にそうな目にあって今のオレになれたんだ。……世の中は、お前が思うほど簡単じゃねえんだよ」
「…………」
バシュバーザの表面が白く変色していく。
燃え尽きた灰のような白さに。
「たった一つのきっかけで簡単に変われるほど人間は安くねえんだよ」
「……とことんまでボクを貶めたいのか? ならボクはどうすればお前のようになれた!? お前たちのように!? ボクだって強くなりたかった! 誰からも認められる強者になりたかったんだ! ……ダリエルか!?」
バシュバーザは喚く。
断末魔に乗せて。
「ダリエルに従ってさえいればよかったのか!? 十歳の時、初めてボクの前にお前が現れた。年に数度も顔を合わせない父上が帰ってきて、せっかくお迎えに出たのに、父上と一緒にお前がいた!」
「ああ、そうだったな」
俺もよく覚えている。
その日は、グランバーザ様が意図して俺とバシュバーザとの対面を設えてくださった。
バシュバーザが魔王軍に入るのを控え、俺にその世話を任せようとしてくださったのだ。
「父上は言った。『このダリエルを兄のように頼み、私と思って従え』と。ふざけるな! 父上は、実の息子のボクよりあんな雑兵の子どもを頼みにするというのか!? 魔法も使えない雑兵に!?」
後日、バシュバーザは予定されていた魔王軍入りを取りやめ、魔法学院へと進んだ。
それは荒々しい軍部に息子を送り出すことを嫌がった母親の意向があったと聞くが……。
次に俺がバシュバーザと再会したのは、学院にて博士号の実績を取った彼が四天王へ抜擢されてからとなる。
「あの時か? あの時からボクは間違ったというのか!? あの時ダリエルを受け入れていれば……!? ダリエルと一緒に進んでいれば……!?」
グランバーザ様は、我が生涯最大の恩人だ。
そのグランバーザ様の望むことなら、俺はこの命と引き換えにしてでも必ず成し遂げようと思った。
あのお方の実子を、あの方に代わって守り育ててくれと言われた時も。
命に代えてもお守りしようと思った。
生涯に亘って仕え、忠誠をささげ、主と部下として苦楽を分かち合おう。
いつかあの方がつつがなく父親の跡を継ぎ、立派に務めを果たして、皆から認められる後継者となるのを足元から見届ける。
俺は一時期、それを心から夢想していたのだ。
俺の夢だった。
しかし夢はもう覚めた。
「……甘ったれるな」
俺はバシュバーザに言った。
「過去の一点を変え、そこから延びる可能性を追ったとしても、それは妄想だ。妄想以外の何物でもない。『もしかしたら』の自分などあり得ないんだ。お前は、ここにいるたった一人しかいないんだ」
妄想に思い描いた輝かしい自分など虚しいだけでしかない。
たとえそれが、過去自分が選んだかもしれない道を進んだ自分であっても。
「お前は、ここにいる無様で惨めなお前を認めるしかないんだ。そうでなきゃ先に進むこともできない。それができずにどんどん惨めになっていったのが今のお前だろう」
優しい言葉などかけられない。
コイツが過去してきたことを思えば、コイツに一部の救いもあってはいけない。
でなければ、コイツが傷つけてきた人たちに申し訳が立たないじゃないか。
「バシュバーザ。今のお前を受け入れろ。そして消えろ。お前はもうこの世界を去った者だ。これ以上お前がここに留まっても誰も喜ばない、辛いだけだ」
そしてどこへなりとも逝ってしまえ。
俺たちが、どんなに頑張っても追いかけられないところへ。
「……そうか、そうだな。ボクが欲しかったものは、もうどうあっても手に入らないのか。ボク自身の愚かさで、永遠に届かないところへ行ってしまった」
「その通りだ」
やっとそのことに気づいたお前は本当に愚かだ。
「ダリエル、お前の言う通りだ。本当に何もかもお前の言う通りだった。お前はいついかなる時でも正しい。お前のそんなところが本当に嫌いだった……」
バシュバーザの最期の表情は、安らかであっただろうか。
「……まるで父上のようだからな」
俺にはわからなかった。
涙で視界がまったくぼやけていたからだ。
消えゆく自分を受け入れたバシュバーザは、塵も残さず消え去った。
俺の腕の中で。
消えるアイツにしてやれることは、抱きしめて泣いてやるぐらいしかなかった。
「……アイツは、どこに行ったんでしょう?」
ガシタが言った。
いまだに涙の止まらない俺に肩に手を置きながら。
「地獄とやらに戻ったんでしょうか? それとも、魂を使い果たして消えちまったんでしょうか?」
「先に逝っただけだ。俺たちの知らない。そしていつか俺たちも逝くことになる場所へ」
そしてもう二度と出会うことはない。
少なくとも今の自分たちとしては。
涙を止めようと必死に試みるが止まらない。
戦いはまだ終わらなっていない。本当の敵がまだ控えているというのに。
「……ガシタ。お前は俺がいなくても大丈夫だったさ」
「え?」
「俺に言われなくてもいつか必ず自分で自分の問題に気付いて、立ち直れた。お前はそれができるヤツだ。立派なヤツだ」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよアニキぃ!」
なんかガシタがじゃれつきだした。
「それこそ『もしも』っすよ! アニキがオレの大恩人なのは変わらないっすよ! そうでしょう!?」
俺を励まそうとしてくれてるらしい。
ウザッたらしいが、救われる。
「そうだな……!」
過去に戻って自分を変えることができないように、人々との繋がりも決して変えることはできない。
変えないためにも。
俺たちの故郷を侵す本当の敵を今度こそぶちのめす。






