212 ドリスメギアン、真実を語る
「やはり……」
魔王軍四天王『沙火』のドリスメギアン。
それは先んじてここに来た『天地』のイダさんたちから散々聞いた名前だった。
「……魔王軍、いや魔族が連綿と紡ぎ続ける歴史において、間違いなく最高の火炎魔法使いドリスメギアン」
俺の脇から進み出る人がいた。
「グランバーザ様……!」
我が恩人にして魔王軍の重鎮。
この方こそ古今の歴史に当てはめても最強の名をほしいままにできる最強者であるはずだが……。
「心して聞けダリエル。今ラクス村の村民は大急ぎで避難を進めている」
小声で俺に言う。
「避難が完了するまで本格的な激突は避けたい。できる限り会話を引き延ばすのだ。時間を稼げ」
たしかに。
インフェルノが堂々と乗り込んできたのは、ロクな理由からではあるまい。
よからぬことを必ず企んでいるに違いないのだ。
俺は先日村が襲撃されたことを教訓として、冒険者ギルドに依頼し避難壕を掘らせておいた。
ラクス村の全住民が入れるだけの規模を充分に用意できたから、何度か繰り返した訓練に従って急ぎ避難していることだろう。
それが完了するまで安全を確保しないとな。
「……それでドリスメギアンさん? 今日はお一人なのかな?」
イダさんから聞いた。ヤツはともに地獄から抜け出してきた仲間たちと体を補い合い、複数で一体を形成している。
その形成体こそがインフェルノなのだと。
「そこまで知っているか。ヤツらとは別行動中だ。遥か遠くの場所でイダを抑えてもらっている」
「…………」
舌打ちが出そうになった。
ということはイダさんやエステリカさんが応援に駆けつけてくれることは期待できないってことか。
「ドリスメギアン様。魔族にて火の魔法を極めようとするならば、誰もがアナタを尊敬し、アナタを目指して進む……」
グランバーザ様も問答に加わる。
『沙火』と『業火』。二つの極められた火炎が時代を越えて対峙する奇跡。
「……はずだった。アナタが、みずからの存在を禁忌としなければ。功績、能力、どれをとってもアナタこそが歴代最強の呼び名に値する。しかし惜しむらくはアナタには、良識だけが決定的に欠けていた」
「後世に名を残すことに何の意味がある?」
正真正銘歴代最強と呼ばれるグランバーザ様へ、歴史から名を消された男が答える。
「その歴史もまたヤツが作り上げたもの。そんなものに名を刻んで何の意味がある? そんなことを喜んでいるからお前たちの程度は上がらんのだ」
「地獄に堕ちるほうが偉いというのか?」
俺が続きを引き取る。
生涯の大半を魔王軍で過ごしたグランバーザ様には、まだ偉大な先達への遠慮が抜け切れていない。
「お前はさっきから、自分だけがすべてを知っているような風で偉そうに語るが。……じゃあ聞こう、何を知っている? 何故魔王様を倒そうとする?」
執拗に付け狙い、綿密な計画まで立てて。
俺にはヤツの行動原理が到底理解できなかった。
それは、ヤツだけが知っている俺の知らない事実によるためなのか。
「フン、いいだろう聞かせてやる」
相手は乗ってきた。
「ダリエル、お前がオレに従うためにも必要なことだからな。オレの話を聞くがいい。そうすれば賢いお前はおのずとわかるはずだ。ヤツが、この世界にとって最悪の害であることを。ヤツを倒さない限り人類は真の自由を手にできないということを」
「ああ、聞いてやるから言ってみろ」
「そもそも、人間族と魔族は何故戦っていると思う?」
ドリスメギアンは言ってきた。
「人間族の勇者は魔王を倒さんとし、魔王軍はそれを阻む。その戦いの中核にいるのは魔王だ。しかし何故人間族は魔王を倒そうとする? 魔族は何故魔王を守る? 誰にも答えの出せない疑問。長くこの世にありすぎて今までは疑問にすら思われない」
「お前なら答えを出せるというのか?」
「そうだ」
明快に答えやがった。
「だからオレは殺され、地獄に堕ちた。……いや違うな。正確には地獄は創られたのだ」
「どういう意味だ?」
「オレが堕ちるまで、地獄という世界は存在しなかった。あの世界は、オレの魂を収容するためにヤツが創り出した世界。つまりオレこそが地獄の始まりだ」
というヤツの口吻には、どこか誇らしげなところがあった。
「そのあとヤツは、オレ同様に許しがたい者を次々地獄に放り込むようになったがそもそも地獄の発端はオレを封じ、閉じ込めるため。オレこそが地獄の主と言っていい。いや地獄そのもの。ゆえにオレはインフェルノを名乗っている」
「お前が地獄の主というなら、留守にするのは問題なんじゃないか? 今すぐ帰ったらどうだ?」
「それはできない。オレにはこの世界で果たすべき使命があるのだから。それこそが……、フッ、また話題が堂々巡りしているな」
いや笑うな。
別に何もおかしかねーよ。
「そうオレはヤツを倒すために地獄から這い上がってきた。志を同じくする仲間たちを連れて。しかしお前たちは、オレの行動を理解できないとほざく。みずからの無知を棚に上げ、オレこそが非道だとなじる」
「だからお前が何を知っているという?」
また堂々巡りしてるぞテメー。
「勇者が魔王を倒し、魔王軍がそれを阻む。その戦いの理由それは…………」
やっと結論が出てきた。
「……それ自体ヤツのお遊びにすぎないからだ」
「…………」
「ほう、驚いた表情を見せんな。つまり薄々感づいていたというわけか?」
俺だけじゃない、隣に並ぶグランバーザ様も声も上げず、表情も動じない。
「……魔王軍に長く在籍していれば、誰でもわかることだ。あのお方は臣下の失敗を咎めたことが一度もない。私の四天王生涯で、他の四天王幾人もが勇者パーティに敗れ、命を落としたり再起不能の重傷を負って引退していった」
ラスパーダ要塞を人間族に奪われたことも一度や二度じゃない。
その都度奪い返しはしたが、戦史上もっとも激しい一つであったアランツィルさんとグランバーザ様の二巨頭時代は、けして平坦な道のりではなかった。
「しかしどんな失敗を報告しても、あの御方が怒り狂うなどただの一度も見なかった」
怒らないのは、どうでもいいことだから。
すべてをゲーム感覚で受け止めていれば、いちいち怒ることも喜ぶこともしない。
「……そうかもな。しかしお前はまだことの深淵さに気づいていない。ヤツはこの世界をゲーム感覚で楽しんでいるのではない。この世界自体が、ヤツの遊興のために創り出されたゲーム盤なのだ」
「? どういう意味だ?」
「例えば、……闘神というヤツがいるだろう? お前たち魔族には馴染み薄いが、人間族にオーラの力を与えたといわれる超越的存在だ」
魔族に魔法を与えたのが魔王様だというなら、闘神は魔王様と唯一同格といえる存在。
「では何故闘神とやらは、人間族の前に姿を現さない? 魔王はやりすぎなほど魔族たちと触れ合っているというのに。二種族のうち一方の超越者だけが露出し、もう一方の超越者は不在。その理由は……!」
「両方が同一の存在だから」
俺は言った。
隣でグランバーザ様が目を見張る。
「魔王様と闘神は元々同じ存在だ。つまり、魔族に魔法を与えたのが魔王様なら、人間族にオーラを与えたのも魔王様」
この世界は、同一の存在から加護得た者同士で戦いあっていたのだ。
「その通りだ……。フン、よく気付いたものだな驚いたぞ」
インフェルノの発する気配がなんとなく残念そう。
「どうやって気づいた? オレ以外でその事実にたどり着くには、たった一つの道筋しかないはずだ」
「センターギルドに立ってる巨大な闘神像。あれが魔王様にそっくりだった。だから気づいた」
あまり得るもののなかったセンターギルド観光の中でも、あれが一番の収穫だったな。
たしかに世界の真実を垣間見た気分になった。
俺は元、魔王軍の暗黒兵士。
また四天王補佐という役職柄、グランバーザ様にくっついて魔王様への謁見に参加したことも数度ある。
だからあの方の顔も見知っていた。
「なるほどな。お前は正規とは逆のルートをたどったわけだ」
「正規?」
「ヤツにとって、そういう悪戯なのだ。魔王を倒さんとする勇者は、その誓いを出発地点で崇め奉る闘神像に捧げる。そして万難を排して魔王へ辿りついたとして、対面するのは祈りをささげた神と同じ顔だ」
そこで人は初めて、魔王と闘神は同じ存在だと知る。
「趣味の悪い遊びだ」
「だろう? ヤツはそうやってヒトを驚かせたがるのだ。驚く側よりも驚かせる側の方が誰でも好きということらしい」
ならば、たしかに俺の見た順序は真逆だな。
当人の顔を見てから、写し身の像の顔を見る。その順番で見たのは俺が史上初なのかもしれない。
「この一事でもわかるはずだ。魔族だけではない。人間族も、勇者もまたヤツにとって暇つぶしの遊び道具にすぎんのだ。大仰たる仕掛けを作り、その中に放り込まれた人どもの血も涙もヤツの娯楽だ」
人間族にオーラの力を与えたのが魔王様だというなら、なおさらそうだ。
人間族と魔族。二つの種族にそれぞれ違う力を与えたその理由も、それぞれ互いを戦い合わせるためだとしたら頷ける。
しかしそれならば、インフェルノが言うようにこの世界は根本から魔王様が楽しみのために仕立て上げたようではないか……!
「ダリエルよ、しかしお前はまだわかっていない。ヤツの罪深さを。ヤツが自分の楽しみのためどこまでこの世界を歪めたかを」
「どういう意味だ?」
「そもそも人間族と魔族とはなんだ? ということよ」