192 ドリスメギアン、もっとも魔王に近い男
『沙火』のドリスメギアン。
「本当に実在していたとは……!?」
そう呟いたのは、魔王軍の歴史に一番詳しいであろう年配グランバーザ様だった。
「グランバーザ様、知っているのだわ!?」
「お前も知っとけよ。……と言いたいところだが知らぬのも無理はないな。ヤツの名は公式記録から抹消されている」
人間族側でも同じようなことが行われていた。
組織の名誉を傷つける失敗、不祥事をなかったことにしてしまう。
存在自体が不祥事の塊なら、人一人がいた事実そのものごと消されるだろう。
そんな風に記録抹消されたのは勇者にも四天王にも相当いるはずだ。
「俺に名乗ったジークフリーゲルも、センターギルド所蔵の禁書を読んでやっと見つけ出した」
表向きの記録には載っていない。
恐らく地獄には、そんな風に存在をなかったことにされたヤツらがゴロゴロいるのだろう。
地獄に相応しい罪状を鑑みれば納得だ。
「ドリスメギアンの名も、四天王のみに出入りが許される『秘密の部屋』にしか記されていない」
「禁呪が所蔵されているあの……!?」
禁呪と同等の危険性と判断された名前ってことか。
ちなみに俺もドリスメギアンという名には聞き覚えがない。
俺も前半生魔王軍に在籍していたから、その歴史は相当学んだし、過去歴代四天王の名前事績も頭の中に入っている。
その俺が知らないってことは、そういうことだ。
「哀れな男だ……」
そう呟くのはイダ様だった。
声音に苦渋が満ちていた。
「ドリスメギアンは、私と同時代を生きた男だ。私と同じ時期に四天王になった。同僚として共に戦った」
イダさんは、彼の者を指して『戦友』と呼んだ。
そういう意味だったか……。
「私の名は様々な功績で飾られるが、真実は違う。あれは私一人の手で打ち立てた功績ではない。すべてドリスメギアンと共に勝ち取ったものだ」
ラスパーダ要塞の奪取。
過去最高の勇者撃破記録。
いずれも以降覆しようもない大戦果で『天地』のイダを歴代最高と讃えるに相応しい根拠だった。
これほどの功績をたった一人で打ち立てるなど、とても人間技とは思えない。
たった一人では。
「アナタの活躍の陰には、存在を消された協力者がいたってわけですか?」
「どっちが陰かはわからんがな。案外主体はアイツで、私こそが協力者に過ぎなかったかもしれない」
自嘲気味に言うが、真実はどうかわからない。
しかし歴史の彼方にありそうなことだった。
たった一人の事績と思われていたことが、実は二人以上で行われたことだった。
「ドリスメギアンこそ、本来なら魔王軍の歴史の頂点に輝く北極星であったはずだ。もっとも高い中心で不動の輝きを放つ。実力はずば抜け、知恵もあり、我々には見通せない遥か先のことを見通していた」
「むしろ見通し過ぎた」
そう言い加えたのはグランバーザ様だった。
「それゆえに彼は火炎魔法の究極、さらにその先に至ってしまった。魔法炎のもっとも優良な燃焼剤を発見してしまったのだ」
「それは……」
「人の魂だ」
同じく伝説級の火炎魔法使いであるグランバーザ様が言う。
「魔法の炎はな、魔力を炎に変えるのが通常だ。しかし修行を進め、火炎魔法に精通すればするほど、あることに気づく。魔力よりもなお猛火に変えるに相応しい、熱量の元があると」
それが……。
「人の心、さらにその奥底にある魂」
生命力と激情の根源にある魂こそ、もっとも神秘の熱を宿している。
命の力を炎に例えられるのは伊達ではない。
「誰でも気づけるわけではない。大多数の凡俗は、魔法の炎は魔力で熾すことを疑わずに一生を終える」
「グランバーザ様は、その極意に気づくことができた」
さしがは稀代の英雄だった。
「だが私は、この境地に至って先に進むことができなかった」
グランバーザ様が、老境の悟りをもって言う。
「危険すぎるからだ。人の心の炎は、扱いを誤ればすべてを焼き尽くす獄炎となる。多くの人々が感情をコントロールしきれず過ちを犯すように。炎となって放たれた心魂が一度でも制御を離れれば、被害の大きさは想像もつかない」
説明されずとも推測できる。
怒り、憎しみ。そうした負の激情は言われなくても連想が火炎に結びつく。
そして激情ほど制御しがたいものはない。
「私がその境地に気づいたのは、四天王に就任した直後だ。同時期に戦った新勇者アランツィルの、家族を奪われたことによる怒りと悲しみ。負の激情がオーラに作用して黒く変色するほどだった。それを見て気づいたのだ。魔力でも同じことができるのではないか、と」
そんな過去があったのか?
俺の生まれる前か、生まれてすぐのことだろうが、ただそんなグランバーザ様の独白を、俺以上に興味深く聞いている者がいた。
エステリカさんだ。
「あの時期の私は、間違いなく危険な領域に踏み込もうとしていた。踏みとどまったのはダリエルのお陰だな。幼いお前を預かる立場にいながら、危険なことはできないと思わせた」
そう言って老いた相貌をクシャリと歪める。
「そして私は制御可能な範囲で心的作用を呪いとして活用させる『阿鼻叫喚焦熱無間炎獄』を編み出し、その必殺魔法のお陰で最強の地位を手に入れた。アランツィルとの切磋琢磨、ダリエルを育てる者としての責任感が合わさった成果だな」
「キミは踏みとどまった。しかし踏みとどまらなかったヤツがいた」
それが『沙火』のドリスメギアン。
「彼は、心魂を燃焼力に変換する魔法研究にのめり込んだ。より効率的な心象作用を調べ上げ、ついには心の先にあるもの、魂の火力変換理論にまでたどり着いた」
「恐ろしいな、人をそのまま燃料に変えるということではないか。いや爆弾か……?」
まさに禁忌の領域。
「そうした禁じられた研究のためにドリスメギアンは地獄に落とされたんですか?」
「いや、違う」
イダさんの告げる事実は、想像を超えて強烈だった。
「ドリスメギアンが地獄に落とされた理由。それは魔王様に反逆したからだ」
「は!?」
「魔王様に正面から挑み、激戦し、敗れて、地獄に落とされたのだ。魂の魔炎変換も魔王様に対抗する手段にすぎなかった。もっとも魔王様へ迫るには少々足りなかったがな」
人倫を踏みにじる狂気の研究は、魔王様を倒すための手段にすぎず。
その凶悪な手段ですら魔王様を倒すには全然ダメだった。
何なんだこの二人は……!?
「ドリスメギアンは、何故魔王様にお手向かいを……!?」
「わからない。前に言ったようにドリスメギアンには我々に見えないものが見えていた。我々にはわからない高次元の理屈から、魔王様に従えないという結論を得たのかもしれない」
グランバーザ様が唐突に言い挟んだ。
「『オレこそが魔王のことを一番理解できるのだ』。ヤツはそう言っていた」
と。
「魔族史上最高の、許されざる領域にまで駆け登った偉才だからこそ、我々にはわからない魔王様の一面を見てしまったのかもしれない。『秘密の部屋』に隠されたドリシメギアンにまつわる史伝には、こう書き記されてあった」
その男を指して……。
『魔王にもっとも近い男』と。
「過去、そのように呼ばれた人物はドリスメギアンを除き、魔族の中には一人もいない。おそらく人間族の中にも」
イダさんの戦友を語る時の顔は、とても辛そうだった。
「私はアイツのことを何もわかってやれなかった。四天王の同志として、共に死線を潜り、絆で結ばれたはずなのに。私はアイツを何も理解できなかった」
同じ時代を生きた戦友でありながら、一方は英雄としてヴァルハラに昇り、もう一方は罪人として地獄に落ちる。
あまりにも違う両者の行く末。
「だから私は今度こそアイツを止める。ドリスメギアンを魔王様の御前に引き出し、これまでの罪を詫びさせ、許しを乞うのだ」
イダさんにインフェルノ討伐の任を与えたのは、この個人的関係を慮ってのことなのだろうか。
イダさんの友情を汲み取り、戦友を追捕する役目を言いつけた?
……いや。
魔王様のことだから葛藤を見物して楽しもうとしているだけって動機もありえるか。
「ドリスメギアンは、インフェルノの首魁です。ヤツを中心に、他にも魔王様に反抗心を持つ亡者が寄り集まりインフェルノを形成した」
ドリスメギアンと違い、他の亡者たちの動機こそ単純な『地獄へ落とされた復讐』か。
いや、待って。
「寄り集まったってどういうこと?」
「言葉通りです。地獄に落ちた亡者は、もはや正常な肉体を持ち合わせていません。私たちヴァルハラの使徒が永遠不滅の『エインヘリヤル体』を与えられるのと同様に不死の体となりますが、それはあくまで地獄の苦しみを永続させるため。そのためだけの不完全な不死体」
亡者たちは常に獄炎に焼かれ続け、満足な肉体を持ち合わせていないという。
怖い。
「なのでヤツらは一人前として活動するために互いで互いの体を補い合っている。数体の亡者が寄り集まることで一個の体を形成している。それがインフェルノ」
インフェルノとは、ドリスメギアンを中心にした亡者の集合体だった






