152 要塞、消し飛ぶ(四天王side)
赤マントの気配が変わったことは、傍で見守る四天王たちからも充分に察せられた。
気づかないふりをしても無理なほど濃厚な殺気。
その濃密さに、魔族最強を誇る現役四天王ですら身震いした。
「一体何が起こっているのだわ……!?」
「わからない、わからないが……!?」
魔族最強の栄誉を受けながら、傍観者の域から脱することができない。
この上ない屈辱であるが、屈辱を受けてなお彼らの動きを封じる威圧感がこの場にあった。
「……『沙火』のドリスメギアン……!?」
その名を復唱したのは、傷ついたグランバーザだった。
イダが駆け付けるまでの間、もっともインフェルノの攻撃に晒されダメージを受けたグランバーザ。
動くどころか息をするのも大変な状態だった。
「ヤツはそう名乗ったか……!? たしかに……!?」
「グランバーザ様! お気をたしかに……!?」
現役四天王によって必死に介抱されるものの……。
「何故ここで、その名が……!? 誰も知らないはずではないのか……!?」
「どういうことなのです? 私には聞き覚えのない名ですが……!?」
既に過去の偉人『天地』のイダの名が出ている。
それと同じように歴史に輝く四天王の名はいくつかあったが、その中に『沙火』なる称号はない。
「どうせ大した功績も上げられなかった凡才四天王じゃないのか? だから特に知られていない……!」
「いや、『沙火』のドリスメギアンを知らないのは無理ないことだ……!」
グランバーザの口調には、傷による苦痛からだけではない。
それ以上の切迫が伴っていた。
「ヤツの名は歴史から抹消された、呪われた名なのだ。それを何故今ここで……!?」
聞くことになるのか。
その間も赤と白は対峙を続けていた。
白い少年はひたすら神聖。赤マントはただ邪悪だった。
「……既にわかっているだろうが、私は魔王様の命を受けここに来た」
まず『天地』のイダが言った。
「地獄から抜け出したキミを、いやキミたちを連れ戻すために」
「…………」
「大変なことをしてくれたね。地獄の蓋が開いた一瞬の隙をついて逃げ出すとは。あそこはただ苦痛を強いるだけの場所ではない。苦痛によって罪を償うための場所だ。あそこで数十年、数百年耐えればキミたちもこちら側に来られただろうに……」
憐れむような口調で言う。
「これで一から出直しだ。キミたちの数百年の苦痛は無駄になった」
「無駄デハナイ」
赤マントは答えた。
これまでとは違う声色。
「憎シミノ……。……」
ギャリ、ゲリグリ。
さらに『ひげゃああああッ!?』という悲鳴が鳴った。
「……失礼、憎しみの増大という意味はあった。それこそ我が最高の糧だ」
「まだキミは執着を捨てきれないのか?」
さらに『天地』のイダが言う。
「キミは歴史上最高の炎魔法使いだ、間違いなく。キミの偉業は未来永劫讃えられるべきものだ」
「それがゆえに魔王はオレを地獄に堕とした。その恨み、怒り。晴らさずにおくものか」
赤マントは両手を広げる。
「それゆえにオレは地獄から抜け出した。同志と共に。地獄の責め苦に炙られてなお気骨を失わぬ選りすぐりたちだ」
「私には、キミの愚かさが理解できない」
『天地』のイダに険しさが宿る。
「仲間数名を得たところで復讐できると思うのか? 魔王様に。あの御方の全能さを誰よりも知っているのはキミだろう」
「ヤツが全知全能であることは誰もが知っている。しかし全知全能の真意を知るには、知るべき当人にも実力が求められる」
その意味で……。
「オレ以上にヤツを理解できる者はいない。オレこそが魔王のことを一番理解できるのだ」
「ならば何故思い至らない? 魔王様を倒すなど誰にもできないと」
「それがお前の限界だ。英雄などと持て囃され、ヤツのコレクションの一つになり下がった、お前のな」
「ヴァルハラは、魔王様のコレクションボックスだと?」
「他にどんな意味合いがある? いやヴァルハラだけではない。地獄もまたヤツのおもちゃ箱にすぎん。現世も。この世界すべてがヤツの娯楽のためにある。おかしいとは思わんのか?」
「魔王様は世界の主だ。それもまた致し方なきこと」
「お前は屈し受け入れた。しかしオレは違う。必ず歪みを排除し正しい世界を取り戻す」
イダへ向けて、赤マントの手がかざされる。
「久々にお前に会えてよかった。やはりオレたちはわかり合うことができないと確認できて有意義だったぞ」
「キミは正真正銘、地獄の主と成り果てたのだな」
次の瞬間、インフェルノの手から炎が放たれた。
炎と呼ぶにも戸惑うほどの大炎が。
それはもはや山火事がそのまま現れたというべき規模。
ラスパーダ要塞が丸ごと炎に包まれた。
「うわあああああッ!? 『水流障壁』!!」
対峙の脇。四天王ベゼリアが張る水の魔法障壁でからくも炎熱から身を守ることに成功。
ドロイエもゼビアンテスもグランバーザも、水壁の内側にいることで難を逃れた。
「なんだこの滅茶苦茶な炎は!? 魔法なのか!? しかし詠唱もなしにこれだけの規模を焼き尽くすなんて……! しかも瞬時に!?」
「そんな……!? 要塞に詰めていた兵士たちは……!?」
戦闘の舞台となったラスパーダ要塞には、勇者の魔手から防衛するため数千単位の魔王軍兵士が駐留していた。
四天王クラスでもない彼らに、この大炎熱に対応できる防御魔法が使えるとは思えない。
ならば……。
「退去命令を出しておいてよかった……! 兵士は皆要塞を捨てて退避したから、そうでなきゃどれだけの焼死体が出来上がっていたか……!?」
「いつの間にそんなことしてたのだわ!?」
ベゼリアの手際のよさに皆が驚く。
「だったらわたくしたちもさっさと逃げるのだわ! こんなアッチーところにいたら命がいくつあっても足りないのだわ!?」
「魔王軍の頂点に立つ私らが核心を見極めなくてどうするんだ? ただでさえ事態に介入もできなくて恥を晒してるんだ。せめて何が起こっているか見届けなければ」
「コイツ真面目なのだわ!?」
たった一瞬でラスパーダ要塞を半壊させた大炎熱だが、肝心の『天地』のイダには通じなかった。
燃え盛る炎の中、何事もないかのように佇んでいる。
「……炎と熱を空間ごと遮断したか。さすが『天地』の面目躍如だな」
「そう、天と地の間にあるものは、すべて私の思うがまま。空間という範囲の内にある限り、火も水も風も私の脅威になりえない」
「広範囲を焼き尽くせば空間歪曲でもカバーしきれないと踏んだが。ヴァルハラでさらに魔法を磨いたな」
イダが視線を向けるだけで、静かに炎が消滅していった。
空間諸共押し潰されたのだった。
「降参し、魔王様の慈悲を乞うのだ。空間を支配する私を空間の中で倒すことはできない。つまりキミは私に勝てないのだ」
「いや勝てる」
赤マントはなおも手をかざす。
「空間の中において空間を超越するものはある。……それは心だ」
「……」
「人の想い、感情、魂。それこそ空間をも時間をも凌駕し何処へでも届き何処にでも存在する。……イダ、お前も知っているはずだ。このドリスメギアンがどうやって最強の炎魔術師となったか」
「……想いと感情を直接熱量に変換する。キミはそれを可能にした史上唯一の魔法使いだ。本来ならばヴァルハラの最上位に列する資格を持つ偉業なのに……」
イダは万感の思いを込めて言う。
「キミは間違った。その偉業の使い道を決定的に間違った。よりにもよって熱量の源とする心の形に、憎しみを選んでしまうとは!」
「憎しみこそもっとも激しく燃え盛る心の形だ。理に適っている」
憎しみを炎の力に変える。
それこそインフェルノが所有する最悪の能力。
それを元にして放たれる邪炎は、通常の魔法炎を遥かに超える。
「ぎゃあああああッ♡ うひゃああああああッ♡」
その時インフェルノの内部から悲鳴が上がった。
今、インフェルノの主体となっているモノとは別のモノの声。
「待ってッ♡ 何故アタシを火にくべようとするのッ♡ まさかッ♡ まさかアタシを魂ごと炎熱に……ッ♡」
「イダは強敵だ。それほどの炎でなければ焼き尽くせぬ」
「やだあああああッ♡ それってアタシ自身が焼き尽くされて消滅するってことじゃないッ♡ 魂すら消え去って燃えカスになるううううッ♡」
「地獄の苦痛に炙られて憎しみに染まりきったお前たちの魂は、極上の燃料だ。本来なら魔王を焼き尽くすための切り札にしたかったのだが仕方ない」
「いやあああッ♡ 消えるのは嫌♡ 消滅するのは嫌ああああッ♡ 消え去るぐらいなら地獄の方がマシよッ♡ 消えたくないッ♡ 消えたくないいいいいッ♡」
「見苦しいカスだ。しかしそんな自分勝手なエゴの塊だからこそ、よく燃えるだろう。思心の根源は魂だ。魂こそ最強の炎の源だ。憎しみや自己愛に染まりきった魂こそ最上の燃焼剤……」
「いやだあああああああああああッ♡」
「イダよ、受けてみるがいい。空間をも超越する魂の炎を……」
その瞬間。
ラスパーダ要塞は消滅した。