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5話

樹と離れ、広告代理店で働く裕子。

樹の前へ進んでいる姿を知り、自分のやりたいことは何かと、揺れる。

そんなとき、久しぶりの友人からの連絡が。

ワンマンライブの後、私から連絡を取るのを止めてしまった。

しばらくの間、樹からメールが来たり電話が来たりしたけれど…

1回だけ、電話を取った。

「裕子、聞いてる?」

樹の声が聞こえた途端、樹から離れようと言う気持ちが、鈍りそうになる。

黙っているのがキツくて、涙が溢れた。

「…ごめんね」とだけ言って、切った。

まりちゃんの言ってた通りなんだ。

たぶん、これから樹の環境はどんどん変わって行く。

私がそばにいても、じゃまになるだけ。






それから1年。

就活も無事内定を貰えて終わった。

樹のライブを聞いていて、CDのジャケットのデザインをやりたいと思い、自分なりに勉強してた。

でも…樹と離れてから思い出すとつらくなってしまった。

それでも、どこか樹のいる世界に繋がっていたい。

結局、先輩がいたこともあって、大手の広告代理店を受けて、無事内定を取れた。

広告と言っても色々ある。

色々なパッケージデザインだけじゃなくて、ポスターなんかも。

だから、今まで勉強してきたことが、生かせるかもしれないと思った。

イラストを描くチャンスも、もしかしてあるかもしれない…

けれど、そんな私の甘い期待は、すぐに潰されてしまった。



広告と言っても、ピンからキリまで。

新人の私の仕事は、細かい雑誌の広告を手掛けている、先輩の助手。

先輩の前に準備万端整えておくこと。

手配や調達などの細かいことは、先にやっておくこと等々。

カメラマンの手配、スタジオの予約…

一日中バタバタと動いて、気がつくと電車が終わっていた。

そんな日々の中で、樹がインディーズからCDを出したことを知った。

夢への最初の一歩、か…

樹は確実に前に進んでる。

じゃあ、私は?

私の夢ってなんだっけ?

そんな自問自答を繰り返しても、ただ毎日の仕事をこなすだけで、日々が過ぎて行ってしまった。



仕事も2年目に入り、やや慣れて来たけれど…これでいいのかという気持ちが、なかなか拭えない。

やれることが増えても、まだまだ一人前には遠くて、覚えることだらけ。

樹のインディーズデビューを聞いてから、不安で押し潰されそうな気持ちになった。

どんどん樹が遠く離れて行く。

違う世界の人になって行く。

樹の今を知りたくて、音楽雑誌の樹の記事を探したりもした。

あれから、樹から目を逸らして来たのに。

インタビューを読むと、なりたい自分になるために、やるしかないという樹の言葉が、胸の奥に刺さった。

なりたい自分。

なりたかった自分。

そんなことを考え出した頃からまた、仕事の合間にグラフィックデザインの勉強を始めた。

勉強したからと言って、私にはまだ仕事の依頼なんて来る訳もない。

それでも…

そんな時、樹が事務所に所属したことを知った。

程なくして、メジャーへの移籍も。

25歳になる年だった。


夏に、メジャー移籍後初の樹のライブが行われることが発表された。

中規模のホールだから、今までのライブハウスよりキャパは大きくなる。

大手の事務所だからなのか、音楽雑誌での扱いも大きくなって、グラビアも飾るようになった。

部屋で1人、じっくり読んでみる。

グラビアの樹の目は、私が知ってる穏やかな樹じゃない気がした。

インタビューの内容も、初めから何かミュージシャンの型に当てはめられているようで…

こんなものなのかな、ミュージシャンとして売り出すということって。

樹はどう考えているんだろう。

…相変わらず、綺麗な横顔。

この頬に、この唇に、触れたのは何年前だろう…

樹から離れて初めて願った。

樹に会いたい。

あの歌を歌う樹にまた、会いたいと。




仕事に1日走りまわった日も終わり、帰る支度をしている時だった。

知らないアドレスからメールが来ていた。

誰?

なぜ、私のアドレスを知ってるの。

開いてみると…なつき。

高校の時仲良くしていて、幼なじみでもあつた、高山なつきだった。

大学の時に1、2度会ったけれど、それからは会う機会がなかったのに、会いたいなんて今頃なんだろう…

翌日は特に用事も無かったし、久しぶりに会おうかな。

今、なつきはなんの仕事をしてるんだろう。

翌日、仕事が終わって待ち合わせのカフェに行く。

私もたまに利用する、居心地のいい店。

食事も出来るしお酒も飲める。

女性客が多いから、気楽に長居出来る店だ。

店の中に入って見渡すと、窓際の女性が手を振るのが見えた。

「待たせてごめんね」

「ううん、私もさっき来たとこ」

2人、ビールのグラスを合わせてから、近況を聞きあった。

「裕子、広告代理店なんだってね。ずいぶん忙しいんじゃないの」

「うん、まあね…でも、さすがに最近は終電で帰るのはしなくなったよ。それに、私はそんな花形部署じゃないもの」

「雑誌の広告?」

「うん。新人の頃からだから、慣れはしたけどね。締め切りがあるのが難点かなあ。なつきは?なんの仕事なの?」

「私?今、音楽事務所に勤めてる」

「音楽事務所?」

「そうよ、ミュージシャンのマネジメントが主な仕事」

「ミュージシャン…」

それを聞いたら、樹のことを思い出さずにいられない。

まさか…

「実は、この春から西山樹のサブマネージャーになったの」

「えっ…」

「私もビックリしたわ。まさか、西山くんがうちに入るなんて。インディーズでの噂は聞いてたけどね」

「そうだったの…」

樹が大手の事務所に所属したというのは、ネットニュースで読んだ。

そのとたんに、露出が増えたのは素人の私にだって分かる。

その樹のスタッフに、なつきがいるなんて。

「ねえ、裕子は今、西山くんに全然連絡取ってないの」

「取ってない…だってもう、別の世界の人じゃない。連絡なんて取ったってしょうがないよ」

「そんな風に思ってたんだ」

ボリュームのある美味しそうなサラダを、つつく気にもなれず、ついビールばかりを飲んでしまう。

アルコールがまわったせいもあって、なつきに聞かれるまま樹とのいきさつを、話してしまった。

「そのまりちゃんって人の言ってること、全く間違いでもないかもしれないけどさ」


話すにつれ、なつきもビールを空けるのが早くなった。

「それでも…どうするかは当人同士が決めることよね。余計なお世話だわ」

「でも実際、樹のファンは女性が多いんでしょ」

「そうだけど…だからと言って彼女がいたらダメとか…まあ、今はマズそうだけどねえ」

「そうなんだ」

「樹くんの見た目や雰囲気は、女性に受けちゃうからねえ。どうしても、女性受けのする売り出しかたになっちゃうのよ。彼氏感のあるグラビアとかね」

彼氏感、か…

樹は、すっかり「芸能人」にされてしまうのかな…

「でも、西山くんは言われるままにはなりたくないみたいだよ」

「…そうなの?」

「ここの所、よくそれを口にしてる。でも、新人だからなかなか思うようにはね」

…そうだったんだ。

華々しく見えても、そんな葛藤があるのね。

樹、焦れったいだろうな。

「それでね、話の流れで言っちゃうけど。夏のホールライブ、裕子に来て欲しいって」

「私に?…なんで?」

なつきが差し出したチケットの券面を、じっと見つめた。

「なんでって…裕子に今の姿を見せたいんでしょ」

「でも…私から連絡を切ってしまったのに」

「…そこはまあ、それでも来て欲しいってことよ」




なつきと別れ、無理やり渡された封筒を見つめた。

私だって、樹に会いたい。

樹の歌を聴きたい。

いいの、私が行っても。

速まる胸を押さえながら、夜の街に出た。

また樹に会えたら…一緒にいる頃の私に、戻れるのだろうか。

それとも、もう戻れないと思い知るのだろうか。















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