第18話 偽りの夢 其の四
香彩の手前、何も言わずにいたが、ふたり分の妖気払いの術の行使に、看病、寝不足と来ると流石に堪えるものがある。
ふたりが湯殿から戻って、再び寝具に入ったのを確認してから、自分も湯を頂いて少し眠りたいと:紫雨は思った。
先日の籍田皇の視察の疲れも重なって、やけに身体が重いのだ。
紫雨がふと叶を見やると、視線が合った。
特に何も変わりはないように見える。
だが、その視線が妙に落ち着きがない。ちらりと紫雨を見たと思えば、然り気無く逸らして別のものを見て、再び紫雨に視線を合わす。と、思えばまた然り気無く逸らすのだ。
少し考えた後でようやく腑に落ちた答えに、紫雨は大きく重いため息をついた。
「──乙女か己れは。察して貰おうなどと思うな。聞いてほしいことがあるんだろう?」
紫雨の言葉に、決まりの悪そうな表情を浮かべていた叶は、なんで分かるんでしょうねぇと、紫雨に聞こえるか聞こえないか分からない声の高さで、そう呟いた。
どうやら聞こえていたらしい紫雨は、とてもおかしそうに声を立てて笑う。
「長い付き合いだ。素のお前は表情豊かで、何を思うのか雄弁に語ってくれるからな。流石に『魔妖の王』としての面を被っている時は読みにくいが」
何を考えているか、分からない様に思われがちな叶だが、実は単純明快で、欲や翼望に素直な分、感情が顔にすぐ出る方だと紫雨は思っている。
だがこの『素直さ』を全面に出したまま、『魔妖の王』としての面を被る叶の姿は、実に読みにくく、またがらりと変わる雰囲気は、不気味さを感じる程だ。
紫雨を始め、竜紅人、香彩といった生物的に天敵関係な者達からすれば、その雰囲気の変わり様は、心の奥に眠る原始的な怖れを呼び起こし、自身が攻撃された訳では無いというのに、無意識に自衛の為の『形』を取らされてしまう。
叶に自覚はあるのだろうか。
たった今、その『雰囲気』を纏ったことに。
だが、どうしたことだろう。
右手で、左手の甲を握り締めるようにして、卓子の上に置かれた叶の手。鋭爪が喰い込み、皮膚が破れるのではないかと思う程、力の込められたそれに、紫雨が目を見張った。
視線を感じて、つと上げる。
思い詰め、だが何かを決めた毅い瞳とぶつかり、紫雨は思わず息を呑んだ。
言い難く、言葉を選び考え、口を開くその様が、とてもゆっくりと流れていく景色のようにも見えて、彼が何を言おうとしているのか自身の直感で理解出来てしまった紫雨は、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「──香彩に『兆し』が出ています」
叶の抑揚のない口調が、容赦なく告げる。
「私の封じが働いている内は、まだ全容は『視えて』いないでしょう。だが解き放たれるのは、時間の問題です」
「──……ああ」