第9話 前触れ 其の一
いつの間に部屋に戻されたのか、療には全く記憶がなかった。
竜紅人と紫雨が、香彩のことで何やら話をしているのを、療はどこか意識の遠いところで聞いていた。
自分達の使っていた部屋が大広間に近い場所にあった為、香彩への影響を考えて、一番離れている入口に近い部屋に移動しろとのことらしい。
行くぞと竜紅人に促されて、彼の後ろを付いて行ったことは何となくだが覚えていた。
卓子に出された香茶の、とても良い香りに触発されて、療はようやく我に返ったかのように、目の前にいる人物を自覚したのだ。
「あ、あれ? 竜ちゃん」
「……何だよ」
いつもと様子の違う竜紅人に、療は戸惑った。不機嫌なのはいつも通りだ。ただ明らかに雰囲気が違った。
伽羅色の髪が少し伸びていて、幼さの抜け切った顔立ちへと変化している。
竜紅人は療の向かい側に片膝立てて座っている為分からないが、もしかしたら身長も少し伸びたのではないだろうか。
「な、何か色々……変わった?」
「さぁな。まだ見てねぇから」
刺のある言い方で返されて、療は再び戸惑う。
姿形もそうだが、何よりも一番変化したのは神気だ。
冬の早朝のような、きんと張り詰めた気から、真冬の夜に凍てつく風のような気へと、その印象を変えていた。
その強さは今は抑えられているが、これまでのものと比べると、段違いの強さだろう。
(……でも、ちょっと苦しい)
全体の容量が上がった為か、抑え切れていない神気が、薄い霧の様に竜紅人の身体から沸き上がっているのが見える。
だが不思議なことに確かに苦痛なのだが、どこか懐かしさも感じられて、療は戸惑いながらも竜紅人に言う。
「りゅ、竜ちゃん? もう少し神気を抑えてくれると、オイラ嬉しいんだけど」
療がそう言い終わるや否や、五月蝿いと軽く怒鳴り返されて、目を丸くする。
「人形に戻ったばかりで、調整がきかねぇんだよ、こっちは。ちょっとは我慢しろ!」
うわぁ我慢しろときましたか、と療は心の中で毒付く。
竜紅人はどうやらいつも以上に、腹の虫の居所が悪いらしいと判断した療は、香茶を一口飲んで軽く息をつくと、おもむろに立ち上がった。
離れの中でも入口に近いこの部屋は、他の部屋に比べると広めで、少しばかり様子が違っていた。
出入口となる障子戸があって、直接座ることが出来る畳と呼ばれる厚い敷物があり、:卓子はその上にのっていた。
他の部屋はこの畳の上に、寝具を敷いて寝ていたのだが、この部屋は畳の途中から磨き上げられた板間になり、紅麗で見た珍しい寝台がふたつ並んでいる。
寝台には装飾の施された格子がふんだんに使われていて、四隅には飾柱があり、そこから紅麗灯のほのかな灯りでさえも艶やかに煌めく天蓋が垂れていた。
そんな寝台に腰かけるが、正直言って落ち着かない。
よく見ればこの部屋は、先程いた部屋と違って、物の素材が良いように感じられる。
小さく息をついて、療は天を仰いで目を閉じた。
身体の奥に隠してある、ものの一部を繊細に紐解く様に、徒人には見えない『力』の膜を少し厚くしたその時だった。
くつくつと竜紅人が、面白そうに笑うのを、療はぎよっとして見る。
「な、何? 竜ちゃん? 竜ちゃんそんな笑い方する人だった?」
「……あのなぁ。お前まで『力』を強めちまったら、いよいよあのおっさんに叩き斬られるぞ」
「……何? 紫雨に斬られるって、縁起でもないこと言わないでよ」
「そりゃそうだろう……ってお前まさか香彩が熱で倒れた原因、知らない訳じゃないだろうが」
一瞬きょとんとした表情を見せた療は、竜紅人の話した言葉の意味を考えて浮かんだ答えに、思わず顔を青くした。
竜紅人の神気の辛さに、ほんの少しばかり解放した自身の妖力を抑え込むと、盛大なため息が聞こえた。




