第8話 残夢 其のニ
「全く、お前といい咲蘭といい、自覚がないのも考えものだな」
紫雨の手が香彩の額から離れる。
ちゃぷんとした水の音と、何かを絞るような音が聞こえた。
「ただでさえ、奴と竜紅人の『力』を直接受けたというのに、鵺の妖気も浴びた挙げ句に、蒼竜に請願した術を使い、あいつに直接触れた。ここまで勢揃いした毒だ。飲んだ護符なんぞ気休めにしかならん」
耳が痛いと香彩は思った。
紫雨から護符を貰う前であっても、療と長い時間共に在る為に、微弱ではあるが薄い膜の様な結界を張り続けている。
だがそれで身体を護ることが出来ているのは、療が香彩を始めとする周りの者に影響を与えないようにと『力』を抑えているから成り立つことなのだ。
先程のような叶と竜紅人が衝突した際の、加減なしの妖力と神気を直接浴びれば、微かな結界など掻き消えてしまう。
人が持たない過ぎる『力』は、たとえ国を支える加護の『力』であっても、毒なのだ。
まさか熱を出して倒れるとは思っても見なかった香彩は、何故あの時紫雨が竜紅人の元へ行かないように懸命に止めていたのか分かり、心の中で反省する。
紫雨が額を覆っている香彩の手を取り、そっと胸元へと移動させた。
水で濡らされた手拭いが香彩の額に置かれると、その冷たい心地良さに、香彩はようやく全身の力が抜け、大きな息をつく。
「妖気は抜いた。熱が下がるまでもう少し寝ていろ、香彩」
「……竜紅人と、療は……?」
出した声が思っていた以上に枯れていて、香彩は顔を歪ませる。
紫雨が少し驚いた気配がした。
「水を飲むか? 何なら宿に果汁の用意を、申し付けるが」
紫雨の言葉に、香彩は僅かに首を横に振った。
たったそれだけの動作でも、頭の中が掻き回されたような眩暈と頭痛が襲ってくる。確かに喉は渇きを覚えていたが、飲み物を嚥下すると胃までも掻き回されそうだった。
「竜紅人は人形に戻ったばかりで神気の調節が不慣れでな。今のお前にとったら、竜紅人も療も毒の塊の様なものだ。少し離れた部屋で待機している。竜紅人は少し不貞腐れているようだったから、体調が良くなったら会いに行ってやるといい」
「……療は……? 大丈夫だった……?」
様子がおかしかったのだ。
彼の性格ならば竜紅人の覚醒した姿を見た途端に、竜ちゃんすごい、と騒ぎ立ててもおかしくなかった。
(……あんな迷い子の様に立ち竦んだ姿、初めて見た)
何を言うでもなく、ただ茫然と蒼竜を見ているようで、その更に向こうにある何かを見ているような、躊躇いの目と表情が気になっていた。
「竜紅人が付いているから大丈夫だろう。後で様子を見てくるから……お前は何も考えずに眠れ。療が心配なのなら、尚更お前が元気にならないと駄目だろう?」
紫雨がそっと香彩の頭に触れる。
その手の温かさに、恐ろしさではなくて、安らかで嬉しい気持ちで心が満たされたことに、香彩はやはり悪い夢に引き摺られただけなのだと感じて、そっと目を閉じた。
香彩は深く眠り続ける。
この後すぐに騒ぎながら、この大広間の障子戸を開けて部屋に入ってきた叶と咲蘭に、紫雨が呆れながらも静かにせんかと怒鳴り付けたのだが、深層を垣間見る眠りについた香彩は一切気付くことはなかった。
 




