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双竜は藤瑠璃の夢を見るか  作者: 結城星乃
第一幕 天昇
59/110

第58話 『葵』という名 其の一


 

 竜紅人(りゅこうと)

 だめだよ。

 竜紅人。




 少年が目の前で必死に自分の名前の呼ぶ様子は、どこか遠い所から眺めているような感覚に似ていた。

 今にも泣きだしそうな表情で。

 傷だらけの腕を伸ばして。



(……何があったんだ?)

(何でそんな……そんな顔をしてるんだ?)



 伸ばされたその腕を、手に取って。

 聞きたかった。

 お前をそんな表情にさせているものは、何なのか。

 竜紅人がそっと少年に向かって腕を伸ばす。



 最後に見えたのは、少年の凍り付いた顔。



 腕に込められた力は、いとも簡単に少年を掻き消したのだ。











「──っ!」



 薄っすらと目を開けた竜紅人は、身体を動かした瞬間に訪れる痛みに、思わず顔を歪ませた。無意識にその部分に手をやり、自分の『癒しの力』を発動させる。

 痛覚に治まりが見える頃、濡れた感覚のある手を自分の視界の届くところへ持ち上げる。腕がひどく重い感じがした。


 見えるのは血に濡れた手、その五指。

 べったりとしたそれは、妙に鉄臭くて、そして獣臭がした。



(こんな手を……)



 自分はどこかで見た気がした。

 自身の手だったのか、そうではなかったのか分からない。そんなぽっかりと開いたがらんどうな記憶を、ぼんやりとして思い返す。



(自分ではなかったら、誰の?)


 

 記憶の片隅に残っているのは。

 耳の奥で今でも聞こえてくる、あの声は。


 

 全て、(あおい)のもの。


 

 『葵』という名前に、ぼんやりとしていた竜紅人の意識が覚醒する。  

 確か自分は(かのと)の攻撃から葵を庇って、倒れたのではなかったか。

 竜紅人は俊敏に飛び起きて、二人の気配のある方へと向き直る。





 その光景に、息を呑んだ。




 今まさにその刹那。



 叶の鋭爪が、長い銀糸の髪に首を締め上げられた葵の身体を、切り裂いた。

 苦悶の叫び声を上げ、首を絞める髪を振り解こうとしていた葵の腕が、だらりと下がる。

 それを見遣って叶は、締め上げていた髪の力を緩めると、どさりと葵が地に落ちた。



「──葵!!」



 動く様子の全くない、伏した姿に。

 竜紅人は少年の元へ駆け出し、その身を抱き起した。

 借り物だった葵の姿が、少年の姿へと戻る。

 胸から腹部へと切り裂かれた傷から溢れ出す鮮血は、葵が着ていた着衣をどす黒く染め上げていった。



「葵!」



 竜紅人の呼び声に、葵がそろりと目を開けるが、瞳の中に光はすでになく、とても空ろに竜紅人を見ていた。

 



 そっと。

 竜紅人に伸ばされた血濡れの手が。



「……りゅこ……と。ごめん……」



 微かに頬に触れて。

 力なく落ちた。




 その手が、記憶の中のものと全く同じで。

 自分の為に、必死に呼び続け、手を伸ばしてくれたものと、同じもので。

 まるで冷水にでも触れたかのように。

 曖昧だった『記憶』そのものに背筋を叩かれたかのように。

 竜紅人は思い出す。



 『葵』とは、何であったのか。

 



 竜紅人は力の入っていない少年の手を取ると頬に触れさせ、自身も少年の手に頬を寄せた。



「……どうして、忘れることが、出来たんだろうな……」



 竜紅人の言葉に返事はない。



「なぁ? 『葵』……?」



 今度は確信を持って、竜紅人はその名を呼ぶ。

 名付けたのは、己自身だ。



「今度は……俺が、『呼ぶ』番だな?」

 


 ゆっくりと、だが確実に思い出されていく、がらんどうな中身に、竜紅人は堪らず目を閉じたのだ。





 

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