第57話 無限の回廊 其の五
咲蘭の手が療から離れる。
いつの間にか香彩の腕を掴んでいた紫雨の手も離されて、香彩はようやく療の側に行くことが出来た。
顔を上げた療は、泣いてこそいなかったが、その綺麗な紫闇の目は、薄っすらと涙の膜に覆われているように感じる。
香彩と視線を合わせ、いつも通りにっこりと笑う療に、香彩は何も言えずにいた。
その心情を察するように、香彩に付いて回り、今では彼の横でお座りをしている二匹の鵺の子供が、少し悲しそうな声で、めぇと鳴いた。
不自然に。
鵺の子供たちの動きが止まる。
まず変化を感じ取ったのは療だった。
療の様子に香彩が気付き、鵺の子供を見る。
二匹の鵺の子供たちが、天井に向かって甲高く鳴き出した。
聲はとても喜びに満ちているかのようだった。
そして。
外廊下の床を、たしたしと足音を立てて、鵺の子供は駆け出したのだ。
無限の回廊へ向かって。
即座に反応したのは療だった。
続いて香彩がその後を追いかける。
香彩を呼ぶ紫雨の声が聞こえたが、香彩は構わず療を、鵺の子供を見失わないように前を向く。
この先には紫雨と咲蘭がいるはずだった。彼らなら鵺の子供を捕まえてくれるはずだ。
(……今度こそ本当に叱られそうだな)
結界の先へ行こうとしたわけじゃないから、出来たら許してほしいものだけれども。
そんな風に考えながら香彩が走っていたその時だった。
微かに。
ほんの微かに。
耳の奥で。
捉えたその聲。
物悲しくも神秘的な鳴き声の中に、響く。
聲。
──絶てばいいのだ、と。
駄目なのだと。
無理なのだと。
希望と願いを失って、最後に出した答えがこれであるかのような。
昏い聲だった。
その感情を直に触れて受け取ってしまった香彩は、蹲りたくなるのを何とか堪えて療の後を追う。気持ちで痛む胸を押さえながら。
無限に続くはずの外廊下は、既に無くなっていた。
何故気付かなかったのだろう。
(……外廊下は、中庭に面していたのに)
本来ならばどこからでも中庭に行けたはずなのだ。
砕けた木材と障子の紙が辺りに散らばっていた。
綺麗に整えられていた庭園は、土や砂利が所々で吹き飛ばされたか無くなり、窪みが出来ている。薙ぎ倒された木も何本かあった。
そんな中庭の中央で、天を見上げて静止する竜紅人の姿を見つけた。
鵺の子供達はそんな竜紅人の側で、同じように見上げている。
竜紅人の側には叶が。
叶のすぐ横には、膝を折り叩頭し、動きを止めた療の姿があった。
療を見下ろす叶が、何かに気付いたように視線を上げる。
その先は香彩の背後。
「──全てが終わったら、説教だ。覚悟しておけよ、香彩」
「あれは不可抗力なんじゃないんですか?」
「理由がどうであれ、三度目だからな」
いつの間にか香彩の後ろにいた、紫雨と咲蘭が再び言い合いを始めている。
香彩は苦笑しながらも紫雨に応えを返した。
ここが結界の最終地点なのだと、自身の勘がそう告げていた。
中庭へと一歩足を踏み出す。
今まで何も感じなかったことが不思議なくらいの。
うねりを打つ、とても大きな神気と。
こちらへと迫る妖気が。
そこにはあったのだ。




