第52話 兆し 其の三
「紫雨……」
「滅入るお前の声も珍しいものだな。何だ?」
「護守が崩された、というわけではないのですね?」
咲蘭の言葉に、療と香彩もまた紫雨を見ている。
「もしかして紫雨が白虎を連れてきたから?」
「そんなことで結界が弱まるんだったら、脱走し放題になっちゃうよ」
療の質問に香彩が答える。
「縁起でもないことを言わないで下さいね、香彩」
にこりと笑う咲蘭に、療と香彩は何やら背中に冷たいもの感じ取る。
事務仕事や決裁の度に行方不明になる彼を、追いかけまわしている咲蘭にとっては『脱走し放題』という言葉は確かに縁起が悪いことこの上ないだろう。
三人は自然と黙って紫雨を見る。
そんな三人を見遣って、紫雨はとても大きく息をついた。
「……護守には影響ない。寧ろ反応がなさすぎて、あいつに問い質す案件が更に増えた、といったところか」
紫雨の言葉に苦笑いをするのは療と香彩、そして少し不機嫌そうに息をつくのは咲蘭だ。
「──っ!」
突如咲蘭があらぬ方向を見つめて息を詰めた。
次いで香彩と療、そして紫雨が同じ方向を見つめて、息を呑む。
妖気が、膨れ上がる気配した。
まさに臨戦態勢。
なにと。
争う必要があるのか。
療と香彩はお互いに頷き合うと、そっと障子戸を開けて、気配の漂う外廊下の方向を部屋から覗き込むように見ていた。外廊下にも『紅麗』の暖かな色をした灯があるが、それでも奥まった場所には灯りは届かず、暗闇が広がっている。
香彩は右手の人差し指と中指を口の前に持っていき、息を切るような動作をした。これで人の瞳では見ることが出来ない暗闇の中を、まるで昼間のような明るさで見ることが出来た。
ふと療が紫雨を見ると、香彩と同じような動作をしている。
今この場で夜目が利くのは、療と咲蘭だけだ。
療と香彩は中々部屋の中から外廊下への一歩を踏み出せずにいた。
状況がどうなっているのか、何故ここに彼がいるのか。何故惜しみなくその独特な妖気を振り撒いているのか、全く読めないでいる。
ふたりは紫雨と咲蘭に向かって首を横に振った。
納得したように頷いた紫雨が何かを言いかけたその時だった。
対抗するように膨らむ見知った神気に。
思わずといった様子で駆けだしたのは、香彩だった。
「……か……っ!」
「──あの馬鹿息子がっ!」
療を押し退けるようにして紫雨が部屋から飛び出した。
長く真っすぐ続く、離れの外廊下で。
紫雨がかろうじて香彩に追いつき、腕を掴んだその瞬間だった。
馴染みのある妖気と神気がぶつかり合い、大きな音を立てて爆発を起こしたのだ。




