第50話 兆し 其の一
見事な装飾が施されている欄間のある大広間に、愛らしい獣の鳴き声がしていた。
足を楽にして座っている香彩が両手を差し出すと、その獣は、めぇ、と一声鳴き、短い両前足をぴったりとくっつける。片手を差し出すと、ちゃんと片方の前足をくっつけに来る。
前足を出す度に、めぇ、と鳴くその姿の可愛らしさに、香彩は元より、その場にいた療や咲蘭も、楽しげにその様子を眺めていた。
もう一方の獣は遊び疲れたのか、咲蘭の膝の上でぽっこりとしたおなかを出して、とても気持ちよさそうに眠っていた。
呼吸をする度に、膨らんだり凹んだりするおなかを、咲蘭の陶器のような綺麗な手が、くるりと円を描くように撫でている。白くてふわふわな獣の毛は、おなかの部分だけが薄く、薄桃色をした獣の肌が見え隠れしていた。
香彩と一緒に遊んでいた獣が、覗き込むようにして、寝ている獣を見る。
そして咲蘭と同じように香彩もまた、ぽっこりとしたおなかにそっと触れた。
「わ……」
白いふわふわな毛は更に柔らかく、手に感じるとても温かい体温に思わず声が出てしまって、香彩は慌てて口を閉じた。
咲蘭が自分の右手の人差し指を口元に当てて、静かに、とばかりに合図する。香彩も同じように横にいる獣と咲蘭の順番に合図をして、ふたりはくすりと笑い合った。
「……何だが、あの周りだけ、世界が違うねぇ?」
「いつものことだろう?」
呆れた声色で言う療に対して返す、紫雨の声の柔らかさに、療は思わず紫雨を見上げた。
紫雨は難しい顔をして、香彩と咲蘭を見ているようにも見えた。
用意された香茶の入った湯呑を骨張った手が持つと、片手でぐいっと飲む。まるで酒でも煽っているかのような香茶の飲み方だった。
そんな態度とは裏腹に、眼差しと声色が柔らかい。
何となく今の彼の心情が分かるような気がして、療は心内でくすりと笑うことにする。
その視線に一番先に気付いたのは、やはり香彩だった。
まあるい緑翠色の瞳を少し大きく開けて、どうしたのとばかりに軽く首を傾げる。
無言で何でもないとでもいうように、首を横に振る紫雨の口元が弧を描いていたのを見て、療はげんなりと小さく溜息を付いた。




