第37話 紫雨と香彩 其の三
「……で? 色々とは?」
少し物思いに耽ていた香彩は、少し深みのある口調で言う紫雨の声に、意識が引き戻される。
「竜紅人のこと……なんだけど」
話していいものかと悩んだが、自分の感じたものを共有し、意見がほしいと切実に思ったのも、事実だった。
「昨日ね、竜紅人を『視』たんだ……」
意外な名前と、力の行使に紫雨が目を見張る。
香彩は、昨夜感じた竜紅人の様子を、紫雨に話した。
大きな光の力の奔流。
それは香彩や紫雨にとって、術力の源となるものだ。
引きずり込まれ取り込まれそうなくらいの、その毅さ。
その中に見える、大きく広げた力強く羽ばたく竜翼。
「……初めて葵を見た時、違うものに見えたんだ」
竜紅人がその腕に大切そうに抱いていたもの。
あの時は結界を張ることに精一杯だった。だが竜紅人が少年を、とても大事そうに木の幹に寄り掛からせていた光景に、一抹の寂しさを覚えたのも事実だ。
今まで自分のいた場所を突然取られたような、そんななんともいえない気分を、香彩は心の奥底に閉じ込める。
「何かね……竜紅人の中にあった、光の力の奔流の大きな玉に見えたんだ」
それは一瞬の表情の変化、だった。
香彩の話を聞いていた紫雨の顔が、強張ったかのように見えた。
だが本当に刹那の出来事で。
すぐに表情を隠した紫雨を、香彩は問うことが出来なかった。
(……この感じ、この前と同じだ)
夢から目覚めた時の、『聞いてはいけない』という直感。
それとまさに同じものを香彩は感じていた。
「……今はまだ隠れているけど、葵の中にはとても毅い光の力を感じる」
ここまで話して香彩は喋ることを止めた。
ふたりの間に沈黙が降りる。
それぞれが自分の中で、様々なことを考え、巡らせる。
柔らかい風が香彩と紫雨の間を、吹き抜けた。
紅麗灯の暖かい色の灯が、大きく風に揺れて、立っている香彩の影もまた、ゆらりと揺れる。
まるで心の中のように。
「……覚醒、か」
沈黙を破ったのは紫雨だった。
香彩は無言でこくりと頷く。
「多分……葵は、竜紅人の……」
香彩が話そうとしたその時だった。
結界にわずかな衝撃が走り、紫雨が思わず立ち上がる。
破られてはいない。
だが。
聞こえてくるのは、とても甲高い獣の咆哮。
「なっ……」
匂い立つように溢れてくる、その独特の気配。
その黒い影が、香彩の前を遮った。




