第34話 離れにて 其の四
誰とも言わず、多分この場にいた全員が大きく息をついたのが分かった。
顔を見合わせた咲蘭と療が、くすくすと笑う。
その場にいるだけで、見る者に強く迫るかのような威圧感を感じることもあり、紫雨のいなくなった部屋はそれだけで空気が違う。
特に緊張したつもりなどなかったはずなのに、肩に力を入れていた自分が可笑しくて、竜紅人も笑った。
それを見ていた療が、ほっとしたように口を開いた。
「しかし……香彩もすっごいよね。ほぼ四六時中、一緒なのによく平気だなっていつも思うんだ」
「あいつらは……似てないようで、似てるからな」
「それに……また違うんでしょうね。私達と一緒だと」
全く持ってその通りだ。
たとえ纏っている雰囲気が変わらないとしても、お互いの前でしか見せられないものもあるのだろう。
竜紅人は残っていた香茶を飲み干す。どうやら喉も乾いていたらしかった。
「おかわりはいかがしますか? 療、あなたは?」
自分の手元に置いていたのだろう、茶器の一式を机の上に置き、咲蘭が問う。療は喜んでお願いしますと、湯呑を渡した。
竜紅人もそっと湯呑を咲蘭に渡す。
「香茶もお願いしたいんだが……もうひとつ頼まれてほしい。咲蘭」
「おや? 珍しいですね。あなたが私に頼み事など」
咲蘭が湯呑を渡しながら言う。
仕事柄、咲蘭とは接点はある。
咲蘭は大僕参謀官という任に就き、国主の補佐を行うと同時に、その身辺警護も行っている。大僕参謀官の別名を大司馬将軍といい、軍事、警備を取り仕切る大司馬の統括であり、宿衛兵である療の上司だ。
大僕は、六つの大司官の統括でもある、大宰と仕事をすることも多い。
大宰には弟がいて、竜紅人にとって直属の上司である大司冠の任に就いている。
会話する機会はたくさんあった。
竜紅人は国主に預けられている身でもある為、仕事以外でも国主の横にいる咲蘭と話すことも多かった。
だが、頼み事したりされたりする程の間柄ではない。
それでも。
「……一晩、葵のこと、頼めるか?」
咲蘭が目を丸くしたかと思うと、くすりと笑った。
「おや? 心配で気になるあまり、同室にするのかと思っていましたよ」
受け取ったばかりの湯呑を、そのまま落としそうになって慌てる竜紅人を、療が驚いて見ている。
げんなりとした顔をして、竜紅人は溜息をついた。
「あのなぁ……」
「流石にあなたとあの少年が同室では、面白がる統括もいることですしね」
構いませんよ、と咲蘭が言った。
「ひとりにしておくのが、心配なんでしょう? 彼が目醒めたら真っ先にお知らせします。竜紅人、まずは何も考えずゆっくりとお休みなさい」
気遣うような優しい表情で笑む咲蘭に、竜紅人が息を呑んだ。
その笑みに、腕に添えられた手に。
「……すまない」
心の中の張り詰めていた糸が緩まされたような感覚に、目頭が熱くなる。
竜紅人はそれを、俯くことで遣り過ごした。
「療? 竜紅人を連れて行きなさい」
咲蘭の言葉に、療が短く返事をした。
竜紅人を支えるように体に手を添え、立ち上がらせる。
頼みましたよ、と声を掛ける咲蘭に、療はこくりと頷いて見せた。