第41話 怪訝の鬼 其の三
あまりにも静かだった。
この光景だけが、時間だけが、切り取られて取り残された様に静かだと、療は思った。
朝の爽やかな風が療の頬を撫で、さわさわと葉擦れの音が聞こえてくる。
そして……ぜい、と荒い息を整えようとする音も。
珍しくも感情を剥き出しにして、怒声を張り上げたのは、紫雨だった。
目を凝らせば、彼の背中から立ち昇る瞋恚の焔が、蒼白く見える気がした。深い深い怒りに衝き動かされている様を、療は動揺しながらも見ていることしか出来ない。
ぎら、と。
怒気を孕んだ紫雨の深翠の目は、どこか昏く沈み、赫怒の念を含んだ焔は、瞳の底を蛇の舌のように揺らめいている。
まるで睨み潰そうとでもしているかのように紫雨は、忌々しげな表情で叶を見ていた。
そして胸倉を掴まれて、成されるがままに、微動だにしないのは叶だ。穏やかだと表現していいものか療は悩む。それ程までに彼君の表情は、感情に対する動きが見られなかった。
寧ろ超然としているようにも見えた。
紫雨の行動と言い分を、自らを律して受け止めていて、それでいてなお、どこか関心がなく淡々としている様で。
(……叶様はどこから)
知っていたのだろう。
(むしろ初めから……?)
自分達に鵺の偵察を命じた時から、知っていたのだろうか。
(こうなることがわかっていて)
自分達を城の外へ出したのだろうか。
──何の為に……?
療は叶を見る。
一番感情の現れるだろう、その紫闇の目を。
「……──っ!」
飲み込まれそうだと、療は思った。
あまりにも穏やかで、静かな叶の瞳の奥にあるのは、『力』の深淵だった。
深潭にも似た底の見えないところにある、溢れんばかりのものが、柔らかくも粛然と現れる。
それは颶風が物を薙ぎ倒す様を、目の前にした時のような、恐ろしさと無力感によく似ていた。
絶対に敵うことのない支配者を前に、意思に従属する本能が刺激されて、療は歯を食い縛り耐える。
膝を折るのは簡単だ。
寧ろ身体は、本能は嬉々としている。
側に仕えることの出来る喜びに、膝を折り、叩頭し、言葉ひとつで傀儡になることを、本能が望んでしまっている。
だが今は駄目だ。
まだ抵抗出来る内は、抵抗したいのだ。
(……じゃないと、紫雨が孤立する)




