校長との会談
「ど、どういうことだよ……」
あまりに衝撃的すぎる内容に、俺は一瞬でそれを理解することができなかった。
「どういうって、そのままの意味だよ。私はこの世界の人間ではない」
この世界の人間ではない……? 止まりかけた思考の中で、ゆっくりと流れ始める青年校長の言葉。そして、喘ぐように言葉を放った。
「俺と……同じなのか?」
「そうだよ。だから、君は世界で2番目の転生者ということだね」
優しく微笑み、青年校長は両袖デスクの右側の引き出しを開ける。
その中から1枚の紙切れを取り出し、芯のない羽根ペンを取る。
「ちなみに元の世界に戻る方法ってのは、分からないからね」
サラッと言い、青年校長は紙の上に羽根ペンを走らせる。
「ま、待ってくれ……。俺は一体どうなってるんだよ!」
情報は貰えてる。だが、それは肝心なピースが無くなったパズルのようで、全容が見えてこない。
「君が転生してきた理由なら分からないよ。でも、仮に意味をつけるとするならば、その必要が世界にはあったのかもしれない」
紙に落とした視線を持ち上げ、俺に向かう。切れの長い焦げ茶色の目に、通った鼻筋。ミディアムロングの黒髪の毛先にはパーマがあたっているようで校長というよりも少しやんちゃ差が残った教師という印象のが強いように思える。
「世界に必要がある?」
オウム返しで訊く俺に、青年校長はさぁ、と言わんばかりに小さく首を傾げる。
「少なくとも私はここに来た理由をそう捉えたよ」
羽根ペンを元あった机のペン立ての中に戻し、紙に息を吹きかける。
「本当はこういうことしなくてもいいんだけどね。やっぱり長い習慣は抜けないみたいだ」
言い訳をするかのように俺に言うか、そんなこと知ったことではない。
世界に……必要とされてる、か。一体どういうことなんだ?
逆に世界は俺に何を求めてるんだ……。
「あはは。何を求めてる、か。そんなこと私は考えなかったな」
俺の思考を読んだ青年校長は笑いながら、高級そうな椅子から立ち上がる。
身長はおよそ175センチといったところだろう。俺よりでかい……。
「はい、これ」
目の前まで来た青年校長は先ほど書き上げたばかりの紙を俺に渡す。
なんだ? そう思いながら視線を紙に落とすと、そこには《入学証明書》と書かれていた。
「にゅ、入学!?」
目を見開き驚く俺に、青年校長はニタリとして右手を差し出してきた。
「私は、王立魔術学院"イグノーン"の校長マクベスだ。これからよろしく頼む」
「マクベスって、やっぱりこの世界の人間何じゃないか」
やっぱり、嘘だったんだ。そう思い小さくため息をつく。
「そう思うか? なら、いま渡した入学証明書を見てみると良い」
何なんだよ……。小さく首を傾げながら、俺は先ほど受け取った紙切れ――入学証明書に視線を落とす。
【下記の者を王立魔術学院”イグノーン”の入学を認める。
カーミヤ・アイリス
校長 マクベス・イリオン】
は? カーミヤ・アイリス? 誰だよ、それ。
「君のことだよ。茅野峰亜(かやの-みねあ)くん」
「えっ……。俺、名乗ったか……?」
自分の手が小刻みに震えているのを感じながら、俺は喘ぐように言った。
「名乗ってなくてもわかるよ。私は、校長だから」
マクベスは大胆不敵に嗤う。整った顔を少し歪ませ、悪の大魔王のような表情を作る。
「まじ……かよ……」
「マジだよ」
繋げるべき言葉が見当たらない。魚のようにぱくぱくと、口を開け閉めする。
──戸惑ってるかい?
不意に頭の中にマクベスの声が響く。ハゲ頭がいた時と同じように直接的に流れ込んでくる。
「心意……魔法って言ったっけ?」
挑発するような目でマクベスを見て、厳かな口調で言う。
「よく覚えてたね」
「まぁな」
マクベスは生徒を褒める教師のような口調でそう言うと、真剣みを帯びた表情になる。
「隣町の私立魔術学院に用があるので、1度しか言わない」
そこで言葉を切り、マクベスは最奥の本棚に立て掛けてあるホウキに向かう。
「この世界と私たちの世界との時間の流れは大きく違う」
「ど、どういうことだよ?」
何かをしながら言うべき事実じゃないだろう。そう思いながらも、ようやく得られた情報を噛み締めながら、訊く。
「そのままの意味だよ。こっちの世界での1年は、私たちの世界のおよそ1日だ」
「1年が……1日? 嘘だろ……」
「嘘じゃないぞ。だからこそ私は、世界創世時から生きている、なんて言われてるんだから」
ホウキを手に取り、俺に向く。
「ちなみに私は、ここに来て745年が経っている。だから元いた世界では745日。2年とちょっとということだね」
俺の真横まで移動してきたマクベスは、俺の肩にぽんっ、と手を置く。
「じゃ、じゃあ! アンタは世界創世時から生きていなかったのか?」
「さぁ、どうだろうね。そこは茅野……いや、カーミヤくんの想像に任せるよ」
俺の肩に乗ったままの手が持ち上がる。そして、再度ぽんっと叩かれる。
「ふざけんなよ。それから俺はこの学校に入学する気もないから」
「……。いいのかな?」
瞬間、部屋が凍りついたような気がした。あくまで俺が感じ取っただけ。しかし、それは圧倒的な恐怖がそうさせたのだ。
変わらない微笑。しかし、その面のような表情の裏に隠されたものは悪魔を飼っているかの如く、人間のそれではない何かを感じた。
何も言えず、ただ黙っているとマクベスはより一層穏やかな表情で告げた。
「住む場所も、食べ物も。全てを与えてやると言ってるんだぞ? カーミヤくん。それを君が断る権利なんてあると思ってるのかね?」
裏社会で生きてきた人間なのか?
そう思わせるほど慣れた感じで脅してくる。
「わ、分かったよ」
「よろしい。では、行くよ」
「行く? ってどこに?」
そう訊く俺の背中を押して、扉の方へと向かう。
「とりあえずは教務課ってことで」
きょ、教務課!?
そう口にしたかったかが、それが叶うことは無かった。口にしようとした時には、校長室を出て、東京タワーの頂からダイブしていたのだ。
悲鳴すら上げることができない。というか、口を開けたら有り得ない量の空気が流れ込んできて呼吸が出来なくなって……死ぬ。
「カーミヤくん。君は魔法耐性が強すぎるみたいだ」
この有り得ない空気量の中で平然と話し、笑うマクベス。
「私がカーミヤくんに触れた時に、風魔法を付与したはずなのだが、今の君からは魔力残波しか感じられない」
風魔法? 魔力残波?
意味わかんねぇーよ。聞いたことない単語を並べんな。
胸中に怒りが込み上げてくる。同時に、上空から地上に落ちていく上で大幅な気圧変化が体を襲い、吐き気が込み上げてくる。
「本当に面白い人だよ、君は」
それだけ言うと、マクベスは手に持っていたホウキに跨る。
瞬間、スカイダイビングのようになっていたマクベスの体勢は整えられ、空中のその場で留まった。
霞む視界の端でそれを捉えた俺は、胸中で魔女かよ……と吐き捨てた。
「女じゃないから魔女じゃないよ。意識半分飛んでるっぽいけど、最後に一つだけ。私のことについて教えてあげるよ。本名は幕下雪(まくした-すす)だよ」
そう聞いたような気がした。もしかすれば、この言葉自体マクベスは言ってなく、俺の妄想なのかもしれない。確かめる術はマクベス本人に問いただすぐらいだろう。
でも俺の意識は途切れかけていたために、口を開くことは愚か指1本動かす力すら残ってなかった。
「不思議だ。本当に。何故ここまで魔法耐性が強い人が、ゲートを通れたのか……」
マクベスはそんな俺の開襟シャツの襟を掴み、不思議そうに首をかしげてから、口角を釣り上げ不敵に微笑む。
しかし俺はそれに全く気が付かない。いや、気付けないと言った方が正確だろう。
「まぁ、カーミヤの研究は後だ。それよりも今は急がねば……。ここで遅刻しては元も子もないからな」
ホウキに跨るマクベスは、授業中というこもあり誰もいない空中で独りごちた。