迷宮への挑戦
校舎を出た俺とナナニスは、眼前で起こりうる事象に目を見開いた。
場は騒然とし、実況のイチカすら言葉をつなげないでいる。
しかし、それも当然といえるだろう。迷宮は完全に光を失い、闇に染められている。映像のみの提供であったゆえに、映像はただの黒だ。
「どうなってるの?」
赤く目を腫したナナニスは、喘ぐように吐き捨てる。誰も話さない空虚な空間。演武祭などという名が飾りに思えてくるほどに、静まり返っている。
「ナナニスの言ったことが、起きたってことか……」
そう呟く俺の声は震えていた。どんなに強がって見せても、俺は怖がってた。魔法という概念がどれほど世界の理に触れ、事象を塗り替えるのか。
異世界、魔法という概念が存在しない世界から来た俺にとってはいまだ未知の領域。だからこそ、無茶に飛び込むことができるかもしれないが、それは直感が許さない。
「どうするの?」
震えた声が、波打つ心にさざめく。
「やるしかねぇだろ」
声が、体が、魂が震えている。
ここは退け、そう言わんばかりだ。
止まっていても始まらない。俺は、ここに居たいと願う脚にムチを打ち、一歩、また一歩とフィールドへと向かう。
誰も動こうとしない場所で、俺だけが動く。そしてそれは、必然的に視線を集めることになる。
「先生」
狼狽え、目を見開くだけで動けない迷宮を展開した白衣を纏う先生に声をかける。
「あ、えっと。あの……」
「そんなのはいい。とりあえず状況を」
言葉すらまともに話せない先生を一蹴する。先生は、細い目の奥にある黒瞳を見開く。
いつもならば、口の利き方や態度で反感を買い、注意されるなり、怒られるなりしただろう。しかし、今は状況が状況だ。
先生は、その感情を押し殺し口を開く。
「A組代表ゴーリーラ、B組代表ウルメロ、C組代表マリア、ムム、ダイノーグ、ホーリア、ウルルの計7名が迷宮内に取り残されている」
「全クラスいるのかよ……」
思っていた以上の数が取り残されており、喘ぐようにそう零す。
「先生。何か変わったことありました?」
二の句を繋げないでいる俺に代わり、ナナニスが口を開いた。
恐怖に打ちひしがれていたはずの彼女は、俺よりも的確な質問をし状況を把握しようとする。
揺れる感情も瞳もなく、ナナニスの緋色の瞳は前を向いておりしっかりと据わっている。
──頼れすぎるぜ。
自分の不甲斐なさ、頼りなさ、弱さ全てを痛感しながら彼女の横顔を見つめる。
「途中からは、私の制御を凌駕していました」
先生はきつく眉間にシワを寄せ、クシャッと潰した顔、しゃがれた声で告げる。
「途中ってのは?」
ナナニスは表情を険しくする先生にさらに詰め寄る。俺はあくまで傍観者でしかない。しかし、ナナニスは中に入って探索をしていたのだ。俺より詳しく知りたがるのは、仕方ないのかもしれない。
「龍が出るなんて知りませんでした」
先生はナナニスと立場が逆転したかのように、質問にしおらしく答える。
しかし、ナナニスはその答えに目を丸くする。それもそのはず、ナナニスたちは龍と遭遇してないのだ。遭遇したのは、マリアたち。俺はそれを知っている。途端に頭がクリアーになり、紡ぐべき言葉が湧き出てくる。
「あそこには何がある予定だったんだ?」
「えっ? 知ってるの?」
物知り顔で訊く俺にナナニスが声を上げる。「まぁな」と答え、先生に答えてくれ、という視線を送る。
先生は顔をうつむけ、弱々しく言葉を洩らす。
「あそこにはお宝がある予定だった」
「──っ!?」
お宝があるべき場所から消えており、代わりに龍が現れた。
「まさかお宝が龍なんてことは言わないよな?」
ほとんどゼロの可能性だが、僅かな可能性でも潰しておきたい。その一心でそう口にする。
「もちろん。お宝というのは、水銀の結晶だった」
また何に使えるかも分からない物だが、先生がそう言うのだ。間違いないだろう。
なら問題は何故、それが龍になったのかだ。
「ねぇ、先生」
幾ら回転させても答えを見いだせない。そこへ、強ばったナナニスの声が響いた。ひび割れた、恐怖から逃げるような、それでいて希望に縋るような声音だ。
先生は目を見開きながらも彼女の言葉の続きを待つ。
「外部から内部に干渉できることは可能?」
先生は逡巡した後、彼は、
「できると言えば、できる。できないといえば、できない」
と、あいまいな返事をした。
「はっきりしてくれよ、先生」
この一大事にあいまいな返事をした先生に腹が立ち、語調を強くする。
「この迷宮は、私が一から生成したものではありません。これは遠く東に位置するサブリテン遺跡の入り口を強制的にここにつなげたものです」
「えっ……」
口を開いたのはナナニスだった。
「どういうことだ?」
この世界の土地に関して知っているのはこの学院内だけの俺にとって、遠く離れた遺跡のことなど知っているわけがない。
それがどれくらい離れていて、どれほど凄いことかを確かめるために彼女に耳打ちする。
「国の東端よ。そこにある古代遺跡こそがサブリテン遺跡よ」
この学院は国の中央区に分類されるところに立っており、国自体の広さは俺の世界で言うとアメリカ合衆国とほぼ同等。その中心から東端を魔術ひとつで繋げているのだという。
やはり魔術や魔法といった概念は常識を遥かに逸脱している。
「それは――」
紡ぐべき言葉を失い、俺が困り果てていると先生が掠れた声を響かせる。
「その遺跡に最初から侵入しておく、または私がここに繋げる魔術を展開しているうちならば干渉は可能となる」
「一つ目の可能性は否定できないわね。でも――」
ナナニスが難しい表情で吐露する。
「――二つ目。それは本当に可能なのか?」
彼女の言葉を引き継ぎ、俺は先生に訊く。先生は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、
「ほとんどの人は不可能だ。でも、中には展開陣を見ることができ、それを理解するところまで至る人がいるようだ。そんな人がもしもいるならば、可能ということだ」
先生はありえないだろうが、と付け足した。
なら考えられるのは、中に最初から潜伏していた人がいるというということだ。しかも、カメラに映ることなく、潜んでいたということになる。
「やっぱり内通者か」
ため息をひとつこぼす。
「そうね。でないと、カメラに映りこまないなんて芸当ができるわけないわ」
あぁ、と力強くうなずき、俺は真摯な瞳で先生を見る。
先生は背筋を伸ばし、俺の言葉を待つ。
「ナナニス」
「いいわよ」
俺の言わんとすることを理解したのか、彼女は小さく鼻で笑い、短く返事をする。
「先生」
そして、強く先生の名前を呼ぶ。同時に彼女の緋色の瞳が強く引き締められ、先生を見射抜く。
先生は、俺の続く言葉を待ち生唾をゴクリと音を立てて飲む。
「俺たちを、あの中に入れてくれませんか?」
先生は目を見張り、俺とナナニスを交互に見る。
俺たちはひるむことなく、ただ真剣に彼を見返す。
先生はおそらく驚愕に打ちひしがれていただろう。真っ暗闇の、何が起こっているかもわからない場所へ行こうというのだ。普通ではないだろう。
そんなことは百も承知だ。でも、行かなければならないんだ。
すべての元凶の蒼穹の髪と瞳を持つ俺こそが……。
「本当にいいんだな?」
先生はしゃがれた声で、戸惑いを隠せない様子で、それでも先生としての威厳を垣間見せながら、そう訊く。
俺は、視線でナナニスに最終確認を行う。ナナニスは、大胆不敵に口角を吊り上げ、嗤って見せた。
流石、A組は違うな。
心底感心しながら、俺は先生に大きく頷いた。
そして、次の瞬間。
俺とナナニスは、青白い光に包まれた。