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迷宮の異変

 緋色の双眸に迷いはない。だが、俺の頭には疑問符が浮かぶ。

 彼女は此処にはいないはずなのだから。いや、いるはずのない人物なのだ。

 俺の知ってる緋色で、勝ち気な猫目の双眸に、緋色の髪。


 この特徴を冠する女子を、俺は1人しかいない。だが、彼女は迷宮(ダンジョン)内にいるはずで、まだ敗北していなかったはず。

「──」

 故に言葉が紡げない。彼女が彼女でないのなら、一体誰なのか。

 不安が疑心になり。焦燥が言葉を奪い。困惑が心を狂わせる。


「私は、カーミヤくんが思ってるその人よ」

 俺の戸惑いを肯定し、その上でそれを排除する。彼女はそれをやってのける事ができる人だ。

 戸惑いが消えたわけではい。しかし、ここで止まったとして何も意味が無い。そう判断し、口を開く。思いの外、口の中は乾いており、言葉を発したが声は掠れてしまう。


「ナナニス・ベール……なのか?」

 迷宮で、大量のゴブリンと遭遇し、チームメイトを凌辱されながらも迎撃した彼女。

 彼女は生き残ったはずだ。そして、命を賭して先へと進んだはずなのだ。


「そうよ」

 彼女は一瞬の迷いもなく肯定する。俺の迷いが馬鹿らしいかのように、あっさりと。しかし、その双眸には声とは裏腹に戸惑いが見え隠れする。

「何かあったのか?」

 神妙な声質で、俺は訊く。途端、彼女の体が強張る。触れてはいけないそれに触れたように、彼女はフリーズする。動揺、困惑、畏怖、憎悪。どれにも当てはまることのない感情を瞳に宿し、こちらを覗く。

 口を開こうにも、開けない空気があり、俺はナナニスが続きを紡ぐのを待つ。


「あの迷宮、おかしいわ」

 待った時間に対し、それはあまりに短い言葉だ。しかし、その中に言葉の短さからは考えられないほどの情報が詰め込まれていた。

「どういうことだ?」

 衝撃が全身をめぐり、どうにかその言葉を吐く。この世界に来てまだ、それほど時間は経っていない。しかし、それでも異常事態が多すぎる。俺の想像を遥かに凌ぐ何かが蠢いている。そうとしか、考えられない。

 奥歯をかみ締め、俺は零れそうになる、溢れ出てしまいそうな言葉を押し殺す。

「私たちは、ゴブリンの群れをどうにか倒したの」

「それは見てたよ。流石だった」

 彼女の奮闘振り、否A組の奮闘は本当にすばらしいと思う。あれがもし俺らの組だったら。一人でも生き残ることができただろうか。

 脳裏によぎる、ifのストーリーに俺は嘆息する。

「ふん、貴方に言われても嬉しくないわ。って、そんなことじゃなくて」

 彼女は脱線しかけた会話を強引に引き戻し、咳払いをする。

 それから一度、周囲を確認するような仕草を見せてから声を潜める。


「ゴブリンを倒し終わったあと、私たちは映ってた?」

 映っていたのは、マリアたちだ。そこからも、ウルルたちが映り、ナナニスたちが映像に現れることはなかった。

 そこまでを脳内でフラッシュバックさせ、俺はかぶりを振る。やっぱりね、とナナニスは憂いを帯びた声で零す。

「あの後ね――」


 * * * 


 奥へと進むにつれて、道幅は狭くなり、三人が並んで歩くことが困難にさえなってくる。明かりは、申し訳程度で、何だか嫌な臭いが立ち込めている。

「ねぇ、大丈夫かしら?」

 不安が滲む声で緋色の髪をした彼女が呟く。しかし、それに対して誰かが答えることはない。

「もぅ」

 返事がないことにさらに不安を覚え、先へと進む足取りが早くなる。


「待て」

 不意に野太い男の声がする。ゴーリーラだ。明かりも乏しくなっているため、表情は判然としないが、声音は真剣そのものだ。

 ナナニスともう一人の生き残り、特段特徴のない男子生徒ババリッヒは、それに従い足を止める。

 場は静まり返り、剣呑な空気が張り詰めている。

 瞬間、僅かに灯っていた明かりが音をたてて消え去り世界が闇に染められる。


『証明せよ』


 酷く無機質で、感情がない声が降りかかる。その声だけで、全身に悪寒が走る。言葉が出ない。手先が凍えるように、震える。

 誰かに助けを乞うように、緋色の髪を僅かに揺らし、視線をゴーリーラに向ける。

 しかし、ゴーリーラは視線に気づくことなく魅入られるように闇の先を見る。その瞳に写るのは、闇、闇、闇、闇だ。

 だが、彼は不気味に口角を吊り上げ、不敵に笑う。怪しく、(いびつ)に大胆に。

 彼は、何かを見ている。直感的に、ナナニスはそう判断する。

 一歩、二歩、と彼から距離をとる。その真横にはババリッヒがいる。

「アンタも?」

 ババリッヒはこくん、と頷きゴーリーラの異変を感じ取る。

「リタイア」

 手に負えない。そう感じたのかしれない。ババリッヒは、相談すらなく独断でリタイアを強行する。同時に、光が彼を包む。しかし、その光はゴブリンにやられ迷宮の外に出て行った仲間とは違う。

 色は、濃い紫。闇よりも少し明るい程度だ。それに、後光はかなり弱まり今にもそれは消え去りそうである。


「ねぇ!」

 声を荒げる彼女に、ババリッヒはただ一言だけ返す。

「この状況、普通じゃない」

 彼女はその意味が理解できなかった。しかし、普通じゃないということ自体は、あたりの雰囲気とゴーリーラの状態で理解ができた。

「ゴーリーラ!!」

 気持ちをこめて、目を覚まして、という願いをこめて。名前を呼んだ。しかし、ゴーリーラは不気味にふふっ、と笑みをこぼすだけだ。

 反応してくれないことへの怒りが。反応してくれないことへの戸惑いが。反応してくれないことへの恐怖が。彼女の心を苛み、蝕む。


 ババリッヒはその間に、完全に濃紫の光に埋もれ姿を消した。

 ──目を覚まさせなければ。

 彼女の心に眠る意志が、彼を恐れる気持ちを上回り、ゴーリーラの肩に触れようと手を伸ばす。瞬間。


『福音書は?』


 またあの声がした。何とは言うことができない。しかし、確かな圧がある無機質なそれだ。

 ──福音書って何?

 単語としての意味は分かるが、そんな物がこの世に存在しているなんて聞いたことがない。


 福音書──過去には存在されたとされる禁書の一つ。禁書史書アカシックレコードに匹敵するとも言われる黒書。禁書史書が世界のあり方を過去現在未来と示すならば、福音書は断片的な未来を示す。文字だけで見れば、福音書のが見劣りするだろう。しかし、禁書史書と違い、福音書には書き込みができる。書き込み、未来を好きな形へ思うがままに操ることができるといわれる。


「そんなものっ」

 あるわけない、そう言おうとした瞬間。全身に衝撃が走った。

 まるで雷か落ちたかのような、刹那的な爆発が体内を巡る。臓器が焼けるかのように痛く、背中には冷や汗が滝のように流れる。

 目眩が襲い、立っていることすらままならなくなる。

 ──どうすれば……。どうすれば……。

 思考があやふやになり、纏まりかけた考えが泡沫うたかたとなる。


「リタイア」

 口から出た最後の希望だった。

 この場に居たくない。この場から逃げ出したい。この場から消え去りたい。

 この場から──。

 思いが溢れて零れて、目尻に涙が浮かぶ。

 声と同時に、光は現れた。先程よりも色が黒に近づいている。後光なんてほとんど無い。

 恐らく、もうしばらくでこの迷宮からの脱出が不可能となる。それは直感と言うより、光の弱さ、禍々しさから理解できた。

 口内で、「ごめん、ゴーリーラ」とこぼしてからナナニスはほぼ黒色の光に包まれ迷宮を脱した。


 * * *


 そっと、じっと、ゆっくりと、ナナニスの話を聞き終える。戦況はどうなっているのかは分からない。

 歓声が聞こえないほどに、俺はナナニスの話にのめり込んでいた。


「またって感じだな」

 どうにかそれだけを言葉にする。胸の奥がムカムカと掻き立てられ、気持ちが(えず)くように学院への信頼度が薄まる。

 ナナニスから得た、外部からの侵入は容易ではない事実。それに反し、土足で上がり込む神話教の連中。

 事実が結果と反しすぎている。


「本当によ。それに……」

 強気な猫目が少し垂れる。弱々しく、語尾は近くにいても聞き取ることは出来ない。しかし、恐らく中に取り残してきた彼のことであろう。

 悲哀の浮かぶ瞳が、それを物語っている。

「考えたって仕方がない。教えてくれてサンキューな」

 ナナニスの肩に手を置きそう言う。ナナニスは小さくかぶりを振る。弱々しく、揺れる緋色の髪はやけに寂しく、俺の心を締め付ける。


「戻ろうか」

 小さく震える肩。小さく聞こえるしゃくり声。彼女は緋色の髪の下に顔を隠し、涙をこぼしている。

 俺は彼女の背をさすりながらそう零す。

 どれほどの無力感に苛まれ、自分の非力さに絶望したのか。それは彼女にしか分からない。

 それが彼女を縛る。眼前で悪魔に囚われるチームメイトを目の当たりにした。眼前でゴブリンに凌辱されるチームメイトを救いきれなかった。それから逃れた。

 自分を蝕む要素は揃ってしまっている。だからこそ、彼女は俺に相談したんだ。

 自分を負かした相手に、自分より強いと判断した相手に、救いを求めて──。


 俺はそれに答えられているのか?

 いや、答えられてない。答えられず、俺は誰かに頼ろうとしている。頼るにはまだ早いだろう。俺は何もしてないんだ。

 背中をさする手に力がこもる。決意が、信念が、俺の心に火を灯す。やる気とは、少し違う。使命感のようなそんなものだ。

 女の子が泣いているんだ。しかも、俺の胸の中でだ。

 それすら守れないで、何が男だ──。

「必ず。守る」

 想いを乗せるにはあまりに短い言葉だ。しかし、彼女にはそれが伝わったらしい。言葉とともに、体は脈を打ち、小刻みに震えている。

 それが正の方向を向いているのか、負の方向を向いているのか、俺にはわからない。でも、彼女は涙に濡れた声で言葉を発する。

「ほんと……に?」

 頼りのない、弱々しい今にも消え入りそうな音だ。普段の彼女の凛とした姿はそこにはない。

「約束する」

 トイレの一件で出会い、そこでは信頼なんてものは欠けらもなかっただろう。そこから、何かがあった訳でもない。ただ、魔術演武祭で彼女と戦っただけ。ただ、それだけ。

 彼女には、俺の本当のことすら伝えてない。それでも、彼女は俺に縋った。

 縋って、涙を見せて、救いの手を求めている。


 力強い言葉に彼女は、ようやく頭をあげる。涙でくしゃくしゃになった顔は彼女の整った顔ですら歪ませる。

 しかし、それが俺には綺麗に見えた。絶望してなお、戦う姿勢を見せ、抗おうとする姿を美しい以外の何で表現すればいいんだ。

 背中をさすっていた手を、今度は彼女の頭の上に乗せる。

 画面で見ていたような赤土に汚れることもなく、彼女の髪は綺麗に透き通っていた。指の間を流れ、すり抜ける。

 染めたわけではない、地毛の緋色。

 燃え上がる、紅蓮の焔のごとく赤々しいそれを手放し、俺は彼女に告げる。

「一旦戻って、作戦、たてるぞ」

 神話教? それがどんな団体だろうと関係ねぇ。ぶっ潰してやる、その一心で、口端を吊り上げ大胆不敵に笑ってやる。

 すると、ナナニスは勢い良く腕で涙を拭いさり、にかっと笑う。


 どこか歪で、でも蠱惑的で、俺は不覚にも少し胸が高鳴るのを感じた。しかし、それを言葉にすることはなく、代わりに、

「やるぞ」

 と、言う。想いを悟られないよう彼女の顔を見ることなく、俺は校舎の外へと歩みを取った。

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