龍と悪魔
欠片の損害もなく。それがマリアの考えるこの競技の終焉だった。しかし、それはもう叶わない。眼前に聳えるように立ちふさがる龍に何をすることもできずにいる。
放たれる真紅の、熱を帯びる息吹。咄嗟に反応を試みるも、前方にいた6名は何もすること無く、光に包まれる。
悲鳴を上げることなく、ただ立っていただけ。ここまでの努力はその一瞬で泡となる。
強大すぎる敵に対して、何も出来ずにいる。自然の摂理では当たり前の事なのかもしれない。弱肉強食というやつなのか。
奇跡的に龍の息吹の範囲から逃れていたマリア、ムム、ホーリア、それから控えめな性格で常に教室の隅にいるダイノーグだけだ。
指揮官が残った状況は不幸中の幸いと言えるだろう。しかし、対抗策も何も無い状況ではそう言えるのかどうか。
マリア、ムムは頭を擦り切れる速度で回転させる。あまりの回転速度に脳内がチリチリと焼けるように痛む。
だが、これといった解決策が見当たることなく時間だけが無常に過ぎていく。
その間にも龍はマリアたちを見下ろし、次の攻撃を今か今かと立ち尽くしてる。
──立ち尽くしてる……?
マリアは何の反撃もしない自分たちを相手に攻撃をしてこない龍に違和感を覚える。攻撃する相手を迎撃するようにプログラムされているのでは、という考えが過ぎる。しかし、マリアは大きくかぶりを振り違うと脳内で訴える。
仮にそうであるのであれば、最初の息吹に説明がつかない。
「ねぇ」
じっと、龍を見つめ細かな動きでさえも見逃さないという気持ちをもってムムに声をかける。
「なに?」
眼前で双眸を光らせる龍に視線も動きも奪われてしまったのだろうか。ムムは気の抜けた声で、頼りない声で返す。
そのことがより一層歯がゆく感じた。この状況はそんな甘いモノじゃない。やるべき事、やらなければならないことを、1個も間違わないように行動しなければならない。
最高にシビアな戦況なのだ。その思いを噛み殺し、至って普通を装い言葉を紡ぐ。
「あの龍。おかしくない? 全く動かない私たち、という的があるにも関わらず攻撃仕掛けてこないなんて」
「敵対しない者には攻撃しない設定なんじゃない?」
一瞬でその解答に至るあたり、流石と言える。だが、甘い。マリアは既にその答えに至り違うということまで導き出している。
「なら最初の一撃は?」
「……」
マリアの問いにムムは言葉を詰まらせる。そして、ようやく龍から視線を逸らし、躊躇うようにマリアを見る。
「何が言いたいの?」
今度はマリアが解答に詰まる。まだ答えが出てないのだ。彼女にとってそこが引っかかっていたのだ。
短く音を立てないように息を吐きすててから、ムムと視線を交わらせる。交錯する視線には期待と不安が揺れていた。
──その答えが吉と出るか凶と出るか。
「一つ、敵が音に反応するか。もう一つ、エネルギーの充填のようなものを必要とするか。私の中にあるのはこの二つよ」
マリアは、出来るだけ大きな声を張ってムムだけでなく残るメンバーに聞こえるように言った。
──どう!?
彼女にとっては賭けだ。この音で反応されれば、マリアとムムが率いるチームは全滅で-500ポイントとなるのだ。
チームの命運を、自分の一声に……。
龍は、しかし微動だにしなかった。マリアは賭けに勝った。そして、同時に次に充填完了した時に自分たちが全滅するということも分かる。
「ホーリアくん!」
ムムも同じ解答に至ったらしく、大きな声を張り上げて超感覚と呼ばれる能力を要する男の名を呼ぶ。名を呼ばれた男──ホーリアは頼りなく返事をし、焦点をムムに合わせる。決して据わっているとは言えない。頼りはなく、今にも逃げたいと表情に出ている。しかし、逃げ出さないのは勝利の意識があるからだろうか。
「この奥に、お宝はある?」
真剣な眼差し、声音、雰囲気。全てをホーリアへと向ける。ホーリアはそれを受け取ったのか、すぐさま瞳を閉じ聴覚を限界まで拡張させる。
ありったけの神経を研ぎ澄ませ、龍の奥にあって欲しいと願うそれを探る。
コウモリの如く超音波的な何かを感じ取るホーリアの全身は、どんなに強い魔術師であっても届きはしない高次元のもの。
本人から発される音はなく、まるでそこに存在すらしていないかのように感じた。その瞬間──ホーリアは勢いのままに両の目を見開く。開かれた翡翠色の瞳は、全てを見透かしてしまいそうな圧倒的な神秘性があり、チームメイトであるマリアやムムでさえ戦いてしまう。
「あります」
ホーリアの厳かな声が、壁面に反射しやけに大きく感じる。マリアとムムは一瞬視線を交えると小さく頷く。
「ホーリアくん。あなたは先に進んで。私たちが行くより確実にそこへと辿り着ける。だから、お願い」
「で、でも。龍は?」
震えた様子もなく、確かたる声音でムムは告げる。だが、視線だけは誤魔化すことは出来ず、龍を見ると瞳孔が小刻みに震えている。超感覚を有するホーリアがそれに気づかないわけが無い。しかし、女子が自分の危険を顧みず勝利を願い可能性を託す。
──ボクはそれに応えなきゃ……いけない!
1人になる不安はあった。だがそれを言っていられる程状況は甘くない。いつ他のクラスがお宝を手にして1位を手に入れるか。いつ龍のエネルギー補充が終わり攻撃してくるか。全部……わからない。
なら行くしかない。
ホーリアは力強く頷くと赤土を踏みしめ、蹴りつける。少量の粉塵を舞わせ、立ち尽くす龍を回り込んでその奥へと続く道へと向かう。
瞬間──。龍の鋭い眼光がギロりと、動く。エネルギーの補充が完了したのだろうか。一瞬で恐怖が渦巻く。体が縛られるような感覚だ。
その恐怖を振り払い、ホーリアは駆けた。
強固な鋼のような鱗に覆われた体を持つ龍。どこを攻撃しても、この鱗がある限りは効果はあまりないだろう、と思ってしまうほど。
それが尻尾の先までビッシリと詰まっている。もとより火力の薄いC組の状況を鑑みると、勝てるとは言い難い。
それでも───
ホーリアは龍と対峙し、1歩も退かないチームメイトを横目で見てより一層脚に力を入れるのだった。
***
双子の兄妹。似たようなところは見た限りではあげられない。そのくらい2人は似ていない。それはまるで太陽と月のごとし。
交わる拳。互いが急所を狙い合う。本気の戦闘。
右の掌打と右の掌打が重なり合い、鈍い音が響く。そこへ第三勢力が加わる。
野太い声を上げながら迫る大柄な男。語尾にオをつけるその男は、二人に向かう。だが、二人は意に介した様子もなく互いの戦闘を繰り広げる。
執着、固執、執心とでもいうべきだろう。刹那の時間すら二人から奪うことができない。そこにいるだけで目立つ男にも関わらず、無視をしているのだ。
そして無視をされている男は、その表情に怒りを見せる。青筋を刻み、狂気に満ちたオーラを放つ。
それでも二人は反応すらせずに戦いを続ける。
「ふざけるなオ!」
男は最大級の怒りを込めて声を上げ、二人の合間を縫うように拳を振るった。
妹は狂ったような目を男に向け、兄は青い髪をかき揚げ隠れていた黄色の目を露わにする。
「オッドアイ……だオ?」
男は兄の目を見て喘ぐ。隠れていた右目は左目の青とは全く異なる色をしているのだ。
異質過ぎる。そんな者が存在していいはずが無い。脳裏をかすめる言葉が男を凌辱する。動きを鈍らせ、木偶の坊へと成り下がらせる。
「ぼーっとするくらいなら逃げろ!」
腕の中に白い光を抱く五厘刈りに筋骨隆々の男が声を張り上げる。
「ソホニは……?」
だが男は逃げるより先にそう呟く。もう1人残っていたはずの自分のチームメイト。戦闘などといったものとは無関係と思える華奢な彼女を思う。
五厘刈りの頭を俯け、男はかぶりを振る。それは敗北の証。それは敗者の証拠。それは逃げの証明。
「ルーズベッシ……。アンタは何も思わないのかオ?」
五厘刈りの男をそう呼ぶ。
「思わないね。ドナートよ、勝つための手段は選ぶな」
直後、ルーズベッシの纏う空気が変化した。リーダーという雰囲気が一変、食に飢える獣のそれ同様の気配を感じさせる。ドナートも流石に驚いたのか、表情を強ばらせる。
兄妹でさえもそれは感じたらしく、交えていた拳を下ろしルーズベッシの方へと向く。
悍ましいと感じるオーラに兄妹は遂には、拳の向きをルーズベッシへ変える。
「おい、ウルル。とりあえず、停戦といこうか」
オッドアイの兄は、恐怖する中に快楽を覚えたような表情を刻み妹ウルルへと提案する。
「うん。あいつは……やばい」
ウルルは表情を歪ませながら兄の提案に乗る。
「それより前に……」
妹の承諾を聞いた兄ウルメロは誰にも聞こえないような声量でこぼす。次の瞬間、音速に迫る速度で足を振り上げ、その勢いのまま踵から足を振り下ろす。
一瞬、と表現するのが一番近いだろうか。だが、それでもまだ甘いように思える。それほどまでに速い速度で振り下ろされた足の先にいるドナートは、その何十倍も速く感じたことだろう。
目を見開く、なんて行動を取ることすらできなかった。見ている側ですら一瞬、刹那、瞬間であった。そしてドナートの体が白い光に包まれる。
穏やかで、その傷さえ癒してくれそうな光の中に消えたドナートに気を配る者はいない。膨れ上がる邪気に備える。それが最優先事項なのだから。
獣とも違う。だからと言って、人とも違う。何が起きればこのような気を放てるのか、推測すら出来ない兄妹は手出しをすること無くそれを見ているしかなかった。
立っているだけで、その場でいるだけで吐き気が催し、吐瀉物を零しそうになる。
ウルルは手で口元を抑える。
同時にルーズベッシの気の膨らみが止まった。見た目の異変は無いように思われる。ある一点──白目の部分が真っ赤に染まっている部分を除いて。
「さぁ、A組の底力見せてやるよ」
地響きのする悪魔のような声、胸の奥を掻き乱す憎悪の声、そして、殺戮さえ厭わない冷徹な声。全てが入り交じった声音でルーズベッシは言い放った。