ep:1 再会③
「はぁー、この子かわいいッちゃー目開けたらさぞ可愛かろー」
ベッドに横たわった人物に、噛り付くかのようにしゃがみこんだレナントがため息交じりに洩らした。
「や…やめなさいよ!あんまり近づくと…ほら、唸っているじゃないの!」
横合いから、ネスイがレナントの腕をつかみ、引き離そうとする。
しかし、いくら力を込めてもベッドにくぎ付けになったレナントはびくともしなかった。
つい先刻、セヅェンがこの人物を連れ帰ったときから、このくだりを何度も繰り返しているのだった。
セヅェンと気まずい雰囲気になった後、ネスイは自室にこもってひたすら泣いていた。
もちろん部屋の扉の前ではレナントが「そんなことないっちゃぁ」などと必死のフォローをしていた。
そこへ、セヅェンが妙に慌てて帰ってきたのだ。
珍しくあわてた様子のセヅェンに驚き、レナントが顔を出したが、もっと驚いたのはセヅェンの連れ帰った人物であった。
セヅェンの連れ帰った人物は世にも美しい人物だった。
金色に輝くサラサラのブロンドヘアー。そして何よりも美しいのはその顔だった。すらりと伸びた鼻梁、力なく閉じられた瞼を飾る長い長い金色の睫毛…。顔のどこもかしこもが均整なのだ。
女神がこの世に存在するならば、このような顔なのだろうといっても過言ではない。
まさに、女神さながらなのであった。
気を失っており、びっしょりと水に濡れていたため、レナントがセヅェンに尋ねると、海岸に打ち上げられ、軽く水を吸っていたようだったが、セヅェンが応急処置を行い、一命を取り留めたとのことだった。
部屋を暖かくしなければならないため、暖炉へ火をつけに行こうとするセヅェンに対して、レナントはネスイが反省している事を伝えた。
無言で頷いた彼はネスイの部屋へ行って「すまない」と謝罪をした。
セヅェンとネスイのこうしたやり取りは割りと日常茶飯事だ。
セヅェンは自分の事を他人に知られるのが好きではなかった為、自分のことはあまり語らなかった。
元来の寡黙な性格も相まって、日によっては一切言葉をかわさない時もある。
対してネスイは好きな人の事は色々と知りたいのだ。
こうした考えや思いの行き違いがよくあり、その度にレナントが仲裁役を担っていた。
ただ、いつもネスイが爆発する火付け役も彼であったため、自分で巻いた種を自分で回収しているという情けない役どころでもあった。
セヅェンはネスイに人を救助した経緯を話し、ネスイには「温かい食べ物を作ってくれ」と頼み、レナントに「触るな」とひと睨みして言い残し、薬湯を買いに出ていったのであった。
そして、ネスイとレナントは頼まれて作った食べ物を、セヅェンの部屋に寝かせている女神のもとまで運んできたのだ。
「でも…ホント、こんなキレイな人っているのね…」
レナントを引き離しながら、ネスイは女神を見つめていた。
「でも、珍しいッちゃね、ネスイなら、セヅェンがこんな美人な人連れて帰ってきたら、いっつもやったらギャーギャーいうはずなのに」
「そりゃ…こんなキレイな人、文句のつけようがない…男ならなおさら…」
言ってネスイは止まった。
「…って…えっ!この人!あれ!?女か男かわからないじゃないの!」
先ほどセヅェンはびしょ濡れのこの人物を、ネスイとレナントがいない間に着替えさせていた。
女性ならば、ネスイにとっては非常にまずいのである。
ネスイが横でギャーギャー言っているのも聞かず、相変わらずレナントは女神に見とれていた。
「はー、本当にきれいっちゃー手なんか、すべすべして気持ちよさそうっちゃー」
思わずレナントは女神の手に触れようとした。
その瞬間、レナントは空中を半回転して飛び、床にたたきつけられた。
「!?」
ネスイがレナントの飛んでいった方の床をみた。
レナントがぴくぴくと痙攣し、倒れている。
「え…」
ソファベッドに目を移し、ネスイは驚愕した。
そこには上体を起こし、手を挙げ、アイスブルーの目に嫌悪の光を灯してレナントを見遣る女神の姿があった。
察するに、レナントはこの女神に何らかの仕打ちを受けたようだ。
それもそうだろう、この女神はレナントに見つめられ、意識が無いながらも、明らかに嫌悪を感じ唸っていたのだ。
「あ…わ…悪かったわ…っこいつが…あの…貴方に興味があるみたいで…」
レナントが嫌だったのか、急に起き上がって気分が悪くなったのか、女神は上体を丸め、うずくまった。
「だ…大丈夫?具合…悪くないかしら?その、食事を持ってきたの…食べられるかしら?」
ネスイがそう言い、おしぼりを差し出す。
女神はゆっくりと上体を起こし、いそいそと手をふき始めた…やたらと念入りに手をふいている。
「貴方…倒れていたみたいで…その…私たちのリーダーが連れてきたのよ」
ネスイが言い終わるより先に、低く済んだ声が聞こえた。
「…ここは…?」
女神が発言したのである。
ネスイは声の低さにホッと胸を撫で下ろした。女神はどうやら男だったようだ。
ほっとしすぎて無反応なネスイを見て、もう一度「ここは?」と聞いた。
「あっ…ここは、オーガニゼーションよ。」
ネスイが慌てて答える。
(…そうか…無事についたのか…)
女神がベッドから降りようと足をおろし、サイドボードに目を向けた。
(私の持ち物はすべて検品済みか…)
サイドボードには装飾が施してある拳銃が2本と、メスのような刃物が5本、そしてビニールに入った書類の束が置いてあった。サイドボートに歩み寄り、持ち物を確認する…
(あのビニールがはがれていないということは…中身は見られていない…?)
サイドボードにおいてある自分の持ち物が無事なことに安堵し、女神はネスイに向き直った。
「…私を助けた…その、リーダーというのは…?」
「あ、今あなたのために薬湯を買いにいってるわ…セヅェンっていうんだけど…」
(!!!!????)
アイスブルーの瞳が限界までに見開かれた。
目の前に立つネスイもつられて目を見開く。
「…あ…あの…?」
女神はたっぷり時間をかけて固まっていた。ネスイが見かねて声をかけるが…微動だにしない。
「う…ううん…なんっちゃー…」
床に沈んだレナントが現実世界に戻ってきた。
ガタイの通り、彼は割りと丈夫だ。
「…頭が痛いッちゃー後頭部…たんこぶできとるっちゃー」
レナントは、後頭部に女神から重い天誅をくらったのだ。頭を横に振って、意識をはっきりさせようとしている。
「はっ!そういえばあの可愛い子は!?起きたかっちゃ!?」
レナントが振り返るとそこには、アイスブルーの瞳を大きく開いて茫然と立ち尽くしたままの女神がいた。
「お…起きとる!やっぱり相当かわいいっちゃーーーーーーーーー!!!」
言いざま駆け寄り抱きつく…が、その腕は空気を抱いた。
「あり?」
その場にいたはずの女神は消えている。ぱっと振り向くと、眉根を寄せ、嫌悪のオーラをまとった女神がさっきいた位置よりも3メートルほど離れたところに逃げている。
茫然と立ち尽くしていたはずの女神であったが、よっぽどレナントに触られたくないのか、意識を取り戻し、素早く出口付近に逃げていたのだ。
「な…なにしてるのよ!レナント!」
ネスイが必死にレナントを止めている。
それを後目に、女神は扉をあけそそくさと出て行こうとした。
「あっ!待って!外に出るなら、靴が必要でしょ!?リビングを抜けたところにある階段の下に靴があるから!それを使うといいわ!」
レナントを引き止めつつネスイがそういうと、女神は少し振り返り、
「…助かる」
とだけ言い残した。
「俺も上にいくっちゃーーーーーーーー!!」
レナントが喚きたてる。
「行けるわけないじゃないの!?」
「なんでっちゃ!」
(あんた嫌われてるじゃない!!)
のど元まで出かかったが、さすがに声には出せなかった。
ネスイは一間おいて、言葉を発した。
「あ…あの人に恋心を抱いているならやめなさいよ!?」
「なんでっちゃ!?」
「あ…あの人、男よ!!」
「!?」
レナントが固まった。手はなにやら空中を何度もつかんでいる。
「わ…わかったかしら…」
「男でも問題ないっちゃ!」
「えええええええええええええええ」
レナントはその場に爆弾のような言葉を投下した。ネスイは真っ赤になり、顔中を口にして喚いた。
「あなた!バイだったのぉぉぉ!?ま!まさか!セヅェンにもいやらしい目を向けてたんじゃないでしょうね!?」
「大丈夫っちゃ!カッコイイ系より綺麗系の方が好みっちゃ!」
「そ…そう!よかった…ってなにどさくさに紛れて追いかけようとしているのよ!!!!!」
「うわあああ!俺もいくっちゃ!!!!」
(…騒がしい人たちだ…)
廊下まで響く会話を聞きながら、女神は急いでリビングを駆け抜けた。
ネスイが言っていた通り、階段の下に靴があった。
「…」
誰のものと知れないものを履きたくないのか、備え付けてあったゲスト用のスリッパをビニール袋から出して履き、階段を上り始めた。
(オーガニゼーションに着くことは計算済みだった…しかし…まさか…こんなにも早く目的地に着けるだなんて…小型の酸素吸入器が壊れたときは一時どうなるかと思ったのに…助けられたのがこの場所で本当に良かった…)
この女神は数時間前、死地に陥っていた。
観光名所の森を駆け抜け、追っ手をかいくぐり…そして崖から身を投じてここまで流れ着いたのであった。
オーガニゼーションへ流れ着く間際、水中用の小型酸素吸入器が壊れ、慌てた彼の頭に何かがぶつかり意識を失った所で海岸に打ち上げられたのだ。
水をあまり飲んでいなかったことと、タイミングよくセヅェンに見つけられ救命されたのは本当に幸運としか言いようがなかった。
いろいろと考えを巡らせていると、階段の終わりが見えてきた。
階段を上りきると、そこには…
(これは…)
目の前には雰囲気のある照明とジャズの流れるバーがあった。
開店前なのか、店内には人影が一つもなかった。
モノクロを基調とした店内には、曲線の美しい落ち着いた雰囲気のテーブルや椅子が
並べられている。
カウンター席を含めて店内に入る客の数はせいぜい20名といったところだろう。
小さなバーではあるが、大都市の隠れ家バーに負けないオシャレで綺麗な店だ。
店の中央にはシャンパンタワーの練習後が残っていた。
これは昨夜悪ふざけしたレナントが遊んだ仕業だった。
「…」
女神は周りを見渡した。
棚に並べられたワインやグラスを見て、徐々に表情が和らいでくる。
この人物はどうやらお酒が好きなようで、棚のワインラベルを一生懸命に見ていた。
ひとしきりワインラベルを見終わった女神はカウンターに座って茫洋と棚を見つめてた。
(…本当に…私の探している人物なのだろうか…)
ここまできて、リーダーの名前を聞いても、女神にはこの人物が探し人であったのかの実感がわかなかった。
それもそのはずだ、5年前にはお互い未成年であり、お酒に興味がある等微塵にも思わなかったし、ましてやバーの経営や組織のリーダーをするような性格ではなかったからだ。
思案にふけっていると、店の入り口が、ガチャリと音を立てた。
扉を開けた人物を見て、女神は急いで立ち上がった。
心臓の鼓動が早くなり、息も浅くなる。視界はかすみ、扉の前に立った人物以外が物という形を失った。
「…セ…セヅェン…!」
「…!!!!?」
セヅェンは扉を開きざま、カウンターの前に立つ女神を見た。
手には薬屋で買ってきた薬湯が入ったビンがあったが、いつの間にか手から滑り落ち、無残にも床の上に粉々になっている。
しかし、今はそんなことには目もくれなかった、目の前にいるのは、セヅェンが長年探し続けてきた…
「ク…クライザー?…やっぱり…クライザーだったのか…!」
「…そうだ!私だ!セヅェン!」
海岸で見つけた時からセヅェンは確信していた…しかし、世には写真さえあれば、その写真そっくりに整形させられる技術がごろごろと転がっているのだ。
本人と話をするまでは…とセヅェンは期待を持たないように、持たないようにと予防線を張っていたのだ。
その細い細い予防線は今音を立ててちぎれていた。
セヅェンの探していた「大事な人」は無事に見つかった。
二人はお互いに駆け寄り、しっかりと抱きしめあった。
そしてお互いの名前を確かめるように呼び合った後、安堵の笑顔を交わした。