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蝉鳴りのマリー  作者: あぐらまる
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さかのぼること今から二十六年程前。

季節は夏が終わる頃。

マリーの意識は大楠の空洞内で眠りから覚めるように生まれた。

ひとつの季節が終わる頃はいつも、やがて来る季節の希望と過ぎ行く季節の悲壮とが混じり会う。

それを知ってか知らずか、ささやかに吹く風にのせて僅かに蝉の声が過ぎ行く季節を名残惜しむように鳴いていた。

目覚めたてのマリーが感じる世界というものも、まるで移り行く季節の途中の曖昧さを表したかのように、まだ出来上がったばかりのような不明瞭さと頼りなさを漂わせていた。

それはマリーの意識をまどろみが泥沼のように包んでいるからかもしれない。

なにか夢をみていたような気がするがうまく思い出せない。

誰かが自分をマリーと呼んでいたという断片的な記憶だけはあった。

ここは何処で自分は何者だろうか。

自分の身に一体何が起きたのだろう。

疑問を投げ掛ける相手も誰もいない。

言い知れぬ不安と恐怖がマリーの胸中へと到来するが、それらの解消法など知る術もあるはずがない。

薄暗闇の中、外から差し込む光を求めて空洞内の闇から外に出たマリーが最初に目にしたのは地面に転がり落ちていた命を使いきった蝉の亡骸だったが、先程目覚めたてで記憶も意識も曖昧なマリーには何の感傷もわくはずがなく、そこらの石ころと変わらない目でそれを見つめた。

木々がざわめき揺れる事を目視することで、なんとなく風の存在を感じはしたが、マリーがそれを肌で感じることもない。

欠如した記憶や感覚を埋めるように、あらためて自分の姿を確認してみる。

着ている服は薄着で首からギターを下げていた。

以前の記憶はほとんどない。

だけど、この楽器が今の自分の命に値するものである核心があった。


「ギター…。ギター…」


その名詞を噛み締めるように呟いた。

マリーは音楽に携わっていたのだろう。

なにかしらのメロディーが頭をよぎるものの口にはでてこなかった。

振り向いて見た大楠は途中から焼け折れていたが雄大で力強かった。

焼け跡から察するに、焼け折れてからまださほど月日はたっていないように思えた。

そして大楠を囲む鎮守の森の外に出てみると太陽が輝き、青い空が広がり白い雲は浮かび、木々は青々と繁り野には花が咲く限りない世界が広がっていた。

しかしマリーはそれらの美しさを感ずることもなく、むしろ久々に見るであろう太陽光の眩しさに目が眩み、世界はとりとめのない色の混沌であることに、うっすらと恐怖すら覚えた。

その世界に独りで存在する事の心細さを他者が共有することなどできるだろうか。

誰か自分以外の存在に会いたい、触れたい、認識しあいたいという思いにかられてマリーは空を駆けた。

誰か私と同じような存在が、誰か私と気持ちを分かち合えるような存在が、この世界にいるかもしれないと。

それが最初に芽生えた衝動だった。

だがしかしマリーの切実な思いは即座に頓挫する。


「く、苦しい…」


しばらくしたところで不快な感覚がマリーを襲った。

最初は僅かな違和感だったが大楠のあった場所から離れれば離れる程に肺呼吸する陸上生物が水中へと潜るような苦しさを覚え、そして自身の存在そのものが薄れていく感覚を味わった。

その距離は一キロにも満たない間隔だと思う。

マリーは新たに認識した。

自分は見えない糸で大楠のある場所に縛られている。

自分の行動範囲には制限があり、その限界を超えた時にきっと自分は消滅する。

そんな感覚を直感的に感じて恐怖し、その動きを止めた。

大楠の近くにいる時は苦しみもなく消え失せるような恐怖も感じなかった。

この世界がどういう世界で自分という存在がどういう現象なのかは不確かだったが、大楠のあるこの場所が自分にとって以前から心安らぐ場所であったことは確かだった。

そして今も特別な場所となっている。

新たに物心がつき、しばらく時間がたち、昼や夜を味わい晴れや雨を知り動物や植物を認識した。

そして、いつしか蝉の鳴き声が遠退きだした頃に雷鳴が轟く激しい嵐が訪れた。

その時の自分の雷への恐怖心から自分は大楠と共に落雷を受けたのだろうと推察するに至り、自分はここで命を落としたのだと理解し、ようやく独り涙した。

そうして二度目の産声をあげたマリーを世界はまだ祝福してはくれなかった。


マリーはいわゆる地縛霊という存在になった。

マリーが大楠と共に落雷を受け再び幽霊という存在で意識を取り戻すまで月日で四十九日程は経過していただろう。

普通の人間はその後、あの世と呼ばれる世界へと旅立つ。

しかしマリーは旅立つことなく甦り特別な存在となった。

マリーの物語はまだ終わらなかった。

自分の死を認識してからしばらくは泣いて暮らした。

肉体を亡くし、魂だけの不確かな存在となったマリーは自分は何者で、何の為に存在しているのだろうと考えた。

意味などないのかもしれない。

もしくは呪いのようなものかもしれない。

時折境遇を怨み、森羅万象全てへの妬みや憎しみのような気持ちが心の中に暗雲のように黒い靄が広がり続けていき、いつしか自分が自我を失い悪い存在になりそうになることがあった。

そんな時は唯一の心の支えであるギターをかき鳴らした。

その行為だけがマリーの救いだった。

行為を繰り返すたびに音楽に関する記憶だけは少しずつ少しずつ再建されていった。

少しずつとはいえ失われた感覚や記憶のピースが埋まりゆくその感覚はとても心地よいものだった。

それでも雨が降る日などは雷に怯え空洞の奥で小さく丸まりながら他者にすがりたくて誰かの顔を思い出そうとしたが、それは叶わなかった。

そうした己が身を嘆き、自身を慰め過ごすうちに感覚の欠落したマリーにとって幾度もなく寒くない冬が来て、暖かくない春を迎え、暑くない夏になり、涼しくない秋に移り、季節はマリーを通り越していった。

散り行く桜も死に行く蝉も欠け行く月も溶け行く雪も全てマリーを置き去りにしていく。

何ひとつ明確ではない自分に対して、季節を彩るモノは儚くも美しく、マリーの気持ちを羨ましくさせた。

私は何者で、私は何の為に存在しているのか。

なにも分からずにいるが、自分がマリーと呼ばれていた記憶と、音楽を愛しているという気持ちだけを頼りに時折沸き起こる自身の中の黒い靄をかき消すように、やはりギターを弾き鳴らした。

何しろ時間はありあまるほどにある。

生前聴いていたと思われる曲を思いだし思いだししてはコピーし、時にアレンジし、時に自分のオリジナルも作曲した。

時には星空を時には太陽を時には生命を、ありとあらゆる森羅万象を曲にした。

共に幽体化したギターだけがマリーの友だった。

覚えていた全てのコードも、何度も何度も繰り返ししては復習した。

そんな長い月日の中で、この場所にも人が訪れることもあった。

マリーは何とかして自分の存在を認識してほしくて、時に話しかけ、体に触れ、時にギターをひいて自分の存在を示そうとした。

しかし、マリーの存在に気づく者はなく、比較的勘のよい者はむしろ気味悪がり、怯え、二度とこの地に訪れなかった。

その後も長らくこの地は放置されることになる。

それでもマリーはギターをかき鳴らし、歌を歌った。

世界はまだまだマリーを祝福してはくれなかった。

そうして二十数回もの季節が通りすぎた頃、辺りの様子が変化してきた。

マリーにも行けるほど近くに何やら建造物が築かれだしたのだ。

この変化にマリーは胸を躍らせた。

必然的に、建築工事の為に人の出入りも増えてきた。

相変わらずマリーの存在に気づく者はいなかったけれど、人と出会う確率が格段とはねあがった事が嬉しかった。

建設が進むにつれて、その建物が図書館がであることが分かるとマリーは飛び回り喜んだ。

人との出会いが増えるだけでなく、うまくいけば物語が読める。

娯楽に飢えていたマリーはその事実が、嬉しすぎて図書館をテーマにした歌の曲作りにも没頭した。

新たに分かった新たな自分。

自分は生前、音楽だけではなく物語も好きだったようだ。

気の遠くなる程に続いた状況が変化していく。

図書館の建設の進行と共にマリーの物語も進行していく。

そして迎えた図書館の開館日。

数えきれないほどの書物。

しばし文明から隔離されていたマリーには見たこともない施設。

近代的なお洒落なスペース。

時代の流れを感じた。

なによりもマリーが久々に目にする人々の集団。

この町にはこんなにも人がいたのかと驚嘆した。

きっと自分の世界は変化すると核心する。

そうした核心はなんと次の日には現実に変わった。

長らく続いた、繰り返しの毎日は突然に終わったのだ。

これまでの時間を耐えてきたマリーだ。

もうしばらく時がかかろうとも諦めることなく信じようと思っていた。

それなのに、良いことは続くものなのか。

生前の自分の歳と同じくらいの男の子がやってきたのだ。

それが健雄との出合いだった。

長い、長いマリーのプロローグがようやく終わったのだ。


話を終えたマリーが最後に言った。



「トゥビーコン…コン…続く…」







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