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不死の代償  作者: 温泉郷
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流れ来る者

 もう、どのくらい街道を歩いただろうか。辺りは暗くなっているが、まだ家の明かりはみえない。

 しかし時間という概念は、男の中にはなかった。不死の身体となり、あても無く、ただただ目的も無く旅をする。それだけの存在だった。飲まずとも、喰わずとも死なない身体。ただ時々、無性に酒を欲するようになるが、それでも飲まなくとも死ぬわけではない。酒に酔って、ただのひと時だけでも何も考えずにいられる瞬間が、ひたすらに欲しくなるのだ。

 帯に刀を差し込み、一見武士のようではあるが、髭は伸び、衣は薄汚れていて、わらじもほつれている。髪も無造作に伸び、それを紐で後ろで結わえるだけである。男がそういったことに無頓着なことは一目で誰にでも分かる。そして男には、武士と呼べるほどの志もなかった。


 朝日が昇り、ふと前方に小屋が見えた。小さな村のようである。小さな家がぽつぽつと点在し、吹けば飛ぶようなぼろ屋根が瞳に映った。

 人に会うのは一月ぶりにでもなるだろうか、男の心の奥にも、小さな明かりが灯る。誰でもいい。誰でもいいから、何かを話したかった。他愛のない会話でもいい。見知らぬ誰かが死んだ話でも、見知らぬ誰かが、見知らぬ誰かと一緒になった話でもいい。胸の奥に吹きすさぶ寒風を、一瞬でも止めて欲しかった。

 男は、一番最初に目に入った家の戸を、トントン、と二回ほど叩いた。

 しばらく待ってみると、戸が少し開き、女が顔を覗かせた。

「このような朝早くに何の御用です?」

 一目で分かるほど、女は怪訝な顔を浮かべている。

「すまないが、飯を食べさせていただけないか。金ならあるのだが……」

 女は脅えた目をしてじっと男の顔を見つめていたが、首を横に振った。

「申し訳ございません。お金があっても、この村には物がございません。どうしてもと言うのならば、村長(むらおさ)の家を訪ねてはいかがでしょうか。私どもの家よりは、まだ蓄えもあるかもしれません」

 そういって、女は戸をぴしゃりと閉めた。

 ここ数年、この辺りの気候は特別に良い。雨も適時降り、晴れる日は爽やかに光が降り注いでいる。この地域は土地も肥えているため、蓄えがないという話はなかなか信じられなかった。自分の身なりが汚かったため、歓迎されなかったのではないかと、男は考えた。

 男は少し大きい、村長の家の戸を叩いた。ややあって、白髪の入り交じった老人が戸の隙間から顔を出した。

「はい。何の御用でしょうか」

 老人の顔はひどくやつれていた。頬はすり減り、しわは顔に深く刻み込まれている。

 男は先ほどと同じことを言った。村長は眉を寄せ上げ、しばらくの間目を閉じていたが、やがて口を開いた。

「まずは、中へ入ってください。狭い所ですが……」

 中へ通され、囲炉裏の前へ腰を下ろした。

「まずは、礼を言う。私のような身の知れない者を……」

 老人はその言葉を遮った。

「そのことですが、なにぶん今この村には食べ物がありません。ですからあなた様にお出しできる物も、漬け物と味噌、それに粥ぐらいのものです。それも量はさほど……」

「なぜだ? ここ数年は気候も良いはずじゃないのか?」

 村長は押し黙っていたが、やがて決心したように、重く口を開いた。

「ここ一月の間、この辺りには山賊が出るようになったのです。奴らは西の山に潜み、おそらく、佐々木家の落ち武者ではないかと、村の者は噂しております。その者達は、非常に狡猾(こうかつ)でした。一度目は十人ほどで、驚いている私たちを尻目に、家一軒ずつに米を要求し、渋った者はその場で斬り殺されました。男はそのまま首をはねられ、女は犯された後に殺されました……。最初はそれほどの要求ではなかったのです。ただ、奴らは私たちの心に恐怖を植え付けたのです。私たちにはどうすることもできませんでした。くわを持ったことはあっても、人に刃を向けたことなどありません。それから奴らの要求は来る度に増していきました。食料や女……、私の娘も、この間さらわれてしまいました……。そして今日、奴らは来るはずになっています。お侍様、悪いことは言いません。少しばかりのもてなしをしますので、早々に村を発った方が……」

「奴らの人数は?」

 黙って話を聞いていた男が、呟くように言った。

「最初は十人ほどでしたが、今は二十人以上にもなっています……」

「私で良ければ、そいつらを始末しよう……」

 村長が言葉を失ったのが、分かった。

「お言葉ではありますが、お侍様はお一人でございましょう。相手は二十人でございます。それは無理というもの」

「……だとすればどうする。どうしようもないと泣き寝入りしても、そなたたちは生かさず殺さず飼い殺しにされ、一生搾取されるはずだ」

 村長の瞳が、風に吹かれる炎のように揺れた。

「しかし、どうすることができましょう! ここは御領主様の目も届かぬ辺境の地。お侍様が助けに来てくれることなどあり得ません。飼い殺しにされても、生きていけるのならば、まだ……」

「そんな生き方、犬畜生にも劣るとは思わないのか……?」

 男の声の調子が強くなった。最初から諦めているような村長の言い方に、少し苛立ったのだ。そんな感情を抱くことも、久しぶりのことだった。

 その瞬間、村長が床を強く手で叩いた。微かな振動が男の身体にも伝わる。

「お侍様には分かるはずがありません! 気ままに旅を続け、腕っ節に物を言わせて、国々を渡り歩いて来たのでしょう。しかし我々はちがいます! 慣れ親しんだこの地を離れることも、ましてや戦うことも、できません。ただ、耐え忍ぶばかりが、我々の戦いなのです……!」

 村長の身体は絶え間なく震えていた。

 農民というのは、こういう生き方なのか、と男は思い知らされた。気に入らない者を斬り、気ままに旅を続ける。その通りだ。少なくとも、死なずの身体となってから少しの間は、そんな生活を続けていた記憶がある。しかし今は違う。『生きる』という意味を、探し求めるようになった。

 この世には多種多様の人間がいるのだと改めて思い知らされたのも、最近のことだ。侍、百姓、領主に医者、漁師や商人、様々な人間がいて、様々な命がある。不死の身体になる前は、そのようなことを考えたこともなかった。様々な命を見てみたいと思ったのも、最近のことだ。どうせ自分のことなど、皆忘れてしまうのだから……。

「だから私がやると言っている。大丈夫だ。そなたたちに迷惑はかけない。今日、陽が真上に来るまでに、奴らを始末してくるさ」

 あっけにとられる村長に向かって、さらに男は言葉を紡いだ。

「戦うことを忘れてはならないのは、おそらく皆一緒だ。酒でも用意しておいてくれ。まだ隠してあるのならな」

 床から立ち上がり、戸を開けて出て行く男の背に向かって、村長は慌てて言葉を投げつけた。

「お侍様、あなたのお名前は?」

 男は振り返る。

「今は誰でもない、ただの『名無し』だ」

 そうして、陽の光の中へと歩を進めた。

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