1話 蒼鴉
目が覚めると、天井がある。
それだけで、ああ、まだ死んでないんだなと分かる。
残星都市アストラ・レムナントの朝は静かだ。
外壁の向こうでどれだけ化け物が蠢いていようと、
その音はここまでは届かない。
古びた教会の天井。
塗装は剥げ、梁はわずかに歪んでいる。
けれど崩れない。
この街みたいに。
アタシはベッドの上で仰向けになったまま、
しばらく天井を眺める。
「……またか」
夢じゃない。
ただの、記憶だ。
あの日から、何度も繰り返している。
星が落ちた夜。
全部の始まり。
あの夜、空は割れたんだ。
流星なんて言葉で片づけられるものじゃない。
夜空そのものがひび割れて、
裂け目から白い光が溢れ出した。
人々は歓声を上げてニュースを見ている。
奇跡だとか。
新時代だとか。
神の啓示だとか。
今思えば、滑稽だ。
落ちてきたのは希望じゃない。
――神の残骸だ。
衝突地点は爆発しなかった。
巨大なクレーターも、
天を焦がす火柱もない。
ただ、都市の一部が“削れた”。
地形が。
建物が。
そこにあったはずの法則が。
誰かが丁寧に切り取ったみたいに、消えていた。
そして、その中心に散らばっていた。
光を失った無数の欠片。
星の欠片。
触れれば金属は歪み、
血肉は軋み、
計測値は意味を失う。
誰かが言った。
「可能性だ」
違う。
あれは、選別だ。
最初に動いたのは国家じゃない。
企業でもない。
地下の研究室。
名もなき資本。
白衣の群れ。
回収。
隔離。
実験。
成功例は公表されず、
失敗例は記録から消された。
それでも噂は広がる。
欠片に触れて死ななかった人間がいる。
欠片を宿した兵器が壊れない。
欠片を燃料にした装置が止まらない。
欲望は、あっという間に火を噴いた。
やがて世界は二つに割れた。
制御する側。
解放する側。
ネオン連合圏と、断章同盟。
アタシは――後者で生まれた。
ネオン連合圏には、“鴉”と呼ばれる女がいた。
星の欠片によって生み出され、
最強とまで言われた存在。
どんな兵器も。
どんな戦略も。
どんな人間も。
彼女を越えられなかった。
だから断章同盟は考えた。
鴉を倒すには、
鴉を作るしかない、と。
地下研究施設で始まった
クロウズ・リバース計画。
アタシはその副産物だ。
色で呼ばれる存在。
蒼鴉。廃棄予定個体。
「爆発力不足」
「侵蝕上昇緩慢」
「兵器適性低」
出来損ない。
色付き鴉たちは戦場に送られた。
紅は燃えながら敵陣を焼き払い、
白は狂気と引き換えに精神を裂き、
緑は外界へと消えた。
アタシは、地下の牢に座っていた。
鉄格子の向こうで警報が鳴り響く。
意味もなく、
役目もなく、
ただ命が終わるのを待つ。
研究員たちは逃げたのか、死んだのか。
施設にはもう、人の気配はなかった。
それでもアタシは分かっていた。
いつか――
元になった“鴉”がここを突き止める、と。
理由はない。
ただ、そう思っていた。
そして、ある日。
天井が崩れた。
粉塵の向こうから、黒い影が降りてくる。
背に広がるのは、
翼のように揺れる影。
血まみれで、それでも綺麗な人だった。
原型。
“鴉”。
アタシと同じ顔。
けれど、まるで違う目。
鉄格子越しに視線が絡む。
その瞳は、兵器を見る目じゃなかった。
「色は?」
首を振る。
「名前は?」
もう一度、振る。
しばらく見つめられて、
彼女はほんの少しだけ笑った。
戦場では決して見せない、柔らかな笑み。
「じゃあ――お前はロンリーだ」
その瞬間。
色は消えた。
兵器でも、廃棄物でもなくなった。
アタシは、
ロンリー・クロウズになった。
それからのことは、うまく思い出せない。
鴉と並んで、ずっと戦っていた気がする。
気がする、というのは曖昧だ。
記憶がところどころ、焦げている。
爆発の閃光か、
侵蝕の反動か、
それとも、あの人を失ったせいか。
はっきりしているのは、ただひとつ。
星の欠片戦争は――
本当に、ひどいものだった。
義体の兵士が機械音を軋ませて走り、
侵蝕で歪んだ神話のなりそこないが人の形を忘れ、
欠片兵器が制御を失って味方ごと焼き払う。
空は常に煙に覆われ、
地面は砕け、
血と金属と肉の匂いが混ざり合う。
人も、化け物も、兵器も。
全部がぐちゃぐちゃに溶け合って、
もう何が“戦い”で何が“事故”なのかも分からなかった。
アタシは裏切り者だった。
断章同盟にとっては。
鴉に拾われた瞬間から、敵。
ネオン連合圏にとっては、怪しい存在。
クローン。
元・敵兵器。
信用できるはずがない。
でも、どうでもよかった。
隣にあの人がいたから。
鴉。
アタシと同じ顔をして、
まるで違う強さを持った人。
言葉を教わった。
戦い方を教わった。
怒り方も、笑い方も、
守り方も。
「強いってのはな、壊れないことだ」
戦場で、あの人はそう言った。
アタシは、ただ頷いた。
戦争が終盤に近づくにつれ、
断章同盟の旗色は明らかに悪くなっていった。
補給線は断たれ、
実験兵器は暴走し、
色付き鴉の多くは消えた。
追い詰められた獣は、理性を捨てる。
断章同盟は、最悪の選択をした。
空に牙を剥いた。
核弾頭の一斉発射。
味方も敵も関係ない。
都市も、研究施設も、
外界も。
全部、灰にするつもりだった。
あの瞬間の空は、今でも焼き付いている。
弾頭が、星みたいに並んでいた。
落ちてくる“未来”。
アタシは、凍りついたまま見上げるしかなかった。
そのとき。
鴉が、空を見つめた。
アタシの大切な人。
親代わりで、
戦場の象徴で、
世界で一番強い人。
アタシと同じ顔で。
アタシより、ずっと強い目で。
そして――
アタシより、ずっと優しい笑顔で。
「ロンリー」
あの人は振り返らなかった。
でも、確かに呼ばれた。
次の瞬間。
鴉は、空に立っていた。
地面から跳んだのか、
重力を無視したのか、
もう分からない。
侵蝕が爆ぜる。
空間が歪む。
限界を越えて、
さらに越えて、
まだ越えて。
世界が軋んだ。
弾頭が静止する。
空中で止まり、
光の中で崩れていく。
核は、落ちなかった。
白い閃光に包まれ、
一つ、また一つと、溶けて消えていった。
世界は救われた。
その代わりに――
彼女が消えた。
崩壊でもない。
神話化でもない。
黒い翼のような影が空を裂き、
光の中心で、
ただ、消えた。
跡形もなく。
アタシは、ただ見ていた。
叫ぶこともできず、
追いかけることもできず。
戦争は、そのあとすぐに終わった。
でも、あの夜は終わらなかった。
アタシの中で今も、続いている。
星の欠片戦争の舞台となった戦場は、今では「外界」と呼ばれている。
そこはもう、世界じゃない。
焼け焦げた都市。
崩れた高架。
止まった兵器。
侵蝕に呑まれ、人の形を忘れた兵士たち。
怪物も、残骸も、
まだそこにいる。
ただ彷徨い、
朽ちず、
終わらず。
地獄は消えなかった。
ただ、名前が変わっただけだ。
近寄る者は、いない。
近寄れば、戻ってこないから。
だからネオン連合圏は、戦争が終わる前から動いていた。
外界を切り離すこと。
そして、その内側に“新しい世界”を作ること。
勝利した瞬間、彼らは迷わなかった。
断章同盟の生き残りを取り込み、
技術を吸収し、
思想さえも利用する。
敵を滅ぼすのではなく、
飲み込む。
そうして再編されたのが――
世界最後の都市国家《23特別区》。
残星都市アストラ・レムナント。
星の残骸の上に築かれた箱庭。
遠目にはひとつの巨大都市に見える。
だが中身は違う。
二十三の区画。
二十三の価値観。
二十三の小さな世界。
空気の匂いも、
光の色も、
人の値段も違う。
それでも外壁の内側では、
すべてが同じ都市の一部だ。
大きく分ければ、四つの顔を持っている。
【企業管理区】
ここでは、人の名前に価値はない。
あるのは社員番号と階級だけ。
巨大企業がインフラを握り、
治安を握り、
雇用を握り、
情報を握る。
そして――命の値段までも決める。
市民は住民ではない。
資産だ。
地下には星の欠片研究施設。
上層では兵器開発区画が昼夜を問わず稼働している。
実験室の白い光は、夜を夜のままにしておかない。
都市の空はいつも明るすぎる。
街路は清潔に保たれ、
ビルの窓は磨かれ、
人々はきちんと笑っている。
その笑顔が、本物かどうかは別として。
ここでは幸福すら、
演算されているのだろう。
【宗教管理区】
ここでは祈りが法律になる。
星の欠片は
「神の遺骸」
「天より落ちし聖骸」
そう呼ばれ、崇められる。
教団が統治し、
教義が秩序を作る。
異端は裁かれない。
静かに、消える。
侵蝕による異形化さえ、
彼らにとっては“啓示”の一形態だ。
人の形を失った者を
神の言葉として崇拝する過激派もいる。
信じることをやめた瞬間、
居場所は消える。
優しく微笑む神父も、
地下では神話的現象の波形を計測している。
信仰と研究。
祈りと実験。
その境界線は、驚くほど曖昧だ。
【個人統治区】
ここは都市というより、“意志”の領域だ。
元軍人が築いた鉄壁の区画。
研究者が設計した無機質な街。
戦争の英雄が理想を押し付けた楽園。
あるいは、怪物が支配する歪んだ自治区。
圧倒的な力か、
揺るがないカリスマ。
それを持つ個人が、
区そのものを支配している。
法律も倫理も、
支配者の価値観ひとつで塗り替えられる。
街並みすら、
その人物の内面を映す鏡のように歪む。
ここでは都市は人格を持つ。
そして時に、
それは人よりも残酷だ。
【自治・放棄区】
そして、どこにも属さない場所。
統治者がいない。
あるいは、名目だけ存在する。
スラム。
難民キャンプ。
記録に残らない裏区画。
人が消える場所。
人が隠れる場所。
秩序は幻想で、
暴力だけが現実。
情報は改ざんされ、
侵蝕値は偽られ、
欠片は闇取引される。
名前を持たない子供が生まれ、
番号すら与えられないまま消えていく。
欠片狩りと呼ばれる武装介入が
最も頻繁に行われるのも、ここだ。
都市の光が届かない場所ほど、
星の残骸は濃く沈んでいる。
それが――
残星都市アストラ・レムナント。
人類最後の都市。
だが同時に、
人類が人類でいられるかどうかを
試され続ける場所でもある。
企業。
宗教。
個人。
無秩序。
二十三の価値観が、
同じ外壁の内側でせめぎ合っている。
アタシは、そのどこにも属していない。
企業の資産でも、
教団の信徒でも、
誰かの理想でもない。
ただ、生きている。
星の残骸の街で。




