新天地
私とセドリックは、フレイザー公爵領の領都ザヴィールウッドから馬車で半日ほどの、緑豊かな森の領主館で暮らすことになった。
身体の弱いセドリックの療養のためだ。
女所帯なので警備面を心配したが、国境守備団の砦が近くにあるおかげで治安が良いし、フレイザー家に仕える騎士たちが交代で邸の警護に当たってくれているので安心だ。
建物はこぢんまりしていて、私たち母子と使用人たちとの関係も近い。
ナタリーが侍女頭となって邸内を仕切ってくれているおかげで、みんな和気あいあいと過ごせている。
義父母は領都の大きなカントリーハウスで生活していて、セドリックはしょっちゅう遊びに行っている。
私も月に一度くらいは一緒に行く。
カントリーハウスには大きな図書室があって、領地経営のための資料や蔵書が充実しているので助かっている。
また、フレイザー家は武門の家柄なので、カントリーハウスにも当然立派な武芸場が備えてある。
そこでは公爵家お抱えの騎士たちが、剣術・弓術・槍術といったあらゆる武芸の腕を磨いていて、セドリックは義父から剣術の手ほどきをしてもらっている。
私も最近、公爵家の女性騎士から初歩的な護身術を習い始めた。
森の領主館に移り住んで以来、セドリックは近くの村の子どもたちと森や丘で遊ぶようになった。
そのせいか身体も丈夫になり、最近は熱を出して寝込むこともほとんどない。
本にも興味を持つようになったセドリックは、領都の祖父母の屋敷から帰ってくるときに、たくさんの絵本を借りてくる。
子ども向けの絵本は数が少なくて高価だから、村の学校の予算では購入できないのだ。
それで、セドリックの持ってくる本は村の子どもたちに回し読みされて大好評らしい。
「文字の読めない子もいるから、絵本だといいんだよ」というセドリックは、王都の狭い貴族の世界だけではなく、田舎の村に暮らす平民の暮らしをも体感しているのだとわかる。
私もセドリックの反応を見て、近いうちに子どもたちのための図書室を、村のどこかに開設したいと考えている。
セドリックが気に入った本は、購入して我が家の図書室にあるセドリック専用の本棚に置くようにしている。
夜眠る前に、セドリックは私に絵本を読んでほしいとねだる。
私もセドリックに本を読んであげるのがとても楽しい。
私が本を読んであげていると、セドリックのまわりには楽しい気持ちを具現化したように、きらきらした魔力のかけらが舞ってとてもきれいだ。
まだ先のことだが、公爵子息としての本格的な教育を開始する時には、学問や武芸だけでなく魔力の使い方を教える教師も必要になるだろう。
王都のフレイザー公爵邸にはルドガーが戻ってきたそうだ。
そして、いったんはネリー嬢を公爵邸に迎えたものの、ひと月もしないうちにネリー嬢は平民街の家へ帰ってしまったらしい。
今はルドガーひとりが公爵邸で暮らし、時おり平民街のネリー嬢を訪ねているという。
公爵邸の管理や王都での公爵家の事業などはルドガーが差配してくれるようになった。
騎士団長の職務もあるので大変だろうとも思うが、ルドガーは私と結婚する以前は公爵邸で生活していて、公爵家の運営と騎士団長の職務を苦もなく両立させていたそうだから、余計な心配なのだろう。
私は王都での社交や業務から解放され、領地の運営だけをすればよくなったので助かっている。
おかげでセドリックと過ごせる時間が大幅に増えたのがうれしい。
あの夢の中で見ていたけれど、子どもはあっという間に大きくなってしまう。
12歳になって騎士団に入団したら、セドリックももう完全に私の手を離れていってしまうだろう。
それまでは目いっぱいあの子を愛し、手をかけてやりたい。
ルドガーからの離縁状はまだ届いていない。
私は学問や教養を身につける努力を続け、いざとなったら貴族の家の家庭教師として身を立てられるように備えている。
セドリックと二人、つつましく生きていければそれでいい。
夫に愛されないみじめな妻。
前世の私はそんな風に周囲にあざけられ、自分に自信が持てないでいた。
でも今の私は違う。
夫に愛されなくてもみじめなんかじゃない。
セドリックと過ごす時間は私の何よりの宝物だ。
あの子を慈しんで育てることが、私の幸福なのだ。
こんな風に思えるようになったのも、セドリックが生まれた時にあの長い夢を見たからだ。
あの時、私は生死の境をさまよい、この世の理を越えた次元に足を踏み入れていたのかもしれない。
そして、時空をこえ時をさかのぼり、人生をもう一度やり直すことになったのではないか。
時々ふと、あのとき見えた白髪の老人を思い出す。
薄暗いところにうずくまっていたあれが誰なのか、いまだにわからない。
でも、どこか見覚えのある背中は、私の知っている人物のような気がする。
もしかすると、変わり果てた私自身なのだろうか。
絶望に打ちのめされたような、消え入りそうなうつろな後ろ姿は、なぜか今も私の心を揺さぶってやまない。
あれは、こんな風になるなという戒めなのだろうかとも思う。
あの老人のようにならないためにも、私はこれからの人生、夢で見た前世の後悔をすべてなくしていきたい。
つらかった記憶はみんな、楽しい思い出に塗りかえていこう。
「母さま!」
早春の丘をセドリックが駆けてくる。
その手には白い野の花が握られている。
「見て! 母さまにあげようと思って、僕がつんできたの!」
ころがるように飛びついてくる小さな身体を抱きとめて、私は思いっきり笑顔になった。
『魔女になれたら』へ続きます。