愛されない妻
不本意な初夜の描写がありますのでご注意ください。
騎士団から、使いの者がきた。
「たしかにお渡ししましたよ」と念押しして、夫の手紙を渡された。
封筒の表に宛名はない。
公爵家の印璽で封緘された裏面には、ルドガー・フレイザーと署名がされていた。
フィンバース王国の騎士団長を代々つとめる武の名門、フレイザー公爵家。
その現当主ルドガーが、私の夫だ。
実家のリズリー伯爵家にいたころから私に仕えてくれている侍女のナタリーが、「エリナさま、どうぞ」とレターナイフを手渡してくれる。
封を開け、内容を一瞥して思わず「えっ!?」と声が出てしまった。
『公爵家の二人目の嫡出子をつくり、俺の手元で育てることにした。
ついては妊娠しやすい日を侍医に算出させてある。
2週間後の夜、そちらへ行く。閨の支度をしておけ』
嫡出子というからには、正夫人である私の子ということだ。
一体どういうつもりなのだろう。
一人息子のセドリックが生まれて以来、4年もの間ずっと愛人宅で暮らしていて、この家には寄りつきもしなかったのに。
隣国カルセミアの侵攻を食い止め、長く続いた戦争状態の終結に多大な貢献をした救国の英雄がルドガーだ。
幼いころから神童と言われ、騎士団入団直後から数々の武勲を上げてきたその功績により、ルドガーは16歳で成人するとともに王国騎士団団長の地位を与えられ、以来フィンバースの多くの騎士を率いてきた。
まっすぐな黒髪に、燃えるような赤い瞳。
しなやかな筋肉がついた背の高い青年公爵の雄姿は、誰から見ても魅力的だった。剣の腕は王国一と評判で、ゴダード国王の覚えもめでたく国民の人気も高かった。
そんなルドガーの花嫁になりたいと願う令嬢は、国内外問わず星の数ほどいたのだが、彼にはいつからかもうすでに心に決めた相手があったのだ。
しかしネリーという名のその女性は、貧民街の娼婦という卑賎の出だったため、高位貴族であるルドガーは彼女との結婚はできずにいた。
だが、建国以来続く名門のフレイザー公爵家には、後継者が必要だ。
そこで、跡継ぎとなる子どもを産ませるためだけに娶った妻が私、エリナ・リズリー伯爵令嬢だった。
ルドガーは、ネリー嬢との愛こそ自分にとっての真実の愛であり、それを承知の上で彼に嫁いでくる妻など、子どもを産む道具に過ぎないと言い切っていた。
貧民街出身の愛人より格下の屈辱的な扱いをされるのがわかっていて、それでもルドガーの花嫁になりたいと望む者は、まともな貴族女性の中にはいなかった。
だから私に白羽の矢が立ったのだ。
私の実家リズリー家は伯爵家ではあるが、領地を持たない宮中伯であり、決して裕福というわけではなく権力もない。
そして何より私は、貴族の娘でありながら魔力を持たずに生まれたのだ。
魔力が大きなステイタスとなるこの国では、魔力のない娘が貴族の家に輿入れすることはかなり難しい。私もまた、いずれ平民に嫁ぐか、修道院に入ることになるはずだった。
「かわいそうに。金の髪、空色の瞳、可愛らしくて優しくて申し分のない娘なのに、魔力がないばかりに…」
父や兄はよくそう言って嘆いていた。
私が物心つく前に病で亡くなった母も、娘の行く末を最期まで案じていたそうだ。
そんな私に、フレイザー公爵家は現当主ルドガーとの婚姻を打診してきた。
魔力の有無は問わないという。
ルドガーが、魔力を持たない貧民出身の愛人を妻より優先することを前提に、彼との間に子をなすことを甘んじて受け入れられるかどうかが重要なのだ。
貴族令嬢でありながら魔力を持たない娘なら、身の程をわきまえておとなしく夫に従うと思われたのだろう。
公爵家からの婚姻の申し入れを断れば、後難を恐れて、私を娶ってくれるような男性は、貴族どころか平民でもいなくなるだろう。
それに、公爵家の怒りを買ってまで私を受け入れてくれる修道院があるとも思えない。
平民に嫁ぐにしろ修道院に入るにしろ、そうなってしまえば貴族である父や兄とはめったに会うこともできなくなる。
それを考えたら、今後も実家と行き来のできるこの結婚はそう悪くない条件なのではないか。
世間知らずの私は、そんな風に自分を納得させて、ルドガーとの結婚を承諾した。
ルドガーは、婚姻前の顔合わせからずっと、私を見ると顔をしかめて嫌悪感をあらわにしてきた。
それでも、一度婚約がととのってしまえば、家格が下の我が家から婚約の解消を申し入れることはできなかった。
夫婦となり子どもを授かれば、愛情はなくとも妻としてそれにふさわしい待遇をしてもらえるだろうと、私は自分に言い聞かせた。
夫となる公爵が私を大切にしてくれるかどうか、父や兄は最後まで心配していたけれど。
ルドガーは結婚式でも不機嫌だった。
私の方を見もしないし、声もかけない。
かろうじて祭壇へ上るときにエスコートはしてくれたものの、祭壇へ上がったとたん、ルドガーはサッと私から身を離した。
司祭の祈りが始まり、婚姻の宣誓をするときも、おざなりに定型文を復唱しただけだった。
それが終わると、指輪の交換も誓いの口づけもなしに、ルドガーは一人でさっさと祭壇を降りていった。
取り残された花嫁のことは、振り向きもしなかった。
その夜、新床の花嫁を訪れたルドガーは、私の顔を見るなりこう言い放った。
「俺が愛するのはネリーだけだ。お前と結婚したからといって、俺に一切の情を期待するな」
夫となる男性の非情な宣告に、私は黙ってうなずいた。
最初から覚悟していたことだ。
それでも、夫の言葉の冷たさは身に沁みて感じられた。
私はおずおずと口を開いた。
「あの……」
「なんだ」
「旦那さまは、白い結婚をお望みなのですか? でしたら私はそれに従います」
ルドガーは一瞬沈黙した。そして
「……白い結婚などではない。
子づくりをするのだからな。
お前は跡継ぎをつくるための道具だ」
と答えた。
汚いものでも見るような目つきが胸に刺さる。
どうしてこんな目で見られなければいけないの?
「俺はネリー以外の女など抱きたくない。
なるべく肌を触れないように、服は着たままでいい」
そう言うとルドガーは、自分も着衣のまま、私を乱暴にベッドへ押し倒した。
すべてが初めてだった私には、暴力としか思えない交わりだった。
愛撫も口づけもなく名前すら呼んでもらえない、こんな扱いを受けるくらいなら、公爵家などでなく平民の家へ嫁いだ方がよほどましだった。
ことが終わると、ルドガーはさっさと身支度をして出て行った。
私とは同じ部屋の空気を吸うのすらいやだというように。
私は身体が痛んで、指一本動かすのも億劫だった。
天井を仰いで放心していると、冷たい涙が頬をつたった。
後日、月のものが遅れていたことから医師の診断を受け、妊娠が判明した。
ルドガーが愛人と暮らす平民街の家へ使者を送り、子どもを授かったと報告をしたが、何の返事も来なかった。
身重の身体での公爵邸での生活が始まった。
何もかも知らないことだらけで戸惑うことばかりだ。
夫に見放されている私を、公爵家の敷地の中の別邸で暮らす夫の両親は、何かにつけて助けてくれた。
結婚するまではルドガーが行っていた公爵領の運営は、結婚後は彼が愛人宅に腰を据え公爵邸に寄りつかなくなったせいで、公爵夫人である私が代わりに行わなくてはならなかった。
私は生まれつき魔力がなかったので、いずれ平民の妻として家庭を切り盛りしていく覚悟をしていたから、帳簿のつけ方も知っていたし財産の維持管理についての知識も多少は身につけていたのだが、それでも公爵家の広大な領地を管理するというのは大変なことだ。
義父はそうした仕事の内容について丁寧に私を指導してくれ、しばしば業務を手伝ってくれた。
妊娠中だったこともあり、体調の悪い日は特に、義父の協力がありがたかった。
義母は私の体調を気づかい、つわりの時期でも食べやすいものを工夫してくれたり、出産準備の相談に乗ってくれたりした。
私は実母がいないので、親身になって世話をしてくれる義母を本当の母のように思った。
だんだん大きくせり出してくるお腹を見て、義父も義母もうれしそうな顔をする。
子どもが生まれてくるのを、公爵邸の誰もが待ち遠しく思っていた。
だが、子どもの父であるルドガーがここへ来ることはなかった。