第99話 残された日々(一)
さくらが消えた後、稔流はやっと眠りに就いた。
昨夜は大彦から電話がかかってきて、曾祖母から昔話を聞いて、その後は庭に出てずっとさくらの帰りを待ち続けていたから、布団に入ったのは朝方だった。
昼過ぎにボーッとパジャマ姿で起きてきた稔流に、曾祖母は何も聞かなかった。
ただ、そんな時間でもないのに「おはよう、稔流ちゃん」と言って食事を用意してくれた。
次の日から学校に行った。
制服に着替えて、朝食を食べて、曾祖母に「行ってきます」と言って。
さくらがいない以外は、何も変わらない一日が始まる。
「うっす、稔流」
「おはよう、大彦君」
稔流は、大彦をじっと見て、そして言った。
「どのくらい人間で、どのくらい神様?」
大彦は少し驚いた顔をしたが、ニッと笑った。
「俺は人間だよ。24時間365日、閏年は366日、お天王様の入れ物になってるけど」
「現人神みたいだね。大彦君じゃなかったら、大抵の人はその入れ物が割れそうだけど」
「現人神だよ。王の末裔が大抵の人のわけないだろ」
「そうだね。天羽々斬剣の形代を持ってる家系なんて、なかなか無いだろうし」
少しの沈黙の後、大彦が尋ねた。
「絶世の美少女さくらちゃんは、どうなった?」
「何でだろう……本当の事だけど、微妙にイラッとした」
稔流も、少し間を置いてから答えた。
「消えたよ。この世界の何処にもいない」
「……そっか」
「狭依さんには『鬼の呪いが解けて元の姿に戻った』って言っておいて。嘘じゃないから」
「了解」
「それから、婚約おめでとう」
「……は?」
大彦は、珍しく顔を赤らめて声をひそめた。
「何で知ってんだよ。めっちゃ箝口令敷いたんだけど?」
「俺の情報網も広いんだよ。狐も河童も、全部俺の味方だから」
「うっわ、チートじゃん。プライバシー侵害やめろ」
「大丈夫だよ。俺が知ってるのは、大彦君が狭依さんに夜這いして、激怒した狭依さんのお父さんにグーパンされて、呼び出された大兄さんが土下座した、ってところまでだから」
「ちょ、夜這いじゃねえし!!」
つい大彦が大声を出し、賑やかだったクラス中がシーンとなってこっちに注目が集まった。
「……どうかした?」
稔流がクラスメイトににこりと笑いかけると、全員が目を逸らして雑談に戻った。
「すげえな魔王」
「魔王じゃないから。でも、俺はほぼ人間じゃなくなっているから、何もしなくても威圧感が出るのかもね」
「いやお前、転校初日から拓がびびり散らかすオーラだったじゃん」
「そうだったっけ?」
そこで担任がガラリと戸を開けて入って来たので、生徒達の談笑タイムは終了になった。
さくらがいない日々、稔流は以前と変わらない生活を送った。
朝は目覚まし時計が鳴ったら起きて、学校で授業を受けて、休み時間には友達と他愛ないお喋りをして。
家に帰ると曾祖母が和菓子とお茶を準備してくれて、その後は宿題を片付けて、高校進学の為の通信教育もきちんとこなした。
さくらが、年相応の少年としての稔流の生活を、とても大事に思ってくれていたから。
その日にあったことを、さくらが残していった管狐・むすびに話した。どこかでさくらが聞いていてくれるかもしれないと思いながら。
さくらが消えてしまっても、稔流のポケットには椿の花びらが入ったままの小さな巾着袋が残されていたから。
十二月に入って間もなく、曾祖母が亡くなった。
風邪を引いて少し咳をしていた程度で元気だったのだが、いつもなら起きているはずの時間に姿が見えなかったので、稔流が様子を見に行った時には既に、布団に寝たままの姿で息絶えていた。
本当にまだ眠っているような、安らかな死に顔だった。
田舎の葬式は騒がしい。穢れを恐れて十歳未満の子供は近付けないけれども、近年主流の家族葬で静かに見送るような葬式とは程遠い。
生涯独身で嫡流から外れた波多々善郎の葬儀とは違い、宇賀田喜代は宇賀田一族の長老のような存在であったらしい。
どこからか訃報を聞きつけた一族の者が、勝手に家に上がり込んで葬儀の準備を始めるし、台所で勝手に参列者に振る舞う料理を作り出す。
そして、葬式だというのに皆明るい。
曾孫が中学生になるまで生きたのだから大往生だと、寧ろ祝い事のような賑わいで、思い出話に花を咲かせる。
曾祖母の亡骸は棺に入れられて母屋に移されてしまったので、稔流は独りで古民家に残っていた。
都会育ちの稔流には、遠慮の無いお節介と紙一重の助け合いと喧騒は、引っ越してきて2年以上経った今でも苦手だ。
かたん、と物音がした。稔流がふと土間に目を遣ると、そこには着物姿の少年がひとり立っていた。見かけは、小学校の中学年くらいだ。
少年は、人懐こく笑った。
「こんにちは、稔流」
稔流も笑った。
「こんにちは、三太君。……と、みたらし、かな?」
少年は、驚いた顔をした。
「覚えてたの?」
「俺が小さい頃、一緒に遊んでくれたよね。大彦君と、狭依さんと、……さくらと、あやめさんも一緒に。河童と一緒に、小学校のプールにも来てたよね」
「なぁんだ。覚えてたのなら、もっと早く遊びに来るんだったなあ」
三太は慣れた様子で畳に上がると、掘り炬燵に入った。久しぶりに会った猫・みたらしは、稔流に寄ってきてスリスリと体を擦り付ける。
「猫って、会わない人はすぐに忘れちゃうらしいけど、みたらしは懐っこいね」
「懐っこだけじゃなくて、ちゃんと稔流を覚えてるんだよ」
「……もとから尻尾が2本だったっけ?」
「ううん。みたらしはね、長生きしたから猫又になったんだよ」
「猫又って、妖怪だよね?」
しっぽが増えた以外は、お団子にみたらし餡をかけたような模様の、普通の猫だ。
三太は、面白そうに笑った。
「妖怪だよ。座敷童よりも、人間の目に見えやすいみたい。当たり前にその辺を歩いてるし、普通の猫に紛れ込んで猫の集会にも来るよ。でも、人間にはしっぽは1本しか見えなくって、気が付かないで半ノラみたいに飼ってることもあるんだ」
「そうなんだ。楽しそうだね、みたらし」
みたらしは、みゃーおと鳴いた。きっと、楽しく暮らしているのだろう。
「やっぱり、喜代がいないと寂しいね」
「……そうだね」
稔流が両親と離れてこの家で暮らせたのは、曾祖母がいてくれたからだ。
この村に来てから、一番、唯一、稔流のことを理解してくれた大人だった。