表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/102

第88話 祟り神(三)

かつては村を守ってきた神が問う。


(天道の村が(ほろ)びてもよいと?)


「私は鬼だ。衆生(しゅじょう)すくう仏とは程遠い。人間など、(ほろ)びるも(さか)えるも勝手にすればよい」


何故(なぜ)余の元に来た。この剣で、狐の子を狙う霹靂神(はたたがみ)()って逃げようとは思わなかったのか?)


たた(かみ)()れば(たた)りも無くなる……という安易な思い付きに過ぎませぬ。でも、鳥海の王の子に会って気が変わった。王の子は、私が人間の(ため)犠牲(ぎせい)になることはないと言った。確かに、私程度(ていど)鬼神(きじん)では、天王(てんのう)の名を持つ神とまともに戦うのは無謀(むぼう)でしかない。無謀(むぼう)で、無理(むり)なら()げろ…と。私にさくらの名をつけた者と共に」


さくらは苦笑(くしょう)した。

鬼の形相(ぎょうそう)()した今、それは人間が見たら(こし)()かすか、それこそ()げ出すかの()まわしい顔であっただろうけれども。


「ただ、(たた)るほどの(うら)みを持つ神と、一度会ってみたいとも思った。…どれほど(みにく)くなり()てたのか、『この上なく(おそ)ろしい』とはどれ(ほど)のものなのか、…それとも、(うら)み祟るほどになっても、お(かみ)排斥(はいせき)したくなるほど偉大(いだい)であり、それでもお(かみ)とこの国を(たた)らなかったほどに……愛の神、(よみがえ)りの《むすびの神》と呼ばれた慈愛(じあい)を、一雫(ひとしずく)でも残しているのかと」


(愛とむすびの神…とはまた、(なつ)かしい名を持ち出してくれたものだ。産霊(むすひ)の神と言えば、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)神産巣日神(かみむすびのかみ)しか知らぬ者が多かろうに)


祟り神もまた、苦笑(くしょう)した気配(けはい)がした。(なつ)かしいと。


(確かに、熊野(くまの)の民はそのように()び、そのように信じていた)


熊野三山(くまのさんざん)ではなく、出雲(いずも)熊野(くまの)(まつ)られる神。

加夫呂伎(かぶろぎの)熊野大神(くまのおおかみ)櫛御気野命(くしみけぬのみこと)(たた)えられる素戔嗚尊(すさのおのみこと)


加夫呂伎(かぶろぎ)』とは神聖(しんせい)なる祖神(そしん)、『大神』とは(なみ)の神を超える称号しょうごうであり、『櫛御気野命(くしみけぬのみこと)』は『霊妙(れいみょう)なる食の神』という意味だ。


古事記に残される、|素戔嗚《スサノオ》がき母に会いたいと()(わめ)く様は、


『青々とした山が枯木(こぼく)の山になるまで()()らし、川や海の水は、すっかり()(かわ)かしてしまうほどであった。そのために、災害(さいがい)を起こす悪神の(さわ)ぐ声は、(なつ)(はえ)のように充満(じゅうまん)し、あらゆる悪霊(あくりょう)(わざわい)一斉(いっせい)発生(はっせい)した』


とあり、(すさ)まじい(ひでり)をもたらす、(あら)ぶる太陽神(たいようしん)だった。


海の神とも(あらし)の神ともされ、山に天降(あも)櫛名田姫(くしなだひめ)という稲田(いなだ)の姫神を(めと)り子を為した雷神(らいじん)でもある。


雷神は、雨をもたらす水神でもある。

櫛名田姫(くしなだひめ)八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という異形(いぎょう)蛇神(へびがみ)生贄(いけにえ)の身から守った後には、治水(ちすい)農耕(のうこう)の神ともなった。


このような多面性(ためんせい)は、素戔嗚(スサノオ)自身が様々な苦難(くなん)()()えてきた(あかし)だ。

妻と子と民を愛し、幾度(いくど)となく(おとず)れる災厄(さいやく)からも必ず(よみがえ)るようにと、幸福の再生へとむすび続けた、愛とむすびの神。


牛頭天王(ごずてんのう)とは、仏教の神とされながらも、天竺(てんじく)にも(から)にも由緒(ゆいしょ)が見えぬ、出自不明(しゅつじふめい)(なぞ)の神…としか私は知らぬ。でも、(やまい)を呼ぶ疫神(えきじん)されながらも、それ以上に疫病(えきびょう)災厄(さいやく)から人々を守る神として、この国で広く強く信仰(しんこう)された。…本当に、(わけ)が分からぬ。(わけ)が分からぬからこそ、お目にかかりたいと思った」


()しくも、稔流が管狐(くだぎつね)に『むすび』という名を付けた時には、(おどろ)(あき)れて『私でも永遠にお目にかかることもないほどの神』と言ったのに。

こんな形で対面することになるとは思っていなかった。


これも、『さくら』と名付けた稔流(みのる)言霊(ことだま)(つむ)いだ運命なのであれば、受け容れようとさくらは思った。


「雷神であるのに、波多々の天神とはまた違う……(ある)いは、本来は同体(どうたい)であったを人間が勝手に()(はな)してしまったのか。(たた)った理由が、本当にその小さな(やしろ)封印(ふういん)されたことなのかさえ、こうして貴方様を訪ねてみて、私はわからなくなった。たかが座敷童が、大いなる神の御心(みこころ)理解(りかい)しようとは思わぬ。ただ、私は、王の子から(ゆず)り受けたその神剣の(やいば)を、貴方様に向けることは無い――――そんな気がしただけだ」


語り終えて、白い空間に、沈黙(ちんもく)が落ちた。

異形(いぎょう)となった顔から、体から、人間のような血がぽたり、ぽたりと(したた)るのが、不思議だとさくらは思った。


――――帰らなければ。

このようなおぞましい姿になり()てても、(ゆる)してくれる稔流の元へ。


(鬼よ、何処(どこ)へゆく)


「帰るべき所へ。《約束》を守り《誓い》を()たす為に」


霹靂神(はたたがみ)と巫女はどうする)


天神ならば、《小さな雷神》でしかないさくらが、お天王様に勝てるはずがないと知っていたはずだ。

さくらには何も出来ないと、知っていながら使いに出した意図(いと)は、解らないままだが、……もういい。


「波多々の命運は、お天王様がお決めになること。(たた)る理由も()める理由も、私にはわかりませぬ(ゆえ)。ただ、私が(ゆず)れぬものだけは、守りにゆくのみ」


其方(そなた)(ゆず)れぬものとは何だ)


「私に、さくらの名を(さず)けた者…」

そう言ってから、さくらは言い直した。


「私にさくらの名を(さず)けた者と、(とも)()る幸福。これだけは、決して(ゆず)れぬし、二度と(あきら)めることもしない」


必ず、稔流の元へ帰る。

お帰り、ただいま…と。当たり前の言葉を()わす(ため)に。


(…そうか。承知(しょうち)した)


大いなる存在が、(やしろ)から出て来たのがわかった。

姿は見えない。そうとわかっただけだ。


(我が妻…櫛名田(くしなだ)も、()と出会った時にはまだ幼い童女(おとめ)であった。だが、おとなしく蛇神(へびがみ)生贄(いけにえ)になることよりも、愛するものと共に()ることを望み、懸命(けんめい)に戦う娘だった)


大いなる存在は(なつ)かしみ、そして言った。


(ひとつ教えてやろう、鬼の童女(おとめ)。───余を信じるならば、だが)


さくらは、偉大(いだい)な神の絶大(ぜつだい)な神気に飲まれそうになりながら、それでも稔流を思い()かべて正気を(たも)った。


「信じましょう」


(雷神、霹靂神(はたたがみ)とは、鬼神(きじん)だ)


「…………!」


さくらは、(おどろ)き立ち()くした。

天神もまた大いなる存在で大いなる神であり、さくらも『そこに御座(おわ)す』ことと『声が聞こえる』ことしか分からない。


さくらがその姿を見たことがあるのは、成長しない座敷童だった(ころ)に育ててくれた、美しい姫神だけだ。


(いかづち)を火と(とら)えるならば赤い鬼神(きじん)まばゆい光と(とら)えるならば白い鬼神(きじん)だ)


(赤い座敷童、赤い鬼という名の言霊(ことだま)(しば)られるな。其方(そなた)もまた、炎と光、どちらにもなれる)


(おのれ)()じるな。鬼の童女(おとめ)よ)



大いなる存在が、神剣を()いた。

そして、その(やいば)が、異形(いぎょう)童女(おとめ)を切り()いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ