第85話 王の末裔(二)
大彦は、子供らしくわくわくした顔をしていたが、さくらは苦笑した。
「…天神様は、私を赤い座敷童だと仰せだぞ?」
「え?天神様って、霹靂神か!?すげー!会ったことあんの?…つか、赤い座敷童ってどのへん?まあ着物は赤いけど、袖と裾と帯は桜の柄だよな?桜って、姫神様の花じゃん」
屋敷の窓から漏れる光のほかは、月明かりだけだ、王の一族は夜目も利くのか。
赤は目立つようでいて、闇には溶け込みやすい色だというのに。――――だからこそ、鬼に相応しいのか。
「白い座敷童が憑く家は栄えて、赤い座敷童に憑かれた家は滅びるって話の、白い方だろ?」
「…王の勘もここまでか。大彦、お前は面喰いも程々にするがよい」
鬼が、美しく笑う。
「波多々の家を皆殺しにしたのは、…この私だよ。王の末裔」
大彦は、ゾクリとした。
鬼の姿をしていても、大彦よりも年下のように見える少女だというのに。
そして、大彦の勘は、この美しい少女は嘘をついていないと告げている。
「その次に、私が憑いたのは宇賀田の本家だよ。今もある旧い家よりも、もっと前の屋敷から棲み着いている…それ故、宇賀田の本家は絶える。わざわざ皆殺しにせずとも、続きようがない。かつての波多々のように傍系が本流になるか、鳥海にも前例があるだろうが血縁の男子を養子に迎えれば済む話だ。……ただ、私が憑いた家は滅びる」
違う――――
大彦は、感じた。
確かに、この少女は、嘘を吐いてはいない。皆殺しにしてしまったことがある。
宇賀田の家も……
(年明けには、俺はこの村からいなくなる)
稔流が『一度死んだ』のは、稔流も入院時に言っていた通り、意図せぬ失敗だったのだろう。しかし、『生き返らせた』のはこの少女なのだろう。
それをきっかけに、稔流は人間ではない何かへと変質が始まった。今人間と言えるのは4割くらい、そしてその変質がどんどん加速しているというのは……
「宇賀田の本家は、お前が滅ぼすんじゃないだろ。最後の直系が、自分で選んだんだ。お前の所為じゃないよ」
「……っ、違う!私の所為だ!私と出会わなければ、稔流は人としての命も、家族も、自分から捨てるなどと思い付くことは無かった!!」
「当たってんじゃん」
大彦は、にっと笑った。
「自分から、だろ?お前の所為じゃない。お前の為だよ。そんくらい、信じてやれよ」
とっさに言葉が出ずにいるさくらに、大彦が鞘ごと剣を放った。
「ほかにもあったけど、多分それ。ソースはオレの勘」
さくらは、ずしりと重い剣に視線を落とした。――――天羽々斬。神を斬る剣。
「好きに使えよ。返してくれれば俺はじいちゃんに怒られないけど、戻って来なくても『御縁がなかった』っつーことで」
「…ああ、恩に着る」
「んで、頑張れとか言わねーから。絶対、無理しないでくれよな」
「は?鬼でも赤い座敷童でも、無理を通さねば祟り神の相手など出来ぬわ」
「だからだよ」
大彦は、真っ直ぐにさくらを見た。
「未来の天道村を預かる未来の王の権限で言ってんだよ。お天王様に祟られたのは、鳥海と波多々と比良の本家の所為だ。何にも関わってない宇賀田の家には本当申し訳ないけどさ、…それでも、村の重鎮が揃って祟られるだけのことをやらかしたんだから、『返り』があるのは当たり前なんだよ。狭依が死んでも、波多々が絶えても、この村ごと滅びても、俺らの所為ではあってもお前の所為じゃないんだよ。だから、天神様が何言ったか知らねーけど、お前は絶対に死ぬな。必ず、稔流の所に生きて帰れ。そんでさっさと稔流と逃げろ。稔流は宇賀田直系の血を引いていても、この村で育った訳じゃない。俺のじいちゃんの思い付きと、稔流のお人好しの父ちゃんに巻き込まれただけの奴だ。それで稔流がお前を好きになったことに責任を感じてるなら、稔流を連れて生きて逃げろ。…王の命令には従うもんだぜ。稔流と結婚するんだろ?」
「……人間如きが、偉そうなことを」
美しい鬼が、すらりと神剣を鞘から抜いた。
月光の下で鈍色に光る片刃の直剣は、神殺しの名残に切っ先が少し欠けていてもなお、重厚な神気を放っていた。
「去ね」
「え!?ちょ、待っ…!!」
少女が細腕でブンと風を唸らせて、神剣は大彦の体擦れ擦れの宙を切った。
そして、剣は再びシャンと鞘に収められた。
「どうだ?」
「えっと…何か…」
目を見開いたまま、大彦は言葉を探した。
「…綺麗?」
「お前、語彙が少ないな」
「いや、そうじゃなくて。…そうなんだけど、何か……」
大彦は、今まで平気だと思っていた瘴気が、思うほど平気ではなかったことに気が付いた。
空気が、綺麗だ。
呼吸が楽だ。
世界が、綺麗だ。
見慣れた日本庭園も、こんなにクッキリと美しかっただろうか。
理解した。少女が斬ろうとしたのは大彦ではなく、大彦の心身や鳥海の家に残り纏わり付いていた瘴気だったのだ。
ふっと、美しい鬼が、微笑んだ。
「感謝する、人の王よ。私は、私が一番守りたいものを、これ以上犠牲にはしない」
そして、トンと身軽に跳躍し、あっという間に月光に溶けた。
「はー、なるほどなぁ…」
大彦は、夜空を見上げた。
「確かに『綺麗な人』だわ。女神か?」
たとえ、鬼の角を持っていても。