第84話 王の末裔(一)
鳥海大彦は、まるでさくらが来るのを待っていたかのように、日本庭園の石に腰掛けていた。
さくらは、半ば呆れて言った。
「お天王様は平井寺に移したと聞いていたが……まだ、随分と瘴気が残っているな。よく平気でいられるものだ。使用人はバタバタ病に臥しているだろうに、王の末裔は化け物か?」
大彦は、飄々と答えた。
「俺は、化け物でも人間でもどっちでもいいんだよ。王は王だ。そう言うお前も化け物なんじゃね? すげー美少女だけど」
「そんな戯言は、狭依に本気で言ってやれ」
大彦の纏う空気が、ぴりりと張り詰めた。
「……あいつが治って生きるのなら、痘痕だらけだろうが何だろうが一万回言ってやるよ」
そして、簡潔に問うた。
「うちに何しに来た?」
「祟り神に会いにゆく為に、必要な物を借り受けに来た。天神様が、波多々の巫女を美しく蘇らせろとしつこく仰せなのでな」
「……! 狭依は治るのか!?」
大彦から疑いの気配が消え、そして隠せぬ希望にさくらを見た。……子供だな、とさくらは独り言ちた。
「そのように祈っていろ、人間。私がわざわざお前の前に現れてやったのは、王の末裔が代々引き継いできた神剣が必要だからだ」
「神剣って言っても何本もあるから、どれか言ってくんなきゃわかんねえよ」
さくらは、溜め息をついた。
「一族の秘伝であろうに……。お前は真正面すぎて、王の器ゆえなのか、ただの馬鹿なのかわからんな」
「どっちでもいいんだよ。俺はいつでもどこでも俺だ」
「気に入った」
さくらが赤い唇の端を吊り上げて笑い、雪色の長い髪が月の光と夜風に舞った。
「天羽々斬剣を、借り受けたい」
大彦は、仰天した。
「天羽々斬!? そんな大物、うちにあんの!?」
「ここになければ、別の形代を探しに行かねばな。その前に狭依が死ぬかも知れぬが」
「お前、それがうちの何処に有るのか知ってんのか?」
「知らぬから聞いているのだよ。大王や大兄より、若いお前の方が迷わずに動けるからな」
「…………」
今度は、大彦が溜め息をついた。
「若い……っつーか、子供だから知らされてねーんだよ。家宝の中でも秘宝って奴だからさ。こればっかりは、じいちゃんか父ちゃんじゃないとなあ……」
「この悪童め。大王でも大兄でも、お前に分かるように教えたことがあるだろう。――此処には入るな、其処には触れるな、それはいつか教えてやる、……辺りだろうよ」
「あ」
大彦が身を翻した。
「ちょっと待ってろ! 白い美少女!」
「……大器が子供のうちは、馬鹿に見えるものなのか?」
その呟きは、もう姿を消した大彦には聞こえなかったけれども。
「白い鬼、の方が合っているだろうが。軽口ばかり叩くから、無駄に女が群がる割に、肝心の相手からは本気にされぬのだろうよ……」
さくらは、こめかみに指をやり、はっとした。
(そんなはず……!)
もう一度、さくらは自分の角に触れ、そして斜め下の辺りを指で探った。
――――椿の花が、無い。
さくらは、茫然とした。
意味が、わからなかった。
あんなにも疎ましく思っていた、椿の花。
大嫌いなのに、いつも自分の髪に飾られていて、気に入らなくて何度も毟っては捨てたのに、それでも何度でも咲き続けた、逃れられない呪いのような赤い花。
「そうか……」
さくらは、苦笑した。
「つばきの名は……、とうの昔に、母様とあの娘に奪われたのだったな……」
狭依と同じ顔の、憎い妹。
だが、妹は自分で自分の名を選んだ訳ではない。
『太郎』の名を父が付けたように、『つばき』は母が次の娘に与えてしまったのだ。
母は、初めての子供の死を、その喪失の悲しみを『無かった事』にしたかったのだ。
(誰も悪くなくても、悲しくて辛い出来事に出会ってしまう……そういうことも、あるんだよ)
ふと、遠くで稔流が囁いた気がした。
「そうだな……稔流。お前は、いつも正しい」
(人間を殺したから、何なの?死んだのがあの先生でよかったよ。俺が死ぬより、ずっといい。俺が死んだら、さくらが泣くから)
決して、善ではない。
それでも、稔流は正しかった。
「あれ?」
息を切らして大彦が戻って来た。
「何で泣いてんの?」
「…………」
さくらは答えずに、問いを返した。
「王の末裔、お前には、私はどのような存在に見える?」
「鬼の美少女」
「…………」
秒で返ってきたが、さくらはイラッとした。
「後半だけ狭依に言え」
「別にふざけてる訳じゃねえよ。お前って、多分すごく怖い奴なんだよな。角があるだけの理由はあるんだろうし。でも、何でか俺は、怖いって思えねえんだよ。すげー綺麗な『何か』なんだよなあ……何かって、何だろ?」
「私が聞きたいのは、その『何か』なのだけどな。……以前は、『座敷童』と呼ばれていたよ」
「……あ!」
「人を指差すな。鬼でもだ。無礼者」
「そーだよ! アレだ、秀樹が言ってたやつ!」
大彦は、構わずに指を差したまま言った。
「白い座敷童!!」