第83話 ふたりの決意
さくらは、自分の過去を見てきて、全てを思い出した。
波多々の名が、名字ではなく屋号であった頃。
さくらは、今で言うところの波多々の本家に相当する家に生まれ、生きていたならば狭依のように巫女になるはずの《天神の子》だったのだ。
『つばき』の名を実の母と妹に奪われて、幼子の心のまま、絶望の余りに秘められていた大きな力を暴発させてしまい、落雷を呼び火事で家族を殺してしまった。
――――唯一、『つばき姉様』を覚えていてくれた弟まで、目の前で死なせてしまった。
さくらが天神の力を強く引き継いでいるのは、『ひとり目のつばき』が天神の末裔の中でも類を見ないほどに、神主や巫女とは比べものにならないほどに、神に近い娘だったからだ。
つばきは『母様』に執着し、『ねえさま』の姿が見えて言葉も交わせる、太郎という弟を格別に可愛がっていた。
今思えば、あの頃から、つばきは家に憑いて家を栄えさせる座敷童ではなく、人間に憑き家を滅ぼす赤い座敷童で、鬼だったのかもしれない。
ならば、さくらは天神の末裔の一家を皆殺しにした罪を、償わなければならないのだ。
この罪は、稔流との出会いよりも、はるか昔に背負った業だ。つい最近交わした稔流との《約束》、そして《誓い》よりも優先される。
因果応報だ。何百年も昔のことだからと、無かったことにはならないのだ。
『つばき』の罪は、『さくら』の罰として巡り、償うまで消えない。
座敷童の嫁入りという夢物語は、その償いを果たさなければ、実現は許されないのだ。
――――私は、これから、狭依を救う為にお天王様にお目にかからなければならない。
自分の命を懸けてでも――――
「えっと…何で?」
「ひい婆様にもバレている嫁だぞ。入って何か悪い事でもあるのか?」
「いや…悪くは、ないんだけど」
ひとつ屋根の下で暮らすようになってから、畳に転がって寝ているさくらを見て、硬くて痛くないのかなあとか、寒くないのかなあと気にした事は何度もある。
でも「座敷童は平気だ」のひと言で片付けられていたのに、今夜はどうしてか、一緒の布団に潜り込まれた。
「狭いからか?」
「まあ…狭いんだけど」
という理由で、追い出すのは何だか酷い奴になった気分だ。
既に半分以上人外でも、さくらに酷い奴だと思われるのは嫌だ。
「さくらは、窮屈じゃないの?」
「平気だ。こうすればいい。あったかいし」
「……………………」
柔らかい体が絡み付いてきて、抱き枕にされてしまった宇賀田稔流・男子中学生十三歳。
拓の「DT卒業すれば~」が脳裏を掠めたが、絶対無理だ…と稔流は思った。
さくらは、綺麗だ。
数え十三だとすると、満年齢は11、2歳なのだが、長い時を渡ってきたからなのか、小さな神様だからなのか、出会った時の幼い童女の姿の時から、不思議に艶のある空気を纏っていた。
可愛いらしい顔立ちなのに、それを忘れてとてつもなく綺麗、美しいと感じてしまうほどの、凄みのある美少女。
今は、成長した分尚更に。
その事に、さくらは気付いていないか、知っていても頓着無いのか、くっ付く様子は座敷童という文字通りに無邪気で無防備で、あどけない童なのだ。
「稔流はあったかくないのか?」
「…あったかいよ」
稔流は苦笑した。
こんなに身動き出来ないのに、こんなに心臓が早鐘を打っているのは、自分だけなのが恥ずかしい。
照れるばかりで、これ以上何も急ぎたいとも思わない自分は、やはり子供なのだろうと思う。
でも、稔流は大人になる。
人間ではない大人になるという事が、どういうことなのかわからなくても。
さくらを花嫁に迎える為なら、何だってする。稔流が自分で、そう決めた。
「…稔流」
「何?」
「稔流は…これ以上、何もするな。大彦に話しただけで、十分だ」
「…………」
さくらには、解っていた。稔流なら、お天王様の祟りについて大彦に話したことだろう。話すべきだと、稔流なら判断したはずだ。
そして、事態の深刻さと自分の責任を知った大彦は、自ら為すべきことを為すだろう。
――――こんなに身を寄せ合っている時に、あの名前を口にしたくなどないのに。
「…狭依は、死なない。狭依は嫌いだけど、死なせない。《約束》する。だから、稔流はもう、何もしないで」
ああ、でも、不安だったから、稔流とひとつになるほどに抱き締めて、抱き締められていたかったのだ。
「何も…聞かないで。ちゃんと…帰ってくるから」
狭依を死なせないことを約束しても、帰ってくることを《約束》するとも、《誓う》とも、言えなかった。
妖怪に生死はない。でも、死にたくない、稔流の元に生きて帰りたいと、胸が苦しいほどに思った。
本当は、狭依のために命を懸けたくなどない。
妹とも思えない妹は、狭依と瓜二つだった。
記憶を失ってもなお、名前も母親も居場所も、『一人目のつばき』のものだったはずのものを、全て奪って生まれてきた妹の面影を、狭依に重ねて憎悪していたのだと、今なら解る。
狭依は妹ではない、そう分かっていても、同じ顔の娘はさくらと同じ相手に恋をした。
お前はまた私の一番大切なものを奪うのかと、本能が全身で拒否をする。
でも、さくらが天神の命令に逆らえば、天神が稔流に何をするかわからない。
神とはそういうものだ。気紛れに恵みをもたらし、気が向いた時に荒ぶるのが、神だ。
だから、今にも命の火が消えそうな狭依よりも、遥かに強く、妖怪としては異例に頑丈な、天神の末裔――――天神の子であるさくらが、祟り神と対峙するしかない。
「…うん。わかったよ。俺は、さくらを待ってる。いつでも。…いつまでも」
「稔流…。ぎゅって、して」
「うん…」
あたたかい。稔流にくっ付いているのは、安心する。
今はただ、稔流だけを感じていたい。そう思いながら目を閉じた。
深夜、さくらは布団を抜け出した。稔流はだいぶ背が伸びて、さくらのために急速に大人びたけれども、こうしてすぅすぅと安らかな寝息を立てていると、年相応よりもあどけなくさえ見えて、愛おしさに胸が痛くなる。
「…むすび、稔流を頼む」
夜の闇からするりと現れた管狐は、すりすりとさくらの足元に体を擦り付けて、きゅぅ、と小さく鳴いた。
「何だ、私を心配しているのか?」
クスリと笑って身を屈め、毛並みのよい狐を撫でた。
「私は、最強の座敷童だぞ?…鬼だもの。大丈夫だよ」
そして、さくらもまた、闇に紛れた。